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ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー

私の読書遍歴は母に育てられているところがある。

今回、一時帰国した時に、母が「これ読んでみたら?面白かったよ」と言って手渡された本が「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」(ブレディみかこ著)だった。

なんの前情報もなく読み始めてみたら、これが面白い。
大まかにいうとイギリスの海沿いの街、ブライトンで暮らす著者一家は、貧困層と中流家庭が相混じり合う通称「まだら団地」に住んでいる。

著者の一人息子は小学校までは有名私立とも劣らないカトリック系の優秀公立学校に通ったものの、本人の希望で中学校からは底辺中学校と呼ばれる人種や様々な家庭・経済状況が入り混じった「底辺」と呼ばれるいわゆる荒れた中学校に入る。そこで見えた格差やアイデンティティ問題を息子の経験を通して書いたノンフィクションだ。

同じ英語圏とはいえ、イギリスとカナダでは政治も教育も異なる部分もある。だけどイギリス同様「カナダ人」といっても多様な人種背景がありそれぞれの文化や経済状況がある。
その中で育っていくティーンの様子や、日本ではありえない問題(人種差別やドラッグ問題など)に出くわすところなどはカナダのそれと同じで、親としてとても共感できる部分がそちこちにあった。

私の住む街は、裕福な家庭が多いエリア(私が住み始めた当初はレッドネック=肉体労働者の多い街だったのだけれど、バンクーバーに近いこともあってここ5年で裕福層が流入してくる街になった)なので、おしなべて優良学校の多いエリアでもあると思う。だから、8つある学校のうち、著書のような「底辺中学校」という学校が存在しない。
(一点激しくうなずけるのは、日本のような部活がないので、スポーツで秀でてくるのは、子供にお金をかけられる余裕のある家庭で、そうでなければなかなかチャンスがない。という点だ。)

本に例えるなら、わが町は全体的に言って「優秀カトリック系学校」に似た環境だ。集合中宅地が多いダウンタウンやモールに近いエリアと、一軒家しかない住宅エリアではダイバーシティーを形成する要素が多少、異なっているという程度だろうか。

また、わが街にはファーストネーション地区もあるので、ファーストネーションが多いエリアと全くいないエリアというのもできてしまう。
誤解を恐れずに言えば、一般的に言ってファーストネーションの人たちは経済力が低く、様々な問題を抱えている傾向にある(この話だけでも大きなトピックになるのでまた今度)。

しかし、BC州の街、全てがわが街と同じなわけはなく、当然ながら、都市や街によって治安の善し悪しがある。

最近発見した面白いサイトに、BC州の街ごとの治安スコアというのを見れるものがあり、それぞれの街の治安と危険度が私の肌感覚ともマッチしている。

例えば、BC週の地方都市であるケロウナ。
この夏、ケロウナのダウンタウンに行ったときのこと。
道ゆく人の表情や態度、壁に描かれたグラフィティ、道に落ちているゴミなどから、「あ、ここやばいかも。気を引き締めよう」と一瞬で察した。子どもたちも同じだった。

少し前までケロウナは内陸部の中心都市であり穏やかな街という印象だった。しかし、ここ数年のうちに、知らぬ間にBC州でもっとも治安の悪い街ベスト3にランクインしていたようだ。なるほど、確かに。

ちなみにケロウナと私の住む街を上述の治安スコアで比べてみるとこのようになる。

ケロウナでVery Highにカテゴライズされている項目は、泥棒&窃盗とドラッグ関係による犯罪、Highに該当するものは、路上強盗、襲われる心配(暴力行為)、所有物(家や建物)への破壊行為だ。

対してわが町で一番の脅威は車上荒らしと所有物への破壊行為だが、どちらもケロウナの半分以下のスコアだ。

著者の街、Brighton,UKのスコアはスコーミッシュよりは低いが、ケロウナよりは断然良いというスコアで、ドラッグ関連、破壊行為、誹謗中傷がやや高い結果だった。(東京のスコアも大都市ながらかなり治安が良い!)



