小説セラピー「とある役者の物語」(Rさんの物語)

 久しぶりの大阪遠征が決まって、私は思いのほか緊張していた。
 コロナで舞台がことごとく中止になって、もうすぐ一年が経つ。私はその間、歯を食いしばってただ時間が流れるのを眺めていた。そして今、ようやく長い冬が終わりを迎えようとしていた。
 私はお風呂上がりの火照った顔を鏡に向けて、ニコッと微笑んでみた。そこには演技ではない、目が笑っていない素の自分がいた。子供のころからどっぷりと浸かっていた芝居の沼に、私はまた溺れることができるのだろうか。
 ふと、机の上に置いてある写真立てに目がいった。そこにはずっと昔に別れた彼と私が笑顔で写っていた。私はそれを手に取って、思い出をなぞるようにぼんやりと見つめた。あれから十数年の歳月が流れているのに、昨日のことのように当時の思い出が鮮明によみがえる。
 彼とは大学生の時に芝居を通じて知り合った。
 その出会いが果たしてよかったのかは分からないけど、一つ分かっていることは、その出会いによって私はしばらくの間、いや、今でも私の心は当時の思い出の中に縛られている。
 それは幼い頃に両親が何気なく言った言葉――例えば完璧でありなさいとか――が大人になっても自分を苦しめるように、私は青春時代の気まぐれな演出に、今でも苦しめられているのだ。

 ある日突然、彼が記憶喪失になった。

 疲労の末に階段から落ちた、と知人から連絡を受けたのだが、私はなにかの冗談かドッキリだと思い、信じることができなかった。劇団の次の役作りのためにみんなで私を騙しているんだ、と。
 しかし、彼は本当に記憶を失くしていた。まるで漫画や映画の世界のように、その日から私の知っている彼はこの世から突然消えてしまった。
 半年ぐらいしてからようやく会えた彼の中には、もはや私の存在は欠片も残っておらず、まるで初めて会う人のように私たちは小さく会釈を交わした。
「ええと、つまり僕とあなたは付き合っていたということですか?」
 言葉が出なかった。
 顔は彼なのだが、雰囲気も、話し方も、表情も完全に別人だった。もしかしたら双子かも、と思ったぐらいだ。それでも彼は彼で、しかし、以前の彼はもうどこにもいなかった。
 人は悲しくなると涙が出るというけれど、それが嘘だと初めて知った。人は悲しみが許容を超えると、ただ静かに笑うしかない。
 しかし、こんなに悲しい演技はしたことがなかった。
 私はなんとか彼に記憶を取り戻してほしくてできる限りのことをした。彼の知り合いと一緒に年表を作ったり、昔のことを話したり、よく一緒に行った場所に出かけたり。
 そんな甲斐あってか、彼はときどき記憶の一部を思い出すことがあったけれど、それでも彼が帰って来ることはなかった。思い出しても、やはり彼はもう別人だったのだ。
 半年後、私は彼に振られた。
「ごめん、やっぱり好きになれなくて……」

 やっぱりってなに?
 付き合ってと言ってきたのは、あなたの方からだったのに……。

 彼から告白されて付き合った恋は、彼の悲しそうな顔で幕を閉じた。どこでどう間違えたのか、結婚すらも考えていたのに、彼は私との記憶すらも消していなくなった。
 ただ、それでも私は彼がいつか戻ってくるのではないかと、一縷の望みを捨てることができなかった。一時は目の前から消えてほしい、いや、いっそのこと亡くなってくれていたらどんなに楽か、とさえ思った。けれど、私は彼を愛していた。将来を約束した、あの彼を。
 だから、私は決めたのだ。

 私だけでも、彼が帰ってきた時のための居場所になろう、と。

 その日から、私はいくら周りの人たちが変わろうとも、自分だけは変わらないでいようと心掛けた。私が変わってしまったら、彼はきっと昔を思い出せなくなる。だから私は変わらない。いや、変われないのだ。それは彼に対する償いの気持ちだった。彼の記憶がなくなったのは、私にも原因があったのかもしれないのだから。

