見出し画像

お茶会の「段取り」力

「来週の日曜は月釜当番さかいに、あなたもよかったら来なさいね」

お稽古終わりに先生が声をかけてくれたのは、月釜へのお誘い。月釜とは毎月各地の茶室で開かれる、一般の方向けのお茶会のこと。お稽古場のお寺では、年に一回このお茶会の当番がまわってくるそうで、それが今年は7月なのだとか。

”誰でも参加OK”の月釜。これまで気になってはいたものの、さすがに経験ゼロで行く勇気はなかった。今もまだまだビギナーゆえ不安は多いが、その月釜に行けるチケットが、それも亭主である先生公認で、私のもとにやってきてる。それに、先生が再び当番となるのは1年以上も先。「ぜひ!参加したいです!」私はほとんど予定も確認せず、二つ返事でそう言った。

当日。月釜が開かれていることを示す「在釜(釜を炉にかけていますよ、の意味)」と書かれた布を確認して、恐る恐る中へ。待合場所には、ざっと30人ほどが談笑したり庭を眺めたりしながら自分の番を待っている。その8割が着物姿。洋装の人もいるから全然大丈夫だよ、とお稽古の先輩から聞いて安心して洋装で来たけれど、やっぱりお茶事の世界では着物がスタンダードなのね…と気持ちが余計に小さくなる。

コロナの影響で、一席あたりのお茶室に入れる人数が少なく設定されおり、2時間以上は待たなければならないとのこと。そこで先輩が気を利かせて、社中さん(同じ先生についているお稽古仲間)がお手伝いをしているバックヤードで私も待たせてもらえることになった。

バックヤードで行われるのは、道具を揃えたり、お湯を沸かしたり、お茶碗を清めたりする「水屋仕事」と呼ばれるもの。注文をとったりすることもなければ精算もない。お菓子と一杯のお茶をお出しするだけなので、作業自体はとてもシンプル。けれど、重要なのはどうやらタイミングらしい。何度も簾の間からゲストの様子を覗くなどし、誰もが表の気配に集中している。

ゲストがお茶室に入るタイミング、お菓子を冷蔵庫から出して器に盛るタイミング、お茶碗を運ぶタイミング、社中さんがお茶碗を下げてくるのに合わせて、それを洗うための熱湯をたらいに溜めるタイミング。全体の流れに合わせ、少しだけ先回りするように、作業を進めていく。担当が決まっているわけじゃない。その時々の近くにいたり手が空いている最適な人が、誰に言われるわけでもなくそれをやる、という流れが静かに繰り返される。この日は7人の茶席が全部で14席(セット)あったから、その一席ごとに水屋でも同じ流れがリピートされたということだ。

「みんな無駄がないでしょう。家事もテキパキこなせるようになるわよ」と、社中さんの動きに見惚れている私を見て、先生が言う。

道具の扱いを理解しているのはもちろん、茶室での進行を把握し、最適なタイミングでアクションを起こす。そのためには、なにより入念な段取りが不可欠だ。

私の母親がそうだったように、ひとつ上の世代までは、茶道は花嫁修行の一環でもあった。だから時代が変わり、花嫁修行どころかそもそも結婚しない選択も当たり前になっている今、では茶道のお稽古はもう必要ないの?というと、そんなことはないと思う。このチームワークを支える段取り力は、仕事でもかなり試されるものだと思うのだ。私の場合「編集は段取りが全て」と先輩編集者に何度言われたことか…。お茶会もそれに同じく。そんな凄まじい段取り力を見せつけられた月釜体験であった。

🍵私は茶道の初心者です。ここでは茶道の作法やハウツーではなく、私が日々のお稽古で感じたことを綴っていきます。自分の備忘録として、また茶道に興味のある人やこれから茶道を心得てみたい人の少しの参考になればと思います。もしも情報部分での誤りがあれば教えてください。みなさんと一緒に学びを深めていけたらと思います🙇‍♀️


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?