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これまで兄妹のケンカで譲ろうとしなかった兄妹の関係が、とある言葉がけて急に変わった話

息子(7歳)と娘(3歳)のケンカが始まると、うまく沈静化させられる方法が見つからず、日々悩んでいました。

先日「とある言葉かけ」をしたところ、急に娘の行動が変わり、明らかに二人の関係性に変化があり、少なくともその翌日、二人が帰ってきた夕方以降は二人で楽しく遊んでいたので、二人の関係性に変化が起きたと言えそうです。(関係性は外からの要因でも変化するので、常に変わり続けるものではあると思いますが)

これは同じことで悩まれている方の力にもなれるかもと思い、備忘録も兼ねて、何があったか詳細にメモを残しておこうと思います。


あるあるな兄妹ケンカ

我が子のケンカの理由の一つは、親の取り合いです。「たかいたかいの回数がにぃにの方が多い」とか「かーかんの横で寝る!or 食べる or 風呂にはいる」とか。

その日は、僕が帰るや否や、娘が玄関にかけよってきて、
娘「とと、たかいたかいして」(厳密には「こわいのして」)
僕の筋トレ専属トレーナーの一言によって、トレーニングが開始されます。

それを見ていた息子が「とと、ぼくもやってー!」となり
10kg程度の娘と20kg強の息子では、明らかに筋力で応えられる回数に限界の差が生じてしまい

「〇〇ちゃんの方が多い!ずるい!」となって、息子が娘を睨むと、それに抵抗するように娘が「ぺちっ」と叩き、互いにヒートアップし、最後は揉み合いのケンカになって、身体的にも大きい息子の方が本気でパンチをしだすタイミングで、「さすがにそれはアウト!」という感じで僕が止めに入ります。(場合によっては、息子を叱ることも)

自分にも、姉や妹がいたので、小さい頃はほんとしょうもないことがきっかけでケンカしてたし、なんであんなに嫌いだったんだろうと今になって思うので、二人のケンカはよく理解できます。

同じ分量の遊びを提供する難しさ

どうしても息子の方が体重が重いため、回数や時間が娘の方が多くなってしまい、「〇〇ちゃんばっかりずるい(ぷんぷん)」と息子の不満が溜まりがちだったので

その日は、二人とも同じ分量になるよう気をつけていたものの、僕への娘のちょっとした絡みが「遊ぶ回数」にカウントされ、息子が「〇〇ちゃんばっかずるい!!!怒!!」と激昂してしまいました。

いつにも増して、激昂する息子

たまにあるのですが、そこまでの内容ではないと感じる差でも、突然息子が「キレる」レベルで憤慨することがあります。

その日もそうなってしまい、泣きじゃくりながら「もうトトなんか知らん!!話しかけてくんな!」といって部屋を出ていってしまい、そうなると基本は「妻が息子のケアを」、「僕が娘のケアを」となります。

(僕も人間なので、疲れているときなどは、「その言い方はないやろ!」と怒り返したりもします…反省…)

見えないところで抱えていた負債(我慢)

廊下を出ていったタイミングで妻が

「実は、(息子)は、大人から『お兄ちゃんだから我慢しなくちゃね』って言われて、めっちゃ不満やったらしいねん。かーかんはそんなこと言わへんけど、トトはたまにそういうこと言う」

と激昂している理由を共有してくれました。

僕も可能な限り「お兄ちゃんだから」という表現はしないようにはしていたものの、身体的な差で叩いたり蹴ったりするのは、止めに入らざるを得ず、その理由として「身体が大きいから」を伝えていたこともあり、受け取り方によっては「お兄ちゃんだから」ともなるので、弁解の余地なしで受け容れました。

「お兄ちゃんだから我慢しなさい」の呪縛

なぜ「お兄ちゃんだから」をなるべく使わないようにしているかというと、その言葉によって「不平等は我慢すべき」となって「我慢によって溜まったストレスが吐き出せなくなる」とか、大人になってもそれが原因で「本音を言えなくなる」とか「人に弱さを打ち明けにくくなったりする」こともあります。(詳しくは「ABC理論、信念の形成」を参照)

「下の子は世渡り上手」みたいな慣用句もあります。
「上の子の叱られる姿を見て、下の子は自分の立ち回りを学んでいる」
これは裏を返すと、上の子が叱られやすい傾向にあり、それには「お兄ちゃん(お姉ちゃん)だから」の前提が働いているからとも考えられます。

もちろん、「お兄ちゃんだから」は負の側面だけでなく、我慢強くなれたり、リーダーシップを発揮できるようになれたり誰かを守ることをような、良い側面もあったりします。

ちなみに、「鬼滅の刃」では、その「お兄ちゃんだから」が強く描かれており、これは家族愛や兄妹愛をテーマにしているとか、大正時代が舞台となっていることが理由で(おそらく)そうなっていると思うのですが、少し気にはなってました。

こういった背景も踏まえて「お兄ちゃんだから」が呪縛にならないよう、伝え方には注意を払おうと妻と話したことがありました。

一方で、息子の腕力によって娘に与える経験が「身体が大きい人には敵わない」「力には支配されるもの」「男性は怖いものである」の信念を形成してしまう恐れもあるため、叩こうとする息子を見るや否や、「認識(やばい)→判断(とめなきゃ)→行動(とめる・叱る)」を反射的に行なっている自分もいました。

