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<旅行記>ブカレスト-ロンドン-羽田

 最後の海外勤務を終え、日本で定年退職を迎えるため、3月10日の朝、先週までの春を思わせる温暖な気候から一変した時折小雪の舞うブカレストの街を、既に自宅を引き払って移動していたホテルから空港に向かって移動していた。

(注:24時間以上の出来事を記すので、かなり長文になります。悪しからず)


1.ブカレスト

 さよなら、ブカレスト。さよなら私の海外生活。もう、こういう気分で車の窓から街の風景を見ることはないだろう。

20220210ピアタビクトレイ夕景1

 2年余にわたって世界を暗い気持ちにさせ、人間の移動の自由を奪っていた新型コロナウイルスも終息に向かい、ようやく自由な移動ができるようになったこの春。しかし、突然始まってしまったウクライナ戦争(注:正式な名称はまだ決まっていないようなので、私は勝手にこう名付けた)によって、またしても人間の移動に障害が出てしまった。

 またルーマニアは、ウクライナと国境を接しているので、ウクライナの次はにロシアがルーマニアに攻め込んでくるのではないかと、ルーマニア人の多くは心配していたが、私にとっての障害は、予定していたパリ経由のフライトが欠航になり、ロンドン便に変更になってしまったことだった。

 パリ経由であれば、日本航空とエールフランスが「ワンワールド」なのでフライトのコネクションは取りやすかったが、ロンドンへ向かうルーマニア国営のタロム航空は「スターアライアンス」のため、スムーズに席が取れなかった。それでも、JALのスタッフのお陰もあり、どうにかチケットが取れたのが、出発2日前の3月8日午後。料金は変更なかったものの、大慌てで東京にフライト変更を伝えた。しかし、タロム航空のチェックインカウンターが、妻と2人で計6個になる大荷物を東京(羽田)までスルーで扱ってくれるのか不安だったので、念のためJALは英語のレターを出してくれていた。結果的にこれは正解で、非常に助かった。

 出発当日。チェックイン開始前にアンリ・コリアンダー空港に着いたところまでは予定通りだった。車もほぼ渋滞せず、快適に空港までドライブできた。空港に着いてから、チェックイン開始を待っている間に、妻が残ったルーマニア通貨レイのキャッシュをユーロのキャッシュに交換した。このユーロは、さらに日本で円に交換するから、為替の関係で損をしてしまうが、これは仕方がない。ブカレストの空港には、さすがに円のキャッシュはないのだから。

 そうこうしているうちに、タロム航空のカウンターが開いた。私たちはビジネスだったので専用のカウンターなのだが、ここが開くまでさらに数分待った。幸い一番乗りでチェックインしたが、チケットを見るなり、英国入国の申告書(PLF)のQRコードを見せろと言うので、英国へ入国するのではなく、トランジットで羽田へ行くから不要であることを説明した。係りの男性は、それで理解したのか、無言で荷物をチェックイン始めたが、妻のスーツケース1個が重すぎるので減らせと言う。超過料金を支払うと交渉したが、絶対に譲らなかったので、仕方なくスーツケースを開けて、服などを別の布製のバッグに入れ替えた。これで2kg程度軽くなった。このバッグは、かれこれ30年近く使っているもので、妻からは日頃「汚いから捨てなさいよ」と言われていたが、こういう時のことを想定して、後生大事にとっておき、そしてキャリーバッグの中に入れておいたのが役に立った。用意のいい自分を褒めたあげたいと思った。

 JALのレターもあり、荷物6個の羽田までのスルーはOKとなった。第一関門通過。次いで、ボーディングパスが渡された。普通トランジット先、つまりロンドン-羽田の分もゲート等未定として発行してくれるのだが、やはり「ワンワールド」ではないことと、ロンドンからの出発時間まで12時間以上あったので、ロンドンまでのボーディングパスしかくれなかった。つまり、ロンドンでJALのトランジットカウンターでチェックインする必要が出てくる。これが第2関門になった。

