山下、イン、マイマイン

先日遅ればせながら劇場で観た『佐々木、イン、マイマイン』は昨年公開されて周囲でもかなり絶賛の声を聞いていたけど個人的には全く好きではなかった。最も大きな理由は、そもそも自分が男の友情、絆、青春みたいなものが苦手ということ。肩を組んだりプロレス技をかけたりちんこ見せあったりするような距離感が苦手なのだ。他にも音楽が好きじゃなかった、佐々木のキャラが好きじゃなかった、主人公のキャラも好きじゃなかった、など色々ある。ここから話が展開していきそうだぞと思ったのが苗村ちゃんの登場。苗村ちゃんが最後号泣しながらクラクション鳴らしてるのもあれすごく良かった。なんだろ、同性だし3年間男子校でそういうのを見てきて嫌になってるのもあるんだろうな。

で、そんな話を誰かにすることもなく2週間くらい経ったある晩、勢いないぬるいシャワーを浴びながらふと、昔のCMソングが口から流れたんです。ほんとに、ふと。でもその歌、CMで流れてた通りの歌詞ではなく、小学校3、4年の時に同じクラスだった山下くんが替え歌した歌詞だったのだ。ハッとした。俺にも、佐々木がいたのだ。

彼とは小中学校で一緒だった。とにかく彼から教わったことは、笑いとは破壊力であるということ。そして、やっちゃいけないことをやっちゃうのが笑いだということ。今自分がやってること言ってることには彼からの影響がだいぶ残っている。それと音楽を聴く習慣。ミスチルやB'zを教えてくれたのは彼だった。よくCDの貸し借りをしたりお互いの家でカセットを録音したりした。彼も男女問わず誰からも愛された。

高校に進んでからは学校も離れ、連絡を取り合うようなこともなかった。そんな彼の訃報が届いたのは2004年の秋。車が大好きだった彼は深夜に近所の暗い道を走っていて他の車とぶつかった。それを自分は通っていた自動車教習所で聞いた。

葬式はさながら同窓会のようだった。自分はあまり親しく付き合っていなかったような人たちとも彼は親交を続けていてその数たるや。

人づてにではあるけれど一度、自分の出る芝居のチラシが彼の手に渡ったことがある。彼はそのチラシを嬉しそうに家の冷蔵庫に貼ってくれていたと別の友達から聞いた。

彼の死から15年経った年、実家に帰省していた時に彼の家の前まで行ったことがある。勇気がなくて引き返してしまった。次帰ったらちゃんと顔出すね。お礼もしたいしね。

っていうのを経てもう一度観たらもしかしたら全然感想変わるかもしれない、『佐々木、イン、マイマイン』。

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