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【書籍一部公開】#2 山男による薪割りレッスン。


皆さん、こんにちは。さて今日は、書籍「18歳女子が、カナダ放浪旅で見た世界」の一部公開、第2弾です!より多くの人に、文章×動画という形で、旅を楽しんでもらうために公開を決意しました。(動画は相方マイケルたいが、が作ってくれました!)内容は、書籍の中での第三章であるカナダ横断旅です。前回は砂漠に住む夫婦との一日を紹介しましたが、今回はその次の日に起こった山奥に住む山男さんとの一日です。では、どうぞ!


私たちはまた、ヒッチハイクを再開するためにガソリンスタンドへ行った。ガソリンスタンドには長距離移動の人が多く、ヒッチハイクをするにはもってこいの場所なのだ。まず先に、端にあった小さな芝生でランチを食べて、一服してからヒッチハイクを始めることにした。そのランチは、ママが別れ際に、袋に詰めて渡してくれたサンドイッチで、温かいママの味がした。私はそれを味わうためにうさぎのように、少しずつよく噛んで食べた。
食べ終えて芝生で休憩していると、一人のサングラスをかけた、ごつめの四十代男性が話しかけてきた。
「お前らヒッチハイクしてるのか?乗って行けよ。」
でかいバックパックを持った若者二人がガソリンスタンドにいる時点で、ヒッチハイクと見なしてもらえるらしい。
彼の見た目は少し怖かった。向こうから助けてもらうという珍しいパターンに遭遇でき、有難く思った。
そして彼がトラックにガスを入れている間、私たちは荷物を荷台に乗せた。そこで相方が
「僕たちもこの荷台に乗っていいですか?」と聞いた。彼の答えはシンプルに、「NO」だった。
彼ははっきりした性格だ。いわゆる、優しいが無駄な言葉は決して発さない、ツンデレタイプの人だ。
もちろん言う事を素直に聞き、相方が助手席に、私は後部座席に座り、ガソリン満タンでトラックは走り出した。トラックの中は緊張感が漂い、なんだか彼は師匠のような雰囲気をかもし出していた。
私は沈黙を埋めるべく、頑張って言葉を発した。
「今日は晴れで本当に良い天気だな!」
声を半オクターブあげて、こういう時に一番安泰な、どうでもいい一言を言った。すると
「シーーーーーン」
私が聞こえたのは高速で走るトラックのエンジン音だけだった。
「ああ、やってしもた。」と思った。
私はフォローをしなかった相方に少々怒りを覚えつつ、何も起こらなかったようにまた窓の外を見た。
トラックは、きらきら光る湖沿いや、生い茂る緑の中を走った。その感動を今度はひとりごととして「Beautiful」と呟いた。
すると師匠が
「あれを見ろ、虹だ。」と窓の外を指さして言った。
可愛いところもあるんだなと思った。が、それよりも一刻も早く心を開いてもらおうと、
「今までで見た中で一番綺麗な虹だ、すごい!」と私と相方は若干オーバーに答えた。彼は嬉しそうにしていて、車内の雰囲気がポッと柔らかくなった。
そこからの道のりは結構あった。出発してから四時間くらいした後、「ゴールデン」という街の山奥に住んでいると言った彼が、
「お前たち、俺の家に遊びに来たいなら、今夜一泊していきな。」と言った。
「え、本当に!?」急にホームランボールが飛んできたのだ。
「じゃあ、夜飯の材料とお酒買いに行くぞ。」
「やったーーー!」
私たちはホームランボールを見逃すことなくかっ飛ばした。
 街で買い物を済ませたあと、師匠が住む山奥へと向かった。その道のりは今にも熊がでてきそうな、森の中だった。朝は砂漠にいたはずなのに、もう緑の生い茂った山奥に来ていて不思議だった。
「ここが俺の敷地だ。」
二回目のホームステイ。一件目と同様にでかい門があって、トラックごと門をくぐった。ゆっくり向こう側から近づいてくる貫禄のある大きな建物。
「ついたぞ。今からガレージを開けるからそこに荷物を置きな。」
と言い、ガレージのシャッターがゆっくり自動で開いた。家は、ガレージの上に乗っかっている形だった。その建物は師匠のように、「ドン」と構え立っていた。そして師匠はそいつを自分で作ったと言った。
