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「読み語り『父と暮せば』」誕生! Side:鈎裕之

「芝居屋ゆいまの」の4人が、それぞれどのように「読み語り『父と暮せば』」と関わっているのか、関わるようになったのか、のエピソードを本人が語ります。今回は音響・照明担当スタッフ鈎裕之の場合――

肉声の会話の魅力、再発見

「学園座」の先輩3名が社会人になり30余年経ってから取り組むことになった「読み語り『父と暮せば』」。
その初回公演は2023年8月5日だが、リモートでの打ち合わせと稽古は同年4月にスタートした。

最年少の私は電気管理の本業が忙しいため、4ヶ月もの間フルで時間を割くことができない。
この芝居は音響効果や舞台照明による大掛かりな演出も要らないようなので、公演当日の電気配線と雑用を手伝う程度の軽い気持ちで加わった。

稽古開始時、5月にはコロナが第五類扱いになるとの情報を既に得ていた。この芝居の父役の岩渕先輩は群馬県在住、娘役の由利子先輩は栃木県在住、演出兼広島ことば監修を担当する(妻)のりこ先輩と私は千葉県在住。
各地に散らばった状態で台詞合わせを続けるにはインターネット(IT)を用いたリモート稽古しかない。頻度は週に1回。

2020年以降、コロナ禍によって世界各地で人々は他人と直接対話する機会が減り、ITを用いてリモートで話す手段を試し、新しい日常に慣れる必要があった。
この芝居のリモート稽古も、慣れさえすれば大丈夫かもと、深く考えずに稽古の様子を横で聞いていた。
なるほど、遠隔地にいる相手との言葉のキャッチボールとしては、ローコストで手軽ではある。わざわざ時間と交通費をかけて1ヶ所に集う必要がないのだから。
新しい稽古スタイルに慣れようとする演者の努力も窺えた。それぞれの場所で、役の気持ちをこめて台詞を発していたのだろう。

だが、何かが違う。IT回線を通した父娘の会話には、不自然さを感じた。

この芝居に登場する父娘の言葉のやりとりは、決して事務連絡ではない。事務連絡であれば意味さえ通じればよく、間(ま)が多少ズレても構わない。人は誰しも直接対面して人と話すとき「間」を忍び込ませている。意識的にそうする場合もあれば、無意識の場合もある。何かしらの意図を発話者がその「間」に持たせているのだ。
リモート稽古の「間」は明らかにそれとは異なる。父娘の会話が不自然に聞こえるのは、リモートゆえに生じたこの妙な「間」にあると気づいた。
この状態で公演日を迎えてよいものか。不安が募った。

同年6月、ようやくメンバーが集う対面稽古が実現した。
場所は群馬県高崎市の公民館の会議室。
対面稽古に立ち会った私の目的は、脚本のト書きに記されている、雷鳴等の効果音や音楽などを鳴らすタイミングを考察することだった。

会議室での稽古が始まり、演者2人の台詞のやりとりを聞いて驚いた。
2人はいかにも父娘らしい会話を成立させていたのだ。会話の「間」にも不自然さが感じられなかった。
対面での会話にはリモートに及ばない何かがあることを再発見した瞬間だった。

言葉には、その意味がそのまま表に出ている言葉と、表に出ておらず裏に本当の意味が隠れている言葉がある。裏に隠れた意味が見え隠れする言葉のやりとりは、それだけで発話者の感情の起伏が感じられる。
文章を読む場合にたとえると、文字面だけを読むのではなく、「行間」「文脈」を読むのと近い感覚である。
もしかしたらIT回線を通した声は、時間のズレがあるだけでなく、微妙な周波数や揺らぎも減衰しているのかもしれない。

人の声には、発話者の主張、小さな喜び、ささやかな望み、ためらい、迷い、あきらめ等の極めて微妙な感情の起伏が込められている。
観客に肉声で言葉を届ける今回の芝居の肝はそこにあると気づき、決心した。
2人の肉声による台詞のやりとりの妨げにならないようにしながら、この芝居の本質を観客に味わってもらえるよう、音響効果と舞台照明の側面から精一杯に後方支援することを。

*   *   *   *   *
芝居屋ゆいまの京都公演「読み語り『父と暮せば』」
2024年4月6日(土)17:00~/4月7日(日)14:00~
会 場:法光寺(京都市上京区中長者町通西洞院西入中橋詰町172)
定 員:各回40名(お申し込みが必要です)
料 金:1000円  中高生500円(全席自由)
    当日受付にてお支払い(現金のみ)
お申し込みはこちらから↓↓↓Googleフォーム
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSe9aPB0Mxfpo0hsYRxryucjSjPXuEDomThNoRkRul75h3fjEg/viewform?usp=sf_link

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