 空港のセキュリティーチェックは空いていた。それにもかかわらず、私が慌てて海外用の財布を取り忘れていたのを妻が見つけて、注意してくれた。こういう時は2人いると安心だ。その前に、セキュリティーの男が、私に向かって「ラグビー好きなのか?」と声をかけてきていた。私のブリーフケース及びキャリーバッグには、外苑前のカンタベリーショップで買ったラグビーボールのキーホルダーが付いているのを見たのだった。妻が「彼は昔ラグビーやっていたのよ」と嬉しそうに返したので、私は「フッカーやっていた」と付け加えたが、それ以上の会話はなかった。

 ラグビーでは、よくこういうことがある。なんだろう、ラグビーというサッカーよりかなりマイナーなスポーツを好むという、ちょっとエキセントリックなことが不思議と仲間意識を高めているのかも知れない。また、ラグビーという激しく、痛いスポーツを共有したという、いうなれば「戦友」のような気持ちになれることが影響していると、勝手に解釈している。

 こうしてセキュリティーを何事もなく通過し、ビジネスクラスラウンジに落ち着いた。ロンドンなどの大空港のものを期待したわけではないが、正直安っぽい印象を持ってしまった。しかし、これも素朴なルーマニアらしくて良いかもしれない。昼近くだが、ロンドンまで3時間で到着し、さらにビジネスなので機内で軽食が出ると思って、食事は摂らず、最後のルーマニアビールを飲むだけにした。

20220310タロムのビジネスランジ でビール

2.ロンドン

 中型の飛行機は、予定通りに出発した。3席+3席の機内は、エコノミー席の真ん中を利用しないだけの、なんちゃってビジネスだった。安売り航空会社ではこうしたものが多いが、タロムも同様だったのは、少し残念だった。席は通路側だったが、窓からルーマニアの風景が最後に見えた。小雪は止んでいたが、蛇腹を使わずにバスで移動した空港は、少し寒かったことを思い出した。

 離陸した後、キャビンアテンダントがやってきた。食事の前のドリンクと思って「オレンジジュース」と言ったら、先方は水しかサービスしておらず、しかも炭酸入りかなしかを聞いてきたのだった。私が困惑していると、勝手に炭酸なしを小さな紙コップに入れて出してきた。結局機内サービスは、これだけだった。ランチの時間は遠い先になってしまった。

 3時間ちょっとでロンドンに着いた。ターミナル間の移動用バスに乗った。空港の整備員の他は、私達だけが乗客だった。途中他のターミナル下の暗い道路を通過した。まるで空港の裏側を見ているような気分になった。

 20分ほどで目的地のターミナルに着く。大きなトランジットカウンターがあったので、そこでJALのカウンターを聞くと、セキュリティーチェックの後に下に降りれば良いと教えてくれた。すぐ近くのセキュリティーチェックに行くと、誰もいない閑散とした中で息子のように若い係員が、暇そうに座っていた。チケットを見せると、さっきのカウンターと同じことを説明してくれた。

 セキュリティーチェックは、フランクフルトのように厳しいものではないので、比較的楽だし、なによりも搭乗客が少ないので、係員も余裕がある。言われたとおりに階下に降りて、JALを含む沢山のカウンターが並ぶところに出る。真ん中あたりにJALがあるので、先客の男性2人の後ろに並ぶ。しかし、長い。男性の一人が陰性証明書の件でもめている。どうやら、厚労省指定ではない様式で、しかも英語で書いていないもののようだ。一人しかいない受付の女性が、この特殊言語を理解する人を呼んでいる。ただ、時間だけだけが無為に経っていく。

 やがて、受付の人が応援を頼んでくれた。隣の開いているカウンターに別のスタッフが来て、私たちの分を受けつけてくれた。日本人だと思って日本語で話したら英語で返ってきたので、アジア系のスタッフだとわかった。彼女が言うには、もう窓側の席は埋まっており、中央の席しかないという。仕方ない、とにかく搭乗できれば良いのだ。予定通りに日本に帰れれば、他には贅沢を言うまい。

 こうして無事羽田までのボーディングパスをもらった。第二関門を通過した。最小限のトラブルで済んだ。これで確実に日本に帰れると思ったら、肩から力が抜けていくのを実感した。

 もう今さらお土産でもブランド品でもないので、免税店の列をさっさと通り過ぎて、JALが契約しているBA(英国航空)のラウンジに直行する。ランチ抜きだったので、何か食べたかったのだ。ラウンジは、思った以上に広かった。とりあえずランチを取りたいと思い、妻が係りの人に声をかけたら、席についてからウェブ経由で注文してほしいと言われた。今の時代、なんでもスマートフォンがないと何もできなくなっている。