なぜ、治安の話を持ち出すのか、話を本に戻そう。
著者の一人息子は、優秀なカトリック系の小学校に通っていたが、中学から底辺中学校に通うことになる。面白いなと思ったのが、カトリック系の学校に通っているときは、彼がアジア人であることで人種差別をされたことは一度もなかったのに、底辺中学校に行き始めると、生徒の人種的なバックグラウンドが差別対象になる。

確かに、カナダでも優等生的な家庭では「人種差別などしてはならない。」という価値観が多く、「〇〇人は運転が荒い」などとちょっと(冗談半分で)人種的な発言をしようものなら「Racist(人種差別主義者)」と言われたりする。

例えば「日本人は器用だ」といった褒め言葉はOKだけど、「〇〇人はすぐ仕事をやめる」みたいなのはダメで(親しい人の間柄では話したりするけど)非常に敏感なトピックだ。

子供と何気ない会話の中で、クラスの中でダークスキンの子がいて、、、とその子の特徴として話していることでも「今の発言(ダークスキン)はレイシストにあたるのか?」などど聞かれ、答えに困ることがある。
また純粋な好奇心から聞いた質問(インド系のクラスメイトに「なんでターバンするの?」と聞いた)が、相手にとってはオフェンシブだと捉えられることもあり、何がOKで何がダメなのか子どもたちも大人もよくわからない。

しかしながら、「白人は何をしても許されると思ってるのよ!偉そうに!(怒)」と白人が白人に毒を吐いたりすることもあるので、同胞が同胞を攻撃するのは、まあ、ありらしい。

とまあ、優等生的な環境にいると、人種差別的(最近ではLGBTQ差別的な発言も)はアウトなので、肌の色や出生の違いで指差しされることもなく、アイデンティティで悩み苦しむという機会すらないのかもしれない。

逆に経済的にも精神的にもギリギリな環境で暮らす人たちはアイデンティティ=何人なのか?どこに属しているのか?ということで他者と優劣をつけようとする排他的な思考が生まれるのかもしれないし、どこかに属しているということが強さになるのかもしれない。

実際のところ、カナダ経済の底を支えているのは、例えばメキシコやフィリピンなど自国の貨幣価値が低い国の人達が、低賃金で掛け持ちで仕事をしながら狭いアパートに家族6人で暮らしているような移民で、そういう人達が集まって暮らすエリアは、独特の雰囲気があることも確かだ。

さて、私の息子は13歳で、日本で言ったら中学2年生という、まさに世間でいうところの中二病の真っ只中だ。
著者の息子と比べると、うちの息子はぽわーーんとしていて、よく言えば無邪気で、悪く言えば考えが浅い。
確かなのは、著者の息子ほど、知見が広くない。

そんな息子にアイデンティティの質問をしてみた。

私「あなたは自分のこと何人だと思う?」

息子「うーん、少し前までは日本人が強かったけど、今はカナダ人かな。」

私「日本人(アジア人)であることで学校や友達に嫌なこと言われたことある?」

息子「一度もない!むしろ、俺の友達は仲間グループの中で俺が唯一のアジア人だからクールだと思ってると思う」

!!

私自身も、アジア人であることで嫌な目にあったことはないので、息子の答えは妥当だと思う。

欧米の都市でアジア人はヘイトや無差別な暴力の対象となる事件がある一方で、この街で育った息子とその友達の間では「アジア人はクール」と言う視点があるところが興味深い。

これには証拠がある。
上述した、治安インデックス「Worries being subject to a physical attack…」と言う項目を見てほしい。

これは「肌の色、人種、性別または宗教を理由に暴力を受ける可能性」だ。Squamishはこの項目がなんと0ポイントなのである。

息子の答えを聞いて納得した。

ああ、風呂敷を広げ始めたら収拾がつかなくなってしまった。

著者の息子は、私の息子と同い年にしてすでに、自分のアイデンティティに対する差別的とも言える発言に対峙し、思考し、自分の中でそれとなく答えを出している。

かたや私の息子は、良いのか悪いのか、悩んだり、考える機会すらないようだ。

Acceptanceという意味では、移民が多いカナダらしいし、自然に社会に順応し、悩むことなく日常が送れることは、とてもありがたいことだと思う。

しかし、いつか私は自分の子供達に、自分のアイデンティティについて悩み、探り、答えを見つけてほしいと思っている。

「ぼくはイエローで〇〇でちょっとブルー」
両親とも日本人の我が家の場合、〇〇の部分がまだ何になるのかわからないけれど、自分はいったいどこに属しているのだろう?と悩むことは健康的なことだと思うのだ。

それがいつ、何がきっかけとなるのか、親としてはいまから楽しみでもある。




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