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「〇〇しなきゃ」じゃなくて「〇〇したい」に溢れた世界を創りたい

『らしさ、つなぐ』~人を幸せにするつながりを創る~

なぜ、この言葉を何度もなんども、表現を変えながらしっくりくるものを探しているのか。
ようやく答えが見えてきたような気がしている。
もう少し平たく言うと、

私は、
すべての人が「今私は幸せだなぁ」と充実感を噛みしめながら生きられる世の中を創りたい。
そして穏やかな気持ちで前向きに過ごし、誰かのために何かしてあげたいなぁと自然に感じられるような、
「〇〇しなきゃ」じゃなくて「〇〇したい」に溢れた世界を創りたい。


今、何かと不安なことが多い世の中だと思う。
昔のように、何かについていけば良いという時代ではないし、これをやっていれば安泰ということもない。
私の親世代(60代)くらいまでは、アメリカの真似をして、効率よく品質の良いものを創ればよかったし、上場企業のような大手に就職すれば一生安泰だった。
働けば働くほど富が得られて、その富によって家を買い、車を買い、子供を育てる。
それが幸せだと、みんなが思っていた。
たぶん、本当に幸せだったんだろうなと思う。
何故なら、モノサシが一つしかなくて、目標が明確だったから。
でも今は違うし、これからはもっと変わる。
一人ひとりが、自分に合った幸せについて自分の頭で考えていく時代に差し掛かっている。


お金を持つことだけがすべてじゃない。
マイホームを買うのが正しいのか。
車なんていらない。


幸せのモノサシは、確実に個の単位に向かって細分化が進んでいる。

ただ一方で思う。


自分サイズの幸せって自分でみつけられる人はどのくらいいるんだろうか。

むしろ、右向け右で皆と同じが幸せだった世代からすれば、ただただ不安になるだけなのではないだろうか。
そしてその世代に育てられた子供たちも、多かれ少なかれ同じ状況になるのではないだろうか。


時代が変わり、「自分らしく生きる」という言葉は、とても響きがよい。
でも、自分らしさについて考えるという作業は、みんなどうやって行うのだろうか。
誰も教えてくれないし、そもそも誰かの受け売りが自分らしさなんだろうかとか、
自分の意思決定に自信がなくて、本当にこれが自分のやりたいことなんだろうかとか、
ずっとずっと考えることになるし、自分らしくいなきゃいけないって考えると、むしろ不安のほうが大きくなるんじゃないだろうか。


私は思う。
「みんな不安の中で生きている」

一方で、穏やかな気持ちで楽しく人生を謳歌したいという気持ちはみんな持ってる。
だから、その不安を取り去って、今とても幸せだなぁという時間を増やせるような、そんな仕事ができたらと心から思う。

ではどうやって不安を取り去るのだろうか。
私の今思う答えは

「その人の最高の理解者になること」

だと思っている。
そしてかける言葉は「それがいいと思いますよ。大丈夫!」か「〇〇さんのやりたいことを実現するなら、△△がいいと思いますよ!」と伝えたい。そして背中を押したい。
みんな、自分がどうありたいか、何をしたいかに悩み苦しんでいる。
そんな時、その人のそばにいて、その人を誰よりも理解して、何をしたいかを言語化してあげて、背中を押してくれる。
背中を押された人は、自らを信じて(自信を持って)一歩を踏み出す。
それが正しいか間違っているではなくて、踏み出すための最高に納得感のある理由があればそれでいい。
そうして自分の価値観や目的に向かっている時、
「あぁ、自分の人生生きてるなぁ」
と充実感を感じるのではないだろうか。
そして、自分のありかたを見つけた時、実は欲しいものはすべて持っていたことに気づき、
「あぁ、自分ってとっても幸せものだったんだなぁ」
と気づいていく。


人はみな、自分の幸せをみつける旅にでなければならなくなった。
そして、自分を見つけるという、おそらく日本人が文明を興したころからやったことのない業に向き合い始めた。


自分をみつけるという作業は、自分一人でやるのは至難の業だ。
だから私たちが必要なのではないだろうか。


そして企業の話。
我々がやっているのは、


企業というビジョンを実現するための器が、
これから何を成し遂げたいかについて最高の理解者になり、
そのために誰がいつまでに何をすればよいのかを一緒に考えることなんだろうと思う。

企業は人よりシンプルだと思う。
何故ならビジョンがあるから(定まっていない会社も多いが)。
だから理解者になることは、人と比べるとやりやすいかもしれない。
でも、企業だっていつも悩んでいる。
うまくいかないことだらけだ。エイトシークエンスだってそうだった。
私も自分が何をどうすればよいかがわからないことだらけで、意志決定の瞬間はいつだって不安だ。
だから信じるものが欲しくなる。

結局何がしたい。
どうありたい。どうなりたい。
ずっと心の中で自問自答しながら、信じられる言葉を探している。
もうすこし目の前のことを言えば、
採用するときだって、
「この方と仕事をすることで何が起こるんだろう」
とワクワクとドキドキが同時に訪れるし、
そもそもエイトシークエンスが前に進む採用って一体なんだろう。っていつも考えてしまう。
ビジョンや目的が見えていたって、意思決定はいつだって不安なものなんだ。
だから信じられるものを探す。
その信じられるものを言語化し、背中を押してくれる存在がいたらどれだけ嬉しいか。

「そうそう、そうなんだよ!なんで我々のことがそんなにわかるの?」
っていうぐらいの、理解してくれる人に、
「大事にしたいことがそれなら、〇〇したほうがよいのじゃないですか」
と言われたら、納得感と嬉しさと、そして自信までもが湧いてくる気がする。
そして前に進む。
企業も人の集合体。
そして不安と戦っているのだ。


個人と企業の話をしたのは、
私たちは双方の最高の理解者であるからこそ、
人間業でしかできない奇跡の出会いを生めるのではないかと思っているからだ。

最高に理解してくれる人が繋いでくれた時、
そこに期待をしない人などいるのだろうか。
そして、
「あぁ、なんか自分で創った言葉を信じて選んで、自分らしく生きてる感じがする~」
とか、
「実現したい未来に向かって進んでる実感があるなぁ。やっぱわかってるわ~」
みたいな声があちこちから聞こえてきた時、
世の中が高揚感に満ち、体温があがっていくんじゃないかと思う。
そしてGIVERな人たちで溢れたら最高だと思う。

だから最後に言いたい。


「エイトシークエンスさんって、ほんと私(私たち)のことわかってくれてるねぇ」
って言ってもらうことが、世界を前に進めていることなんだと。


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