 妻はチキンカレー、私はマカロニパスタを頼んだ。そして、そこかしこに沢山並んでいるアルコール類から、妻はシャンパン、私はビールを取ってきて飲んだ。5時間以上ある長いトランジット時間だ。酒でも飲まねば時間がつぶせない。酒を飲んでいるうちに、アジア系のスタッフが食事を運んできた。ちょっと小ぶりな感じもしたが、ラウンジで食べるには、これぐらいがちょうどよい。もっとしっかり食べたかったら、外に沢山あるレストランへ行けばよいのだから。

 食事を終えた頃、けっこう多かった搭乗客が急にいなくなった。出発便の搭乗時間になったのだろう。もちろん、羽田行きはまだ先だから、私たちはコンセントのある席が空いたので、そこに移動し、携帯電話の充電を始めた。海外用と日本用と二つ持っているので、合計4台の充電だが、海外用はロンドンを出発すればもう使わないし、SIMの契約も切れるので、日本ではWifiでしか使用しない。携帯1台というのは、実に身軽だと感じるが、携帯そのものがなければもっと身軽なのだと改めて実感する。人の進化とモノの進化は、比例していないようだ。

20220310ヒースロービジネスランジ1

 やがて閑散としていたラウンジに、再び人が多くなった。そして、それまで英語が多く聞こえていた話声に、聞きなれた日本語が多くなり、一目で日本人だとわかる容貌と服装の人たちが大半を占めるようになった。皆、私たちと同じ便で羽田へ向かう人たちだ。

 ウェイティングルームは、新型コロナウイルスが蔓延する少し前までのように混雑していた。乳母車を持った家族連れも多くいた。この情景も、新型コロナウイルスが蔓延する前の日常風景に近かった。たった一つ、全員がマスクをしている姿が、まだ非日常であることを強要しているように映る。私達の搭乗する順になり、2席+3席+2席の真ん中から右寄りの2席ながら、最新鋭777-300のビジネスクラス席に、座席番号に迷いつつ座る。

3.羽田へ向かう機内

 よく考えられていると感心したが、前後にコンパクトにした座席をずらすことによって、例えば窓側席の人が通路側席の人の前を通らずに通路に出られるようになっている。だから、妻の座った中央席であっても、左右の人が気にならない構造になっている。足元も広く、私程度(170cm)の身長なら、十分足を延ばして眠れるスペースがあり、さらにマットレスまで敷いてくれる。私が初めて海外渡航した34年前とは雲泥の差を実感する。しかし、一つだけ残念だったのは、クラシック音楽を聞こうと思ってチャイコフスキーの「くるみ割り人形」を選んだ後だった。有名な行進曲の冒頭部分を聞いたとき、音質のあまりの悪さにすぐに止めてしまった。演奏の上手さとかではなく、音自体が30年前とあまり変わっていないように感じたのだ。そして、この音をしばらく聞き続けられるほど、私の心には余裕がなかったようだ。

20220310JALビジネス機内777300

 気を取り直して映画にした。スティーヴン・スピルバーグの「ウェストサイドストーリー」を観る。最初の頃は、機内アナウンスで何度も中断させられたが、画面のすみずみまで真剣に観るような作品ではないので問題ない。むしろ、アメリカらしくポップコーンを食べながら観るのがちょうどよい娯楽作品だ。そうはいっても、映画の一番重要なところと私が思っている導入部分は秀逸だ。そこはスピルバーグらしく、まるでSF映画の風景のように、1960年代ニューヨークの再開発に向けた廃墟を映している。レンガ造りのビルを壊す鉄球は、まるでスターウォーズのデススターに見える。

 そのアクション映画のようにダイナミックに動く画面から、レナード・バーンスタインの名曲に乗って、「ジェッツ」の少年たちが少しづつ集まっていき、軽快なストリートダンスをする。このつなぎ(モンタージュ)は見事だ。実に映画らしい。しかし、その後の物語(ストーリーテリング)部分では、対照的に散漫になってしまう。これはそもそもスピルバーグの限界だから仕方ない。この作品は、何よりも見事なストリートダンスを楽しむことに醍醐味がある。

