情報社会=他人比較社会?そんな社会だからこそ子どもに伝えたい自己受容感
こんにちは。今日はこのテーマで書いていこうと思います。
最近、【自己肯定感】って、よく目にしたり、耳に入ったりしませんか?
TVやネットだけではなく雑誌、駅の広告など無数のメディアで自己肯定感を高める10か条とか、自己肯定感を育む生活習慣などが取り上げられていますね。
ところで自己肯定感とはいったい何なのか知ってますか?
自己を肯定する・・・そのままですね(笑)
しっかり調べてみましょう。
【自己肯定感】・・・自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。 自己否定の感情と対をなす感情とされる。
引用(辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書https://www.weblio.jp/)
【自分のあり方を積極的に評価できる感情】
うーん?積極的に評価できる?
これって自分なりに嚙み砕いて表現すると、、、
【よしよし!自分のやり方は間違ってなかったな。そうに違いない!】
【今日あいつと喧嘩しちゃったな。でも、自分は間違っていないさ!】
【今日の料理失敗しちゃった・・・でも、次は私ならもっとできるはず!】
こんな感じでしょうか?
僕はこの積極的に評価できるというところがどうしても引っかかるというか、腑に落ちないというか、すっきりしない気持ちになります。
なぜかというと
何か無理してない?
肩に力いれすぎてない?
それって疲れない?
こんな気持ちになるからです(笑)
そんな積極的に自分を評価することって大事でしょうか?
答えは・・・
もちろん大事!(笑)
ピンポーン!ですね。大正解だと思います。
自己を積極的に肯定することで、自分の生き方ややり方に自信がつき、毎日を豊かに生きることができるなら少し無理したって、疲れたっていいと思います。
その一方で、対極である自己を否定する。自己否定というやつですね。
これはよくないですね。
【あの時のA君への注意の仕方はよくなかったな。最悪だ。】
【うわ、財布をトイレに忘れてもた、何してんねん自分!馬鹿野郎!】
他にも、頑張って作った炒飯を皿ごと床に落とすとか・・・。
こんな感じで僕も時々、自分を否定してしまいます(笑)
でも、自己否定って、【心に余裕があるとき】は笑い話にできますよね。
こんな失敗してさ~あはは的な感じで。僕だけでしょうか?(笑)
これも一種の自己肯定のやり方の一つかもしれませんね。自己否定を拭うために、または軽くするために笑い話にする。
ただ、【心に余裕がないとき】私たちは、はたして自己肯定できるのでしょうか?
仕事場での人間関係のストレスや、大学入試に向けた勉強のプレッシャーなどで疲れたり、イライラしたり、落ち込んだりすることってありますよね。
おそらく人間なら誰しもが経験することではないでしょうか。
そんな時、
【上司のAに仕事のミスで怒鳴られたよ。でも、自分のやり方は間違ってない。次はうまくやれるさ。】
【模試でC男は100点で自分は60点!でも、大丈夫。自分ならもっとやれるはずだ!】
こう考えられる人って、とても少ないのではないでしょうか。
大体の人はショックで落ち込んだり、自信をなくしたりしませんか?
よくネットやTVでは、自己肯定感を高めるためには他人と比べないと書かれたり、言われたりします。
でも、それって現代社会では不可能ではないでしょうか?
2,3年ほど前、とある記事が目に入りました。
それは幸福度で世界一を誇ってた【ブータン王国】がスマートフォンやパソコンなどネットの普及で幸福度が下がったというものです。
ネットの普及により、他国と自国の暮らしぶりを比べてしまったのかもしれません。もちろん理由はほかにもありますが。
隣の芝生は青く見えるということわざがあるように、人は他人と比べてしまう生き物であり、上記にある、ネットの普及によって視覚や聴覚に恐ろしいほどの情報が注ぎこまれる時代です。
【Dさんってお金持ちで勉強もできて、おまけにカッコイイ彼氏もいるんだ・・・。】
【あの芸能人いつもいい車乗って遊んでるのに、自分は毎日貧しい日々・・・。】
こんな気持ちを抱いても、自分の生き方はやり方は正しい、間違っていないと積極的に自己を肯定するなんて、僕には絶対できません(笑)
話がとても長くなりましたね(笑)本題はここからです(笑)
そこで私はタイトルでも記した、自己受容感?を推したいと思います。
自己受容感という表現があるかは怪しいですが、、、
自己受容とは
【自己受容】・・・その人が置かれている現実の状況を受け入れること。
引用(キズキ共育塾 https://kizuki.or.jp/)
これを簡単に表現すると
【ありのままの自分を認め、受け入れる】
こんな感じでしょうか?