 私の償いは、演技をすること。

 私は彼の芝居が好きだった。彼の演技が好きだった。しかし、本当のことは何一つ分からない。彼はどこまでが演技で、どこまでが本当だったのか。
 そう考えたら、人生とは芝居の連続なのかもしれない。なにも役者だけが特別な訳ではなく、生きている限り、人は演技をし続けている。それがきっと、生きるということなのかもしれない。
「あなたはいつ会っても変わっていないから安心するわ」
 みんな誰もが変わっていく。当たり前だ。成長しない人なんてこの世にはいない。ただ、それでも、変わらないということは、人に安心を与えることだと私は思っている。
 私は写真立てをもとに戻すと、明日からの荷物をまとめ出した。
 久しぶりの大阪で、久しぶりの芝居だ。舞台に立つときの高揚感と、舞台で演技をしている自分がたまらなく好きで、そして芝居はその時々の誰かの夢を見せてくれる。
 ――夢。
 私の夢は、いったい何なのだろうか。本当にこのままでいいのだろうか。そう思わないこともなかったけれど、私はもう自分が演技をしているのかどうかも分からなかった。
 少し前に、彼に新しい彼女ができたと本人から聞いたときに、もしかしたら私だけがまだ過去に生きているのでないかと思ったが、私はそれに蓋をしたのだ。
 彼はまだ生きている、と。
 荷物が溢れて、とてもカバンに入りそうもない。私は何をしに大阪に行くのだろうか。演技をしに行くのか、それとも――。
 彼と出会ったのも大阪だった。
 彼がいなくなったのも大阪だった。
 そこに私は果たして、本当に演技をしに行くのだろうか。
 私はきっと、今でもこの写真の中で生きている。本当は知っていた。相手を幸せにするためには、まずは自分が幸せにならないとできないということを。
 私は本当は、大阪から始まった長い舞台を終わらせに行こうと思っていたのかもしれない。
 だからきっとこのタイミングで彼と目が合ったのだ。
 これからは、写真の中ではなく、景色の一つとして眺めていけたら――。
 私は写真立てを静かに伏せて、最小限の荷物をカバンに詰めると、もう一度鏡に向かって微笑んだ。
 そこにはぎこちないけれど、確かに笑っている自分がいた。
「ありがとう、行ってくるね」

 彼は今を生きている。
 私もこれからを生きていく。
 もうすぐ、冬が終わり、私の舞台の幕が上がる予定だ。



――――――――――――――――――

☆今回ご注文いただいたRさんの劇団です。
⇩theater TRIBE⇩
https://theatertribe.amebaownd.com/

最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。

――――――――――――――――――

【小説セラピー ~あなただけの物語~】
自分を主人公にして、
あなただけの物語を作りませんか?

あなたのお話や悩みをおうかがいし、
その内容を元にあなただけの物語を執筆いたします。

⇩過去の作品はこちら⇩
note→https://note.com/ruminos/m/mbeb2f9267be2
アメブロ→https://ameblo.jp/arihara2/theme-10114038120.html

まるで過去や未来に行ったかのような
感動をぜひ味わってみてください。

【商品説明】
自分を客観的に見つめることにより、
今まで気づかなかった自分の気持ちや、
過去に負った傷と向き合うことができます。

・自分が主人公になった小説を読んでみたい
・過去や現在の悩みを可視化したい
・トラウマを見つめ直したい
・楽しかったことや嬉しかったことなどの思い出を本にしたい
・夢に向かって進むための後押しが欲しい
・大切な人に向けてオリジナルの小説を送りたい
・あのときこうすればよかった
・そのときこんな言葉をかけてほしかった
・違う人生を歩んでいる自分を見てみたい

……など、クライアント様のご希望に
そった形で物語を作っていきます。

これらを客観的な小説にすることによって
本当の自分や気持ちを可視化することができます。


☆内容は悩みじゃなくても大丈夫です。


ご本人を主人公にしてもいいですし、
うかがったお話からイメージを広げて
全くのフィクションにすることも可能です。

フィクションorノンフィクション、
こんな雰囲気やジャンルにしてほしいなどの
要望があればお気軽にご相談ください。
またはすべてお任せでも大丈夫です。

※あくまでも小説です。
取材記事とは違いますのでご了承ください。

【ご注文の流れ】
ご注文いただいてから、
取材日を決めさせていただきます。
その際にGmailにてメールをお送りします。
ご返信をよろしくお願い致します。

※@thebase.inと@gmail.comから
メールが届くようにドメイン指定解除をお願い致します。
送られて来ない場合、原因といたしましては、以下の2つが考えられます。
・ご入力のメールアドレスに誤りがあった。
・受信側メールの設定上、BASE SHOPからの自動返信メールが拒否されてしまった。