 だから、リメイクした元の作品のような典型的な美男美女ではない、ヒーローとヒロインの役者やその人物造形、さらに全体の語り口(ラストシーンの安っぽさ!)や個々の歌唱力については敢えて評価しなくて良い。そんなところはポップコーンを食べながら観て、ちょうどよいタイミングで登場するダンスシーンを満喫すれば良いのだ。これはそういう作品であり、またそういう意味で「アメリカ」をよく象徴している。

 映画が終わる少し前に、夕食が出た。せっかくだから和食にした。枝豆のソースをアレンジした前菜が良かった。注文した純米大吟醸によく合った。妻は最初にシャンパン、次に私とは別の日本酒を注文したが、なぜか焼酎が来てしまったので、私がそれをもらった。焼酎を水で割りながら飲んだ後、メルシャンの白ワインを頼んだ。前菜セットにあるその他の小鉢に合っていた。

 メインは大根おろしに甘いソースを合わせたハンバーグだったので、ドイツの赤ワインを頼んだ。焼酎1杯分が余分にあったので、少し酔ってしまった。デザートがなんだったかよく覚えていないが、日本茶で口の中をさっぱりさせてから、寝ることにした。まだ先は長い、14時間の地球を半周近くするフライトなのだから。

 4時間ほど寝ただろうか。ロンドン時間ならまだ深夜だが、目が覚めたので、軽食としてカツサンドとアップルジュースを頼んだ。日本のものはなんでも繊細で美味い。食べ終わってから、また映画を観た。ずっと観たいと思っていたSFの「砂の惑星」だ。もう冒頭のシーンから、どこで撮影したかがわかってしまった。ヨルダンのワディラムだ。ヨルダンはルーマニアの前の勤務地であり、休暇を取ってワディラムにも行った。妻は、友人たちとさらに2回も多く行っている。映画の中のある風景は、私が撮影したアングルとまったく同じだったくらいだ。

20181109ワディラム16

 そういうわけで、物語に集中するよりも背景により注目してしまった。だからというわけではないが、最近流行のロールプレーイングゲームのような作品で、別の観点から言えば「ロードオブザリングズ」の焼き直し(同工異曲)だ。しかし駄作というわけでは決してなく、全体によく作られているし、長大な物語(サーガ)が続く面白さがある。何作まで作るのかは知らないが、「スターウォーズ」のようになれると思う。

 「砂の惑星」に描かれているヨルダンのワディラムの風景と、ヨーロッパ人のアラブ人やアラブ文化に対する意識などを漠然と考えているうちに、また眠くなった。羽田到着まであと7時間はある。地図を見たら、まだアラスカ上空だったので、二度目の睡眠をとることにした。隣の妻はまだ寝ている。機内の大半も寝ている。起きていたのは、私ぐらいだったようだ。

 4時間ほど寝ただろうか。羽田着陸2時間前になると機内サービスは停止する。ふと隣と見ると、妻は和食の朝食セットやチーズセットを頼んでいる。右側の若いカップルは、カップ麺やら朝食やら、次々にメニューにある全品を頼むような勢いで食べて、飲んでいる。若いって素晴らしい。

 私は、寝ぼけている中で新しい映画を観る気がしなかったので、地図を暫く眺めていたが、羽田に着いてから長時間食事できないと思ったので、ツナロールとコーヒーを注文した。まもなく運ばれてきたときに、「コーヒーに何か入れますか?」と聞かれたので、いつも通り「ミルクだけください」と言った。チェーン店のような小さなカップが来ると予想していたら、喫茶店のような小さな壺に入ったミルクが来た。恐らく高級ホテルのようなイメージなのだろう。朝食気分でコーヒーとパンを食べ、着陸まで目を瞑っていた。機内のあちこちから、カップ麺の強烈なスープの臭いが漂っている。日本人なら馴染みのあるものだが、外国人にはこの臭いは耐え難いのではないかと心配してしまった。

