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誰もが自分の中に多様性を持っている

お休みの方もお仕事の方もお疲れ様です。

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聞いたことある人も多いかもしれないが、「認知の歪み」という概念がある。誇張的で非合理的な思考パターン、人間の脳に備えついたバグと言われるような思考パターンのことである。

生きづらさを全く感じない人などおそらくいないと思うが、私も学生生活および社会人生活において生きづらさを感じてきていて、おそらくそれにはこの認知の歪みが関係している。

その中でも今日は「レッテル貼り」と「〜すべき思考」について考えたい。

私は、平日、オフィスに入ったときに、言われようのない感覚に襲われる。まるでロープで体をぎゅうぎゅうに縛られているような、窮屈で恐ろしい感覚だ。

土曜日と日曜日はすごく楽しくて、行動や思考に制限がなく、簡単に言ってしまえば自分の思うまま感じるまま過ごすことができる。

けれど、月曜日がきて会社のエレベーターに乗り、オフィスの自動ドアをくぐった瞬間、自分の中でオフィス用のスイッチが入る。仕事に対してポジティブなスイッチならいいのかもしれない。でも私の場合は、窮屈で思考や行動が縛られるような、そんなネガティブさを含んでいる。

これがもしかしたら自分自身に対する「レッテル貼り」と「〜すべき思考」によるものなのかもしれない。「私は〜〜な人間だから、〇〇しなければいけない。」と。

例えば、「私は仕事のできる人間でいなければいけないから、オフィスではこう振舞わなければいけない」とか、「オフィスではちゃんとしてる人でなければいけない」とか。

こういう思考って一体どこで生まれたものなのか分からないけれど、
たしかに私は、会社ではこうあるべきだという思考を持っているし、それに縛られている。

それはまるで、オフィスにいるときの私は一面しかなくて、まったく偏差を持たないガチガチの人間かのように。

でも、わたしにも実は多様な面があって、仕事に対して不真面目だったりサボりたかったり、眠かったりめんどくさかったり、ちゃんとしたくないと思ったり、する。

オフィスにいるときにやる気が出なくて仕事が捗らないときもあるし、トイレに居眠りしにいくときもある。問題なのは、そういう自分を認められず、「『本来ならば』私は真面目でちゃんとした人間なんだけど、、、(これは本来の私ではない)」という思いに支配されていることだろう。

それに対処するためには、自分の多様な面を認めよう、と思うようになった。自分の中にある多面性を認められれば、行動や気持ちを支配された気分になることは少なくなるだろう。さらに、自分の多様性を認めることで、他人の中の多面性を認められるはずだ。

「レッテル貼り」を他人にすることも多かった。そしてそれがそのまま自分に返ってきていた面もあるだろう。「この人はこういう面もあるし、ああいう面もあるし、そういう面もあるんだな。」そういう思考に変えて行くことで、自分自身の多面性も認められる。

転職してからこの数ヶ月間、週末と平日のギャップに疲れていたけれど、「レッテル貼り」と「〜すべき思考」を辞めていくことでちょっとでもそのギャップが埋まればいい。そして、週末だからこういう人格、平日だからこういう人格となるのではなく、毎日を通してひとりの人間でいれればいい。多様な面を持った、ひとりの人間として。

どんな人でも多様な面を持っている。多寡はあるかもしれないけれど、周囲から見えていない面がきっとあるはずだ。その多様性に想像力を馳せることで、誰かの生きづらさが少しでも解消されればいい。

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