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<閑話休題>東京人の憩い

 東京が年に一度だけ、息抜きをする時期がある。それは8月の帰省の頃だ。帰省する人たちの列車、車、飛行機はひどい混雑だけど、なかば日本のバカンスと呼べるこの「旅行」とは無縁な、東京に居残っている私などは、文字通り誰もいなくなった街並みを見て、ほ―と大きく深呼吸してしまうのだ。

 この得も言われぬ快感は、東京にいても帰省してしまう人たちには味わえぬもので、いわば「レジャー」もできぬ少数派である私などの、一種自虐的な愉しみかも知れない。

 しかし、年に何回もない里帰りした人々も、実家のテレビ・ニュースでガラーンとした東京を見て、日頃の満員電車と比べて、そのあまりの差に思わず感動しているかも知れない。けれども、それはニュースだけではわからない、と敢えて私は言ってしまう。

 とりわけ、この人間が適正な数に減少した時期に、しかも日曜日、地下鉄に乗ってみるのは実に最高の贅沢である。さらに、家を出るときに天気予報で台風接近の報を聞き、念のためと傘を持って出かける。そして幸運にも、それまで地下鉄の車内にいて外界の様子がわからない状況から突然地上に出た直後に、いきない薄暗い中の雷雨と強風に打ち震える(丸の内線四ツ谷駅の)上智大の木々を見たときなど、もう、神にこの機会を与えてくれたことを感謝してしまうのだ。

 そうして、知らないうちになぜか四ツ谷で降りてしまい、そのまま駅近くの坂道を、急流のごとく流れ下る雨水に靴もズボンもびしょびしょにして、横殴りにくる雨風に傘を盾にして必死に歩いていると、まさに生きる喜びを感じてしまうほどなのだ。

 夏の雨は冬とは違って身体に快い。冷たさはみじんもなく、一種のシャワーのように身体を濡らしてくれる。この雨粒は、きっとサイパンあたりの緑色の海が上昇して雲となり、はるばる私の身体まで運んでくれたものかも知れないと想像してみる。いわば、「いながらの南太平洋」と言ったら、ちょっと大げさだろうか。

 そのうちに、私はいつのまにか赤坂見附まで来てしまい、こんな嵐の日曜日でも、しっかりと店を開けているラーメン屋を見つけて、たった一人の客として冷やし中華を食べる。その瞬間に私は、しばしの安らぎの時を迎えている。

 人生は短く金は少ない。
        ブレヒト『三文オペラ』から

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