4.羽田に到着

 飛行機は、ほぼ定刻通りに羽田に着いた。着陸前に遠い窓から外を見たら、夕焼けの赤い色が見えていたが、さすがに19時を過ぎれば辺りはライトの灯しかない。2年半ぶりに日本の土に降りた。しかし、あまり感激はない。35年前、初めて海外生活をしたNZから1週間の休暇を取って一時帰国した時は、成田の風景が見えてきたことに酷く感動していたが、この最後の海外勤務から戻ってきた時は、若い頃のような興奮はしなかった。むしろ、日本へ無事帰るというミッションを終えた安堵感が強かった。

 ウィークデーということもあり、機内であまり待機することなく蛇腹からサテライトに向かう。係員と矢印に従って、新型コロナウイルス対策の抗原検査や質問票と待機場所のスマートフォンでの登録を進める。2階と3階をいったりきたりした他、入口と出口で同じ質問をされ、同じ書類を繰り返し提示するのは、心身ともにいらだちを覚えることだったが、それでも対象者がさほど多くないことから、落ち着いていられた。

 酷い時は隔離先のホテル選択のために数時間待たされるということだったが、幸いに3~7日の自宅隔離のため、30分程度経った頃に検査番号が表示され、「陰性」とのお墨付きを得て、入国審査に向かう。

 自動化ゲートで入国印がスタンプされないので、出た後係員にスタンプを押してもらう。ターンテーブルに行き、6個のスーツケースをピックアップする。カートに入れているときに、係りの人がビーグル犬を連れて検査にきた。思わず「可愛いなあ」と思ったが、このビーグルは愛玩犬ではない。カートに乗って嗅いでいる姿は、実に愛らしいものだが、彼は必死に仕事をしているのだから、決して邪魔してはいけない。

 荷物を2台のカートに乗せて、税関に向かう。外貨申告と別送品(大量の引っ越し用船便荷物)の申告書を提出する。特に内容物を聞かれることもなく、出口に向かった。妻は、すぐにタクシースタンドに向かおうとしたが、別送品を扱う業者への手続きがまだ残っている。ターミナルの端にある業者で、必要な用紙に様々な事項(既にメールなどで通知済みだが)を記入し、パスポートのコピー(そして、「ビザのコピー」と想定外の要求があったので、既に返却済みのIDのコピーも)を渡した。また、ブカレストの出発間際に慌ただしく当該業者からのメールが来ていたので、これは抗原検査を待っている間に返信しておいた。

 全て終わった。21時過ぎ、羽田国際線ターミナルのタクシースタンドに出た。2年半ぶりに東京の空気を吸った。想像していたとおりの、ルーマニアより暖かい東京の夜の空気だった。先頭のタクシーは小型だったので、後ろに止まっているワゴンタクシーに荷物を積んで自宅に向かった。運転手はよく話す人で、自宅に着くまでルーマニアやフランスの話などをしていた。運転手によれば、新型コロナウイルスの規制のため、どこもかしこも閑古鳥が鳴いていて、寂しくなっているということだが、夜ということもあり、私にはよくわからなかった。

 ただ感じたのは、いつも日本に帰るときに見る高速道路や一般道路からの夜の風景であり、自宅近くにあったガソリンスタンドが無くなっていたことに、ちょっと驚いたことだった。

5.日本での最初の夜

 自宅に着いてから深夜まで、時差ボケもあって眠くない(日本より7時間遅れている)ため、暫く荷物の整理をした。息子に頼んで簡単に掃除しておいてもらったので、幸いに埃などは少なかった。風呂を沸かして湯船に浸かった。湯船に浸かるのも2年半ぶりだが、考えてみれば、ルーマニアで去年の夏、温水(温泉)プールに入ったことを思い出した。日本の湯船は大きくて良いと思ったが、それは深さだけであって、ルーマニアの家にあったバスタブも、大柄なヨーロッパ人に合わせて足を延ばせる長さだけはある。でも、何か違うと思うのは、たんなる気分の問題だろうか。

 熱い湯に浸かって、明日からの予定を考えていた。いつものことだが、日本に帰ってから一ヶ月くらいは旅行気分になっている。見慣れた風景なのに、全てが新鮮で、何気ないことが珍しいものに見えてしまう。実はこの時期が、日本に帰ってからの「ハネムーン期間」になる。何をやっても楽しく、何を食べても美味しいからだ。

 やがて、こうした時期も終わる。毎日は、ごく普通の日常になっている。その時が、本当の「帰国」と言えるのかも知れない。

20200825豊川稲荷1


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