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<書評>“Behind the SLVER FERN, Playing rugby for New Zealand”「シルバーファーンの裏側で、NZラグビーの歴史」その10(最終回)

 2014年は、ハミルトンのイングランド戦まで17連勝を記録したが、オーストラリアに12-12で引き分けて、またもや連勝記録が止まった。エリスパークの南アフリカ戦では、イングランド人レフェリーのウェイン・バーンズが、オールブラックスFLリアム・メッサムにPKを取り、南アフリカSOパット・ランビーにPGを決められて、オールブラックスは負けてしまい、不敗記録も22戦で止まった。南アフリカは、2011年以来のオールブラックス戦勝利となった。

 このシーズンに、リッチー・マコウはキャプテンとして100試合を達成し、HOケヴィン・メアラムは、偉大なLOコリン・ミーズの持つトップレベルのゲーム試合数361を越えた。

 FLジェローム・カイノは、日本のトヨタに移籍していたが、RWC前にNZに戻ってきた。2011年の時とはFWのプレーが変わっていて、当時はFWの役割は、ただボールを取って前に進むだけだったのが、2014年には、多くのBKのスキルを要求されていた。

 ハンセン監督は、1960年代のオールブラックスで活躍したFWの、ケル・トレメイン、ブライアン・ロホアー、コリン・ミーズ、ワカ・ネイサン、ケン・グレイのように、パスやランニングが出来るFWを再現しようとした。

 2015年RWCイングランド大会を迎え、WTBにネヘ・ミルナースカッダーがデビューした。彼は、1970年代のオールブラックスであった、ジョージ・スカッダーとハナレ・ミルナーの親戚だった。
 2015年RWCのプールマッチは、アルゼンチン、ナミビア、ジョージア、トンガと対戦し、順調に全勝した。

 準々決勝のカーディフのフランス戦には、9トライの圧勝となった。準決勝の南アフリカ戦は、豪雨のトウィッケナムで行われ、キッキングゲームの末、20―18で勝利した。

決勝のオーストラリア戦は、オーストラリアがウェールズとイングランドのいる「死のプール」を勝ち上がり、準々決勝ではレフェリーのグレッグ・ジュベールの誤審によりスコットランドに辛勝し、準決勝ではアルゼンチンに完勝して、勝ち上がってきた。しかし、オールブラックスは34-17で圧勝し、RWC史上決勝での最高得点を記録した。また、初の連覇及び3回目の優勝をしたチームとなった。

準々決勝のカーディフのフランス戦では、2007年の惨劇を覚えているのは、キャプテンのFLマコウとSOカーターの他では、PRトニー・ウッドコク、HOケヴィン・メアラムくらいしかいなかった。他の選手は、当時13~14歳でゲームを観戦していたため、この試合に特別な感情を持つことはなかった。このゲームでは、WTBネヘ・ミルナースカッダーの俊敏さとジュリアン・サヴェアのパワーがさく裂した。特にサヴェアは、フランス選手3人をぶっ飛ばしてトライを挙げるなど、かつてのジョナ・ロムーを彷彿とさせるトライを挙げて、留飲を下げた。

 準決勝の南アフリカ戦では、FWがキャッチ&パスができるたけでなく、BKがブレイクダウンで良い働きをしたことが大きかった。南アフリカは、キッキングゲームをするために、SHからのハイパントを両WTBがチェイスして、ディフェンスの際もFBが孤立することが多かった。そのため、ラインの後ろには多くのスペースがあったので、カーターは、そこを狙って両サイドにグラバーキックを蹴って、WTBを背走させたのが有効だった。

準決勝の最後の20分間のディフェンスは、非常に素晴らしかった。オールブラックスのゲームではなく、南アフリカのよくやるタイトなゲームとなったため、僅差の勝負となった。前半最後にジェローム・カイノがシンビンになり、後半最初にラインアウトからあまり良くないボールがカーターに渡った。カーターは、いつもどおりに走りながら、自然とDGを選択して決めた。スコアは競っていたが、オールブラックスがゲームを支配しコントロールしていたゲームだった。ノーサイド直前の相手ボールのラインアウトで、LOサムエル・ホワイトロックは、このラインアウトをスムーズに取らせると厄介なことになると予感し、トイメンの世界的LOヴィクター・マットフィールドの動きを見ながら、ターンオーバーに成功した。この時、勝利を確信したという。

決勝戦では、前半終了後のハーフタイムに、アシスタントコーチのイアン・フォスターが、ハンセン監督に後半からコンラッド・スミスに代えてソニービル・ウィリアムスを起用するように進言した。SBWは、オーストラリアとのフィジカルゲームに大きな影響を与え、特にオフロードパスからノヌーのトライにつなげたプレーが素晴らしかった。

FBベン・スミスは、不用意なタックルでシンビンになったが、チームは両WTBがFBのディフェンスカバーを冷静にやっていた。しかし、シンビンの間に、オーストラリアに2トライを返されてしまう。そのため、ベン・スミスは、NZにいる家族を海外に移住させなければと心配していた。そうした中で、カーターがDGを決めたのは非常に有効だった。また、ベン・スミスがシンビンから戻ってきた後、裏が空いていたのでグラバーキックを蹴った。そこへ交代出場の俊足のボーデン・バレットが駆け上がり、見事なトライを挙げた。

このコンバージョンでカーターは、以前アーロン・スミスと、最後のテストマッチでは利き足でない右足で蹴りたいと言っていた他、RWCで7点差がついていたら蹴ると約束していた。そのことを知っていたリアム・メッサムは、キックティーをカーターに持っていくときに、「右足で蹴ったら?」と言ったので、カーターは、スタジアムの誰もが全く気付かないうちに、自然と右足でテストマッチ最後のコンバージョンを決めた。

LOサムエル・ホワイトロックとSHアーロン・スミスは、フィールディング・ハイスクール時代の同級生だったので、ノーサイドの瞬間、互いに言葉を交わして勝利を喜んだ。

マコウは、オールブラックスの後輩たちのために、個人よりもチームが優先されること、過去の伝統を築いてきた先人の働きを尊敬し、その伝統をさらに輝かしいものにすることの重要性を強調している。

オールブラックスは、2015年RWC決勝までのテストマッチで、538戦413勝という、輝かしい高い勝率を残した。リッチー・マコウは、選手として148キャップ、キャプテンとして110キャップ及び131勝の世界記録を作った。ダニエル・カーターは、得点の世界記録を作った。

この後、FLマコウの他、SOカーター、HOケヴィン・メアラム、CTBコンラッド・スミス、CTBマア・ノヌー、PRトニー・ウッドコクが引退した。オールブラックスが史上最強となった時代を作り上げた功労者たちだった。

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2005年RWC。FLリッチー・マコウ。監督スティーヴ・ハンセン。そして、伝説のキャプテン、デイヴ・ギャラハー。

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