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「初めての人生の歩き方」(有原ときみとぼくの日記) 第46房:プールの中でさようなら

 有原くんは今プールで働いている。
 スイミングのコーチ。
 それは彼にとって天職のような仕事だった。

 水泳教室のない時間は監視としてプールを見張り、推教室が始まれば子供たちと一緒にプールの中に入って授業をする。

 水の中は最高だ、と彼は思う。
 頭まで潜った時の体を置いてきたような浮遊感。そして生まれる静寂。水は冷たくて、やわらかくて、そしてなによりもあたたかい。
 彼は水の中が好きだった。
 だからこの仕事は彼にとっての転職だと思っていた。

 先日。

 彼の教え子が今月末で辞めるという話を聞くまでは。

 その子は背も体格もいい男子小学生だった。スイミングをいつから始めたのかは分らないけど、その子はあまり泳ぎが上手ではなく、低学年のクラスに唯一の高学年として入っていた。
 少し前に彼がそのクラスを受け持ちことになったとき、他のコーチにこう言われた。
「あの子は厳しくね」
 その意味が分かったのは初日の授業。
 その子はコーチの言うことを聞かない典型的な子供だった。
 真面目に泳がない、話は聞かない、しまいにはからかってくる。
 なぜスイミングに通っているのかがよく分からない子だ。

 それでも、彼はその子がなんとなく気になっていた。

 どこかさみしそうな顔。
 光の薄い瞳。

 そして初めてテスト。
 その子は言った。
「コーチ、俺合格できる?」
「どやろ、テスト次第やな」

 しかし、その子を彼は落とした。
 まだ上げられるレベルではなかった。練習を不真面目にしていたので仕方のないことでもあった。

そんなことが二回ぐらいあったある日、その子の親から電話だかかってきた。

 典型的なモンスター風。
 彼はそのとき、なんとくあの子がかわいそうに思えてきた。

 その子はプールに来るとき、いつも下を向いてゲームをしていた。帰るときもさみしそうに帰っていった。

 彼は決めた。

 次の授業。
 いつものようにその子は遊びだした。
 彼は言った。
「俺はお前が落ちようが正直どうでもいい。遊びたいなら遊べばいい。ただ他の人の邪魔はするな。泳ぎたくないなら泳がなくてもいい」
 するとその子は「でも俺、どうせ下手だし。他のコーチにもずっとそういわれてたからどうせ頑張ってもテスト受からんもん」と答えた。

 そうだったのか、と彼は申し訳ない気持ちになった。
 そのとき室内のライトが点灯し、プールがキラキラと反射した。

 彼は大人を信じられずにいたのだ。
 だから、彼は言った。

「俺が合格させる。お前ならできる。がんばれ、がんばれ。俺は信じている。だからお前も自分を信じろ」

 そんな言葉を何回も何回もぶつけた。
 指導方針もがらっと変えた。
 彼を先頭にし、指導に熱を入れた。
 その子ははじめ恥ずかしがっていたものの、次第に彼に応えるようになっていった。

 そろそろテストもいけるだろう。
 と思っていた次のテストの日。

 彼はその子に声をかけた。

「よく頑張った。お前ならいける。自信を持って泳げ」

 そして始まった。

 その子はクロールの呼吸の時に頭を上げすぎる癖があった。そこだけを気を付けてくれたらもう他は行けるはずだった。

「はい次、よーい」
 彼の声が響く。
「どん!」

 その子は泳いだ。

 とてもきれいとはいいがたかったけど、それでもかなり上手になっていた。彼は胸の中でガッツポーズをした。
 これならいける、と。

 そのとき。

 横からベテランのコーチが近づいてきた。

「惜しいけど」

「惜しいけど?」

「不合格」

 彼は納得がいかなかった。
 が、よくよく話を聞くと確かに足りない部分はまだあったが、それでも彼は合格にさせてあげたかった。
 そのコーチは不合格の理由に、力量だけではなく過去の悪かった態度も視野に入れていた。しかし、今はもうそんなことはないと言っても、信じてはくれなかった。

 その子は不合格になった。

 その一週間後に、その子が今月末で辞めるということを彼は知った。

 彼はその子と更衣室で話をした。
「水泳は楽しい?」
「うん」
「よかった。……もうやめるんだって?」
「うん、おかんがもう金の無駄だって」
「お前はまだ続けたいのか?」
「うん、でももういいよ。合格できないし」

 彼は胸が痛くなった。
 きっとその子は、大人が嫌いなままで成長していくかもしれない。頑張っても意味がないと思ってしまうかもしれない。大人は嘘つきだと思ってしまうかもしれない。

 彼は謝った。
 そしてもう一度テストがあったので、最後まで頑張ろうとその子と約束した。

 そして最終日。

 合格。

 ほかのコーチにも見てもらいながらの、堂々たる合格だった。

 彼はその子に言った。

「よく頑張った。やればできる。自分を信じたら何でもできるから」

 その子は最後に笑って、彼に手を振った。

 プールの水は今もキラキラと反射している。

 大人ってなんだろう。

 子供ってなんだろう。

 はじめての人生、他人の人生を関わりの中で左右するときもある。

 そんなときは、どうか、相手のことを考えた発言と行動をしていきたい。

 と、

 彼は思った。

 その一言でトラウマになることがある。

 あの一言で救われるときもある。

 大切なことは、

 嘘をつかないこと。

 自分のプライドを守ろうとしないこと。

 相手のことを考えて素直に行動すること。

 強く生きたい。

 ありがとう、さようなら。

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