人間は止まれないようにできている。

Squamishにあるホースランチ(馬牧場)で野外で行うArt play of Yogaというワークショップがあったので行ってみた。

たまたま目についたのと、都合がついたから行ってみた。
というわけで、どんなことをするのか全く無知のまま参加。

着いてみると、ヨガマットを持ってきているのは私だけ。
どうやらヨガでもないらしい。

まあいいや、この場所一度来てみたかったし。
川のせせらぎ、森の香りと実際思っていた通りに素敵な場所。

しかしここで何をやるのだ?
一体どんなことをやるのか全然わからないままワークショプが始まった。

体のパーツに委ねて動く

どうやら、このワークショップは、体のパーツや感情にフォーカスして、心のままに自由に動き回る(踊るでもなく、動く)というものらしい。

マインドには黙っててもらって、心の動くまま、とにかく体の動きを止めてはいけないそうだ

最初は手足に意識を向けて、手を伸ばしたり回したりしながら歩くような、わかりやすい動きで始まった。
そのうち肘や足の裏や乳首(!)といった体の部分にフォーカスして、そのパーツに心を委ねて動きたいように動く。

なんだか変な感じだったけど、慣れてくるとマインドが静かになり、体の動きたいままに任せて適当に動きまわってみる。
外だから、体が行きたいように何処へでも。
もちろん、全員。なんとも不思議な風景。笑

このワークをやってみて思ったことがある。

*人間って動かずにはいられない生き物なんだなあ。
*人間は本来は屋外で生活するようにDNAに組み込まれている気がする。
*人間は直線や四角な動きが苦手なんだなあ、そういえば室内って直線ばっかりだな。

感情に体を委ねて動く

体のパーツが終わって、今度は感情がリードする動きに変わる。

*幸せ・ワクワクを体で表現する
これは簡単にできる。らららー♪っていう感じ。

*イライラしてムカついている
もおおおお、あ”ぁ”ぁ”ぁ”!って感じ。うん、できる。

*怒っている、嫌っている。
心の中でFxxk!! って叫びながら、動きで表現。 うん、できる。

**だけど、「悲しみ」を動きで表現しようとしたら、できなかった
というより、動くことができなかった。

「悲しい」は動けない

悲しいって動けないことなんだ。

嬉しい、楽しい、嫌い、怒り
この4つはどれも生きる原動力になる。
でも、悲しいは、原動力にはならない。

もしかしたら、動く気にならない、やる気が出ないっていう正体は、
大枠でいうと「悲しみ」なのかもしれない。

なんだか、すごい発見をしたような気分。

ついでに、体とハートが教えてくれたのだけど、悲しみから抜け出したいときには動くしかないってことにも気づいた。

日常生活でも、ある程度沈んだ後に、そろそろ悲しみから抜け出したい、という気持ちになった時は、ただ歩くだけでもいい、できれば大手を振って大股で歩くとか、とにかく体を動かすことが必要なんではないだろうか。

それでも立ち止まれないのが人の性

たまには立ち止まることは必要だけど、でもやっぱり、立ち止まる時間よりも動いて、動いて、進化し、変化し続ける方が、人間の性にあっているのだろう。

どんどん変わっていくことの方が自然で、変わらない方が不自然なのだ。(見た目や体格も含めて)

頭は良くも悪くも、やいやいとウルサイけど、体とハートだけに委ねると今まで見えてこなかったことが見えてくる。

新たな発見。万歳!

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