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「どこが好き」って言葉にするのが正解だと思っていた

私は言葉をとても信頼している。
人は言葉や文字を通じて他人を知ったり、他人に知ってもらうことができるから。

もちろん音楽や写真や絵画、言葉を用いないで何かを表現したり、伝えたりすることもできる。

それでも言葉を一番信じていた、いや今も信じているのだと思う。


「好きです、付き合ってください」

出会って3時間の人にそう言われた。
数年ぶりに他人から寄せられるストレートな言葉と真剣な眼差しに、勢いに思わず「はい」と返事をしていた。

目の前で飛び跳ねそうなくらい大喜びするその人のテンションにはもちろん付いていけず、ただ呆然と立ち尽くしていた。

私が有楽町の改札まで彼を見送り、そのあとすぐに友達に電話をかけた。

「今大丈夫?少し聞いて欲しいのだけど、突然告白されてハイの返事しちゃった……どうしよう……」

たぶん3人くらいに電話をかけ、話を聞いてもらったと思う。改札口で彼を見送ってから行く当てもなく歩いていた。気が付いた時には私は神田駅にいた。
現実を自分の中でやっと認識でき、心のざわつきも幾分納まってきたから、ひとり帰りの電車でさっき起こった信じられないような出来事を反芻する。

「彼は私のどこが好きなんだろう」
「彼は私の何をそんなに好きになったんだろう」

そんなことばかりが頭の中に浮かんでは消え、そしてまた疑問でいっぱいになった。

私は彼ではないからこんなこと、いくら考えたって仕方がないのになぜ?がこびりついて離れない。
一目惚れをしたことも、出会って数時間で告白をしたこともない私にはその気持ちの動きと行動が何一つ分からなく、不安だった。


付き合った、といってもほとんど初対面なのでデートではとにかく話してお互いのことを知っていくのが最初だった。

デートの度、私は彼に「私のどこが好きか教えてほしい」とねだった。
彼はすごく困っていたのを今でもよく覚えている。
「語彙力がないし、言葉にするのは苦手だから……」と言いながらも、一言ずつ絞り出すように私のどんなところを良いなと思ったのか教えてくれた。
そして最後には必ず「まだ上手く言葉にして伝えられないや、ごめん」と申し訳なさそうに言った。

優しい
明るい
表情豊か

そんな誰にでも当てはまってしまうような言葉では満足できなかった。
一目惚れするくらいの、特別で個別的で素晴らしい好きの理由があるはずだと思い込んでいたから。
そして「どこが好き」と具体的に言葉にして相手に伝えられることこそ、私のことを好きになった証のように思い込んでいたから。

デートの度に私が無意識に行っていた「どこが好き?」の搾取に、彼は嫌な顔も見せず、むしろ好きな所を1つでも2つでも言葉を尽くして伝えようとしてくれた。
その誠実な姿勢に触れ、どこが好きかを言語化してもらえなくともこの人は私を本当に好きなのかもしれない、と思うようになった。

気付けば私も彼を好きになっていたのだと思う。
でも「どこが好き?」とその時もし彼に問われていたら、私は上手く言葉にして答えられなかった気がする。
それなのに、相手にばかり言葉を求めていたことに今さら気が付いた。


私は言葉をとても信頼している。
だから自分の気持ちや考えたことを相手に伝えるには、言葉を丁寧に紡ぐのが絶対唯一の方法だと信じてやまなかった。

「どこが好き」かを言葉にできなければ好きな気持ちまで疑っていた。

でも「どこが好き」かを上手く言葉にできなくても、好きな気持ちに偽りがあるなんてことはなかった。

だって好きなものは好きだから。

触れたいと思うのも、知りたいと思うのも、抱きしめ合った時にしっくりくるのも、幸せであってほしいと思うのも、全部好きだから。

なぜ?
と問われても「好きだから」以外にうまく説明できないことがあるのだと知った。

どうして触れたいの?
ー好きだから
どうして好きなの?
ー触れたいから、特別だから

馬鹿みたいだけれど、惚れてしまった時って案外こんなことしか言えないものなんだ。

もしあの夏に戻れるなら「どこが好き」を執拗に求めるのはやめて、彼のあの真っ直ぐで真剣な眼差しを信じる私になりたい。
そして真摯に答えようとしてくれた彼をもっと好きになりたい。

私のどこが好きかを言葉にしなくても、あなたの好きを信じるよ。

それでもなおどこが好きかを言葉にして伝えてくれるなら、私も同じくらい一生懸命言葉にして伝えるから。


「どこが好き」って言葉にすることだけが正解じゃないって、今なら分かるから。

だって今、うまく言えないけれど、間違いなく君が好きだから。

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