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1,200円で“死ぬまでに一度は見たい景色を見に行く勇気”を買った
服装を変えるだけで、本来ならば浮いてしまいそうな場にも難なく溶け込めることがある。
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たとえば、音楽のライブ。
にわかファンでも、ライブTシャツさえ着れば臆することなく楽しめる。
たとえば、高級レストラン。
ちょっといい服を身にまとえば、常連みたいな顔で食事ができる。
たとえば、テーマパーク。
かわいい耳を装着すれば、残業続きでぐったり疲れていても、きらきらした世界の登場人物になれる。
心配性で自分に自信がない私でも、服装次第でえいっと飛び込む勇気が湧いてくるのだ。
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今回は、たった1,200円の服があこがれの国へ連れて行ってくれた話を書いてみたい。
行ってみたい、でも勇気が出ない国
その日、私の人差し指はスマホの画面をしきりにさまよっていた。2023年4月のことだ。
航空券比較サイトを見て、閉じる。また航空券を探しては、閉じる。
翌月の休暇で旅する国を決めかねていたのだ。
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候補の第1位にあったのは、イスラム教の聖地を擁するサウジアラビア。2019年まで異教徒が自由に旅行できなかった国だ。イスラム教の国を旅するのが好きな私にとって、ずっとあこがれの存在だった。
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でも、訪問する勇気がなかなか出なかった。異教徒の女性には旅しづらい国だと思っていたからだ。
サウジアラビアでは、イスラム教徒の女性は外出時、常に「アバヤ」(全身を覆う黒い衣装)を身に着けなくてはならない。女性が自動車を運転できるようになったのも、ごく最近のことだ。
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日本とはまったく違う文化の国を、異教徒の女性がひとり旅できるのだろうか。アバヤの国に放り込まれたら、とんでもなく目立ってしまうのでは?
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それまで60カ国程度を旅した経験があったし、その大半はひとり旅だ。わりと旅慣れしているほうだろう。それでも「大丈夫、ひとりで行ける」という確信が持てずにいた。
アバヤを着れば、溶け込めるかもしれない
勇気が出なくても、いつまでもサウジアラビアへの好奇心を抑え続けることはできない。
ひとまず日本でアバヤを手に入れられるかどうか調べてみることにした。
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経験上、海外ひとり旅で安全に過ごすためには、何より目立たないことが重要だ。肌の露出が許されないイスラム圏の国では、長袖・長ズボンが絶対。逆にビーチリゾートでは、開放的な服装でないと浮いてしまう。
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じゃあ、サウジアラビアでは何を着ればいいだろう?
長袖・長ズボンだけでは心もとない。地元の女性と同じようにアバヤを着て初めて、現地の風景に溶け込める気がする。
日本でアバヤを買い、それを身に着けた状態で入国できるなら、ひとりでも堂々とサウジアラビアを旅することができるのではないか――。
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そう考えて最初に検索したのがメルカリだ。いま思えば大手通販サイトで探してもよかったけれど、「メルカリで売り買いしている人がいるなら大丈夫」という、謎の信頼めいたものがあった。
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祈るような気持ちで「アバヤ」と検索すると、あっさり見つかった。しかも送料込みでたった1,200円。拍子抜けしつつスマホをポンポンとタップしたわずか2日後、私のもとへ異国の衣装が届いた。
ユーズド品のようで、袖口のビーズがまばらだ。「誰かがこれを着ていたんだ」と思うと不思議な安心感を覚えた。
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「着方はこれでいいのかな?」と思いつつ、すっぽり頭からかぶってみる。身体のラインが見事に隠れた。髪を覆えば、年齢さえわからないだろう。
これなら大丈夫かも――。そう思えた瞬間、それまでどうしても勇気が出なかったのが嘘のように、航空券をポチッと買うことができた。
アバヤが見せてくれたサウジのリアル
どきどきしながら迎えた出発の日。トランジットの空港で搭乗を待っているとき、アバヤに着替えた。
なんだか違う人になったような気がして、珍しく自撮りをして家族に送った。ゲート付近はイスラム教徒らしき人ばかりだったが、ちらちらと見られる頻度が明らかに減ったのを感じる。
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緊張は消えない。でも、なんだか大丈夫な気がしてきた。
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入国してみると、これまで経験したことがないレベルの暑さだ。滝汗をかきながら「イスラム教徒の女性たちはどんな暑さ対策をしているのだろう?」という疑問が浮かんだ。そう思って観察していると、そもそも外を歩いている女性はほとんどいないとわかった。
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イスラム教徒の女性は、身体だけでなく髪も隠さなければならない。髪を隠す「ヒジャブ」も着けてみた。
ニット帽に髪をしまい込んだあと、さらにフードのような帽子をかぶって、おでこや首元を隠す。「だからイスラム教徒の女性たちの後頭部は尖っているのか」と、長年の疑問が氷解した。
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自分が着ているからこそ、現地の女性たちのファッションも気になる。遠目から見ると全員似たような服装だが、こっそり近づいてみると、アバヤのディテールは人それぞれ違うことがわかった。海外ではメイクしない派だけど、現地の女性を真似てアイラインを強めに引いてみたりもした。
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これまでイスラム教の国をいくつも旅してきた。それでも、アバヤを着てみたおかげで視点が変わり、新鮮な体験ができたのだった。
一歩踏み出す勇気はメルカリで買える
アバヤを着ているから、ある程度は現地の風景に溶け込めていただろう。だが、どうやってもその国の人には見えない。
だからこそ、行く先々で「アバヤ素敵だね、どこから来たの?」「こちらの文化をリスペクトしてくれてありがとう!」と声をかけてもらった。
「異教徒がこの服を身に着けることで、かえって失礼になったらどうしよう」という不安もあったが、これらの声かけにより、すこし気持ちが楽になったのを覚えている。
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特に聖地・メディナでは、一見して異教徒とわかる人はほとんどいなかった。本来の自分なら、気おくれしてしまって堂々と振る舞えなかっただろう。歩きまわるのをためらい、ホテルの部屋に閉じこもっていたかもしれない。
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だが、アバヤを身に着けているという自信が私を大胆にした。現地の人になったような気持ちで、群衆にまぎれて自然体で街を歩くことができた。サウジアラビアで見た景色と、身体中からむくむくと勇気が湧いてくるような感覚は、一生忘れられないだろう。
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支払ったお金はたった1,200円で、労力といえば数回スマホをタップしただけ。ただそれだけで、「人生で一度は行ってみたいけど、無理かもしれない」と思っていた国で、ずっと見たかった景色のなかに身を置くことができた。堂々と振る舞えて、コミュニケーションまで生まれた。
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勇気はメルカリで買える――。心配性で内向的な私にとって、これは大げさでなく、人生を変える大発見だった。
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