☆取材日の打ち合わせは基本メールにて行います。
その際に事前に簡単なプロフィールをお聞きします。
例:趣味や家族構成、お仕事内容など
※任意ですので無記載でも構いません。

取材日が決まりましたら
約30~60分ほど取材(カウンセリング)
をさせていただきます。

その後、原稿用紙5~10枚の小説を執筆し、
冊子に綴ってご自宅にお届け致します。
(データが欲しい方には
データもPDFにて送付させていただきます)

基本はZoomでさせていただきますが、
Zoomが使えない方はご相談ください。
メール、チャット、電話など柔軟に対応させていただきます。

また対面ご希望の方もお気軽にご相談ください。
その際は場所により交通費を頂戴させていただきます。
あらかじめご了承ください。


※当方カウンセラーライセンスを取得しております。
カウンセリング同様、取材内容を他言することはございません。


【発送について】
取材後から約一週間以内に冊子にて発送させていただきますが、
お一人ずつ執筆させていただきますのでその限りではございません。
遅くなりそうな場合はメールにてお知らせ致します。

データが欲しい方は冊子が届き次第ご連絡をお願い致します。

【小説の取り扱いについて】
受け取られた小説はあなたの物です。
SNSに投稿していただいても構いません。
ただ内容を変えられる際は一言仰っていただけると助かります。

【在庫について】
商品はお一人様ずつ執筆させていただきますので、
在庫の入荷は不定期となります。
恐れ入りますがBASESHOPアプリにご登録いただき、
商品をお気に入り登録していただけると助かります。

【その他】
※万が一誤字脱字等がございましたらすぐにお知らせください。
訂正した原稿をすぐに送らせていただきます。
※尚、思っていた内容と違うなどといった場合の
ご返金は対応致しかねます。あらかじめご了承ください。

長くなりましたが、少しでもあなたの心に響くように
一文字一文字に気持ちを込めて執筆させていただきます。
ご不明な点があればお気軽にご質問ください。

何卒よろしくお願い致します。

有原悠二

⇩ご注文はこちらから⇩
有原工房

☆お客様のご感想☆

小説セラピー感想系スクショ加工済み_210203_0

小説セラピー感想系スクショ加工済み_210203_1

小説セラピー感想系スクショ加工済み_210203_2

小説セラピー感想系スクショ加工済み_210203_3

小説セラピー感想系スクショ加工済み_210203_4

小説セラピー感想系スクショ加工済み_210203_5

小説セラピー感想系スクショ加工済み_210203_6

小説セラピー感想系スクショ加工済み_210203_7

小説セラピー感想系スクショ加工済み_210203_8

小説セラピー感想系スクショ加工済み_210203_9

ご注文お待ちしております!

――――――――――――――――――

⇩詳しい自己紹介⇩
https://html.co.jp/yuji_arihara

他にもアメブロ、Twitter、Instagram、YouTubeで、ブログ、小説、ラブレター、エッセイ、詩、現代詩、ほぼ100字小説、俳句、短歌、川柳、絵、詩と小説の朗読、弾き語り、小説セラピーなどを投稿しています。

各SNSの内容はすべて変えています。
見ていただけたら嬉しいです。

⇩アメブロ⇩(ブログ、詩、小説、絵など)毎朝更新
https://ameblo.jp/arihara2/entrylist.html

⇩Twitter⇩(詩、現代詩、ほぼ100字小説、絵など)毎日更新
https://twitter.com/yuji_arihara

⇩Instagram⇩(俳句、短歌、川柳、詩、現代詩、ほぼ100字小説、エッセイ、絵など)毎朝更新
https://www.instagram.com/yuji_arihara/

⇩YouTube⇩(詩と小説の朗読、弾き語りなど)不定期更新
https://www.youtube.com/channel/UCtO3ov_Z6JkA0w3VIFSF3bw?view_as=subscriber

⇩Facebookページ⇩(お知らせやSNSの更新通知など)不定期更新
https://www.facebook.com/yuji.arihara.n/https://www.facebook.com/yuji.arihara.n/

どなたでもフォロー大歓迎です。

あなたの人生の
貴重な時間をどうもありがとう。

支援していただけたら嬉しいです。