この自己受容感と自己肯定感を比べてみると、、、
自己肯定感 【上司のAに仕事のミスで怒鳴られたよ。でも、自分のやり方は間違ってない。次はうまくやれるさ。】
自己受容感 【上司のAに仕事のミスで怒鳴られたよ。でも、今の自分はそんなもんさ。】
自己肯定感 【模試でC男は100点で自分は60点!でも、大丈夫。自分ならもっとやれるはずだ!】
自己受容感 【模試でC男は100点で自分は60点!でも、しょうがない。今の自分なら60点が妥当だな。】
こんな感じですかね。
自己受容感で考えると、ほんのちょっと気持ちが楽になりませんか?
力が入っていた肩がすぅ~と楽になりませんか?
つまり、僕は
「自己肯定感よりも自己受容感を育んでいくことが人生を豊かにすることができる。」
これを言いたかったのです。長い道のりでした。
ネットにより、FacebookやInstagramなどのSNSがますます進化を遂げ、人間はさらに他人と比べられる、比べてしまう世の中になっていくでしょう。
ネットの進化により、これからは聴覚や視覚だけではなく、味覚や嗅覚でも情報が入ってくるかもしれません。(芸能人が投稿した食事の写真から匂いや味が伝わってくるとか(笑))
情報モラル、情報モラルといいますが、もうモラルなんて議論している暇なんてありません。
今は2~3歳の幼児がiPhoneやiPadを駆使してYouTubeの動画を見る時代です。
私たちは、生まれた瞬間から情報社会の一員にほぼ無意識になってしまっているのです。
僕は情報社会=他人比較社会だと思っています。
だから、そんな時代だからこそ、僕はこう言いたい。
「他人と比べてしまうのは仕方がない。でも、君は君だよ。」
私のこの自己受容感の考えはアドラー心理学を知ったからです。
アドラー心理学では、自己受容+その次を考えるというのが大事だと言っています。
例)テストが60点だった、でも、今の自分は60点でも仕方がない。じゃあ、次は61点、62点、それこそ100点を取れるためにはどうしたらいいのかな?
これができたら最高ですね。他人比較社会の現代にとって。この考え方ができたら人生はもっと楽になるでしょう。
でも、ますは自己受容感からスタートしてみてはいかがでしょうか。
その次を考えることもできないほど、心に余裕がない時ってあると思います。
自己受容感<自己受容+その次を考える<自己肯定感
こんな順番で、焦らず徐々に自分を認めていくのがいいのではないかと思います。
特に今日の子どもたちは大人に比べて知識や経験が乏しく、視野が狭いにも関わらず、他人比較社会に生まれてしまい、否が応でも他人と比較されることが多いのです。
私も子どもの頃、あいつの方が足が速い、頭がいいと比較したり、されたりしました。とても嫌な経験です。
僕は勉強やスポーツの出来に他のお友達と比較して、悩み相談してくれる子によくこう言います。
「勉強ができなくても、運動神経が悪くても別にいいじゃん。そんな時もある。〇〇は〇〇やろ?人それぞれ。気にすんな。」
これを言い続けてると、よく子どもが僕の関西弁を真似て、人それぞれや。とか、そんな時もあるある。って言ってきます。可愛いですよね(笑)
しかし、可哀そうなことに今を生きる子どもたちは鉛筆1本でも人気アニメの物を持ってるかどうか比較されます。
また、流行りのyoutuberを知らないだけで、仲間外れにされてしまう世の中です。
別に鉛筆なんて書けたらなんだっていいし、youtuberなんて1人も知らなくたって、人生を豊かに過ごせるはずなのに・・・。
より明確に、より顕著に他人と比較されてしまうのです。
世の中は便利になる一方で、どんどん生きづらくなっている気がします。
ならせめて、先を生きる私たち大人が声を大にしてこう言ってあげてほしいのです。
「他人と比較しても仕方がないよ、自分は自分。○○は世界にたった一人しかいない特別な存在なんだよ。」
この言葉を子どもたちに自信をもって言うために、まず私たち大人が自己受容感を高められる世の中にしていきたいものですね。
今日はここまで。ありがとうございました。
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