「カナダの人は一体どうなっているんだろう。」と思った。皆当たり前のように、家を自分で作るからだ。
師匠は私たちに家の中を案内することもなく、黙って小さいじょうろを手に取り、お花に水をあげ始めた。どこまでが彼の土地なのか分からないほどでかい森の手入れは、よほど難しいだろうが、せめて家の周りのかわいい花は大切に育てているようだ。
そのあと、初めて私たちを案内してくれたが、それは小道を抜けた先にある、野外便所だった。彼が遊びで作った小さいボックス型のトイレだ。
「夜は月が見える俺のお気に入りの、ドアなしトイレなんだ。」と言って、微笑んでいた。
面白い人に出会ったものだ。自分で作った立派な家を一切見せず、代わりに遊びで作った野外便所を自慢するのだから。私は一度そのトイレを使わせてもらったが、辺りは木だけの薄暗い場所で、虫と共に月を見ながら用を足したのは初めてだったので、確かに少しワクワクした。
師匠は指笛を鳴らした。すると数秒後、犬が遠くから走ってきて私たちに挨拶をしてくれた。庭に二匹の犬がいたが、すぐに森の中に姿を消し、その時以来私たちはもう彼らを見る事はなかった。
ガレージの中には大量のスノーボードの板や体を鍛える機械、家を建てるための機械があり、それらは整理されていなかった。師匠は木で作られた机の上の、溢れる物を腕で向こう側に寄せ、できた少しの隙間にお酒を置いてくれた。
日が沈むと、
「よし、薪を割るぞ。」
と言って野外便所とは逆方向の広場へ行った。そして師匠は、そこにあったブツ切りされた丸太の上に木を置き、斧でそれを真っ二つにした。私と相方は声を揃えて、
「おぉーーー」と小さい声で長めに言った。
師匠は何度かお手本を見せた後、私たちに斧を渡した。残念ながら、私たちの振り下ろす斧はターゲットの木に刺さるだけだ。そこから彼は、私たちの本物の「薪割り師匠」となった。割れた木が集まると、それらを並べて地面に円型を作り、紙切れを底に敷き、火をつけた。私は薪を割る仕事には貢献できなかったので、うちわで火に酸素を送り続けるという役割を担った。
師匠は、大きく成長した火のそばにスピーカーとお酒とフリスビーを持ってきて置いた。私たちは三人で乾杯し、フリスビーをして、火の回りでダンスを踊った。師匠は「ハハハ」と笑っていた。
真っ暗の森の中にパチパチ響く火の粉の音。「人生を語ること」こそしなかったが、私たちは一気に仲良くなれた気がした。
その後、家の中に招待してくれた。階段を上がった先には、明るい色の木で包まれた広々とした空間が広がっていて、映画のスクリーンのように大きい窓がつけられていた。その日は少し曇っていたが、雲から垣間見える月は真っ黄色で美しかった。家の中は、師匠の印象からは程遠い清潔感溢れる内装だった。師匠はレゲエのレコードを大音量でかけ、大きい新品らしいキッチンで料理を始めた。私と相方は吊られていたハンモックで遊んだり、師匠がご飯を作っていたキッチンの回りを踊り回ったりしていた。今思えば怒られなく済んで良かった。
師匠が、麺の入ったボールを「ほら食え。」というようにテーブルにボールを滑らして私たちにくれた。
その料理の名前は分からなかったが、本当に美味しかったことは覚えている。そのディナーは、とっくに「夜食」になっていた。
私は横断が始まってからの二日間、ずっと夢を見ているようだった。その幸福を表す言葉はまるで見つからなかった。
その日は知らない間にソファーで寝ていた。次の日の朝六時ごろ、師匠がせかせかと出発の準備をしていた。また長い運転をしないといけなかったらしかったので朝早く家を出て、私たちは街で降ろしてもらい、次へ向かう事になった。師匠との別れ際、寂しくて涙がでそうになった。意外とあっさりしたお別れになってしまったが、私は「本当の人間の優しさ」や「シンプルな人生の楽しみ方」を師匠から教えてもらい、感謝した。これを忘れず生きていこうと強く思った。

 ⇩こちらが動画です🌈

https://youtu.be/h2LrKjcjHBk




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