兄であることの不平等さ

話を戻して、息子は、僕や娘が見えていないところで、大人側のある種、理不尽とも言える「兄であることの不平等さ」を押し付けられ、実は同じ分量をもらえておらず(我慢していた)、不満が溜まっていることがわかりました。

ちなみに、ユングと並ぶ心理学者アドラー曰く「子どもに反抗期はない。反抗させる親がいるだけだ。無理やり抑圧しようとするから、子どもが反抗してるだけ」的なことを言っています。

それをそのまま娘に伝えた

息子は部屋に戻り妻の膝の上で泣きじゃくり「〇〇ちゃんのヴァカァ!!!」と言い、少し離れたところで、娘は僕のお腹の上で「にぃにがわるいっ!!」と泣きじゃくりながら僕の顔面をパンチしていました。

泣きじゃくる娘に「にぃにはな、めっちゃがまんしててんて」と伝えると「しらん!!にぃにがわるい!!」とさらにパンチを強めます。
(ちなみに娘も、妻の「お兄ちゃんだから」のくだりの話を聞こえています)

僕は、娘のパンチを気にせず話を続け

「いきなり怒る人はおらんねん。がまんして、がまんして、がまんして、ぷくーーーって膨れて、『もうむり!』ってなったらパンって弾けて怒るねん」

「にぃにはな、たくさん、たくさん、たくさーん、がまんしてたんやって」

おもむろに立ち上がる娘

娘は何を思ったのか、泣きじゃくりながら、すっと立ち上がり、ダイニングの椅子によいしょよいしょと登り始め、テーブルに置いてあったお茶の水筒をパカっと開け、一点を凝視しながらストローでちゅーちゅーとお茶を飲み干し、また、よいしょよいしょと椅子を降りてきました。

かーかんの膝の上で泣きじゃくる息子の方へ、とてとてと歩いて近づき

(あ、やばい!また叩くんじゃないか…!)と焦る僕を尻目に

「にぃに、よしよし」と息子の背中をさすり始めました。

よしよしされても怒らない息子の状態を見て、娘からの優しさを受け取れたと見立て、娘の行動も明らかに変わったと感じた僕は

ふと目に入ったポケモン図鑑を見て、その日の朝、僕と娘の二人でポケモン図鑑を見ていて、娘が「これ、にぃにが好きなポケモン」と話していたことを思い出しました。

ポケモン図鑑を娘に見せながら「にぃにが好きなポケモンってどれやったっけ?」と話題をふり、娘は嬉しそうに「にぃにが好きななポケモンはな、これやで!」と指差しました。

その話題が気になり出した息子が「え、どのポケモン?」と乗り気になってきたので、そのまま二人で盛り上がるところまで見届けて、一見落着となりました。

見えない背景を知ると、相手の見え方は変わる

長くなってしまいましたが、娘の行動に変化を起こした要因はなんだったのか?を振り返ると、「見えない背景を知れると、相手の見え方が変わる」ということなのかなと思います。

有名な「氷山モデル」で、海の上に見えている氷塊はごく一部であって、海の中にはその何倍もの氷塊が隠れているという話です。

これは、「見えているもの(行動・言動)」と「見えていないもの(考え・経験・価値観)」を表しています。

相手の言動や行動だけで、ついその人のことを決めつけてしまいがちですが、(僕も息子の激昂に、反射的に怒り返してたこともあるので自戒も込めて)、その背景にあるものを知れることで、相手の行動が違って見えてきます。

息子の場合は、「大人側からの我慢の押し付け」の負債を抱えていたことでした。

当事者同士がそれぞれの背景を知れる橋渡しをするのが第3者の役割なのかも

僕が激昂している息子の背景を理解することも重要ですが、ケンカしてるのが自分以外の人同士の場合、(今回の場合「娘↔︎息子」)その両者がそこを理解し合うための橋渡しが第3者的なポジションにいる人(僕や妻)の役割なのかなと思います。

また、子どもが置かれている環境や状況は、子ども本人ではなかなか言語化しにくいため、大人側がそれをちゃんと把握できるかがキーにもなります。

妻の日頃からの息子との本音で話せる関係性をつくれていること(心理的安全性の確保)と、今回の事態が起きた際に、それが理由と判断し、的確に僕へ共有してくれたファインプレーがあったことも重要なポイントの一つになります。

強いて言えば、僕の娘が受け取れるような表現で噛み砕いて伝えることができたことも要因の一つとして言えるかもしれません。

また、第3者といえども、このケンカの問題を作り出している要因の一人に、僕も存在しているという視点も重要なので、決して、問題を外のものととらえず、常に「自分自身も問題の一部だとしたら?」の問いは大事にしたいと思います。

まずは、子どもの話を聞いてみるところから

いろいろ、難しげなことをたくさんかいてしまいましたが、「じゃあ何からしたらええねん」と思われる方へのオススメは、まずは「子どもの話を“評価を入れずに”聞いてみること」なのかなと思います。

その言葉の背景には何があるんだろ、なぜその言葉が出てきてるんだろう、と「言葉の向こう側」に意識を置きながら話を聞くことができると、きっと自然と解決策が見えてくるんじゃないかなと思いました。

以上、子育てで悩まれている親御さんの何かの参考になれば幸いです。



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