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失敗じゃなくて「しっくりこない」が前に進む

わたしは社会人になってから、社会性を学んだ人間です。

なので最初はどうしてこんなに怒られるのかわからず鬱になるくらい、やらかしました笑破天荒といえばかっこいいですが、ただのKY(空気読めない)くんです笑

結果、世の中の常識と言われることが分かってない分、常識と非常識の境界線のようなものに意識が向き、非常識側からモノをみて、常識を少し歪めたり広げたりするのがちょっと好きな、面倒くさい感じの人間になってしまいました。

だから、人間がつくったルールみたいなものに対して、心地よいものは受け入れるけど、そうじゃないものは素直に鬱鬱とするんです。

人間関係もそうで、「普通こうでしょ」みたいものが面倒くさいなぁなんてこともあります。
すんごくシンプルにいえば、

「どうせ死ぬんだから、好きにしたらいいんじゃない?(好きにさせてよ)」

みたいなところが根底にあります。
それはもしかすると、小さい頃にほぼ全ての親戚が離縁し、母以外の全ての人が他界したことによる、死生観みたいなものからくるのかもしれません。(知らんけどw)

セルフマネジメントスタイルやティール組織みたいな文脈に興味を惹かれているのは、特段の新しさや素敵さを感じるものではなく、ただ、「そらそうだよね」っていう、わたしからすれば当たり前のことが書いてあり、「なんだ、わたしは普通じゃん」みたいな勇気をもらえたからです。(普通ってのもイヤだけどw)

そしてティール組織はたぶん、

「好きなことを好きなだけ、好きにする」ための表現の場で、情熱が死なないためのセイフティーネットような存在なんじゃないかと勝手に解釈しています。

そこで暮らす人々が、その時々に応じた社会性を身につけながら(これが内省により人間成熟へと繋がる感じ)、
パーパスに向かって好きなだけ表現をする。
表現がしっくりくるかどうかは本人次第だし、美学を持つ人ほど、そんなに簡単にしっくりこない。

このしっくりこない感じを失敗と呼ぶのであれば、わたしはたぶん、いつも失敗してます笑

でも、しっくりくるまでやりたくなるのが美学なんですよね笑

だから、やっちゃえって感じです笑

わたしもエイトシークエンスのパーパスへの貢献に向かう表現者です。

わたしから見ればみなさん、表現者です^ ^


しっくりくるまでやっちゃえばいいんじゃないでしょうか^ ^

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