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福祉活動・支援活動とは!?

なぜかいつも疑問を持ってしまう慈善活動内容。
国に任せてはおけないから個人で活動をするという志しは素晴らしいが、全ての人に行き届くことはあり得ない。
最終的に納税=福祉活動も含むが理想だが、現状はそこまで到達できていない。
一時的支援と持続的支援システムがあって、そこに人的交流と繋がりが加わることで生まれる国としての保障制度。

「福祉活動(支援活動)に寄付してます」
「(事業利益を使って)福祉(支援)活動しています」
という言葉を良く聞きます。
この内容を「本当の意味」での福祉・支援だとは思えないのは自分だけだろうか。

もちろん、福祉や災害などで一時的に多額の支援金等が必要な時はある。
その時に事業の利益や私財を利用して支援する事は決して間違っていないし、素晴らしいことは事実。
しかし、突発的な援助を必要とする時以外の方が多くないか。
何らかの障害を持つ人は一生の問題で、貧困の連鎖は一時的支援では断ち切れない事が多い。
こう言うと、「常に行っています」「会社が存続する限り可能です」という言葉が返ってきそうだが、論点はそこではない。

仕組みとして、世の中の人が通常の生活を行っている状態が常に福祉・支援活動の一環に組み込まれていること、また、税金という一律の仕組みで支払われるお金が必然的に使用される仕組みがあること。

これが本来必要であり、そうでなければ全ての人を永続的に支援する事は不可能だと考えられる。

日本は国民皆保険制度があったり、社会保障制度がある点で、国民全員が守られるべきという思想が定着しており、実現できるのであれば素晴らしいことだとは思うが、その為の制度が古すぎたり、仕組みに不備がある。
日本が安全・安心できる国である事は世界に誇るべき点であるし、これからもそうあって欲しい。
だからこそ、一時的な施策や行動ではなく、目的に則した手段を考え出さなければならない。

これは国としての姿勢の問題であり、一個人が訴えても簡単に進む話だとは思っていません。
そう考えている人ほど、「国がやらないから個人で支援しているんだ」とおっしゃるかと思いますが、それも逃げの一手であって、真の意味での正義だとは感じられません。
一般の人ではできないような事をできる人こそ、国や組織というより大きな対象に行動を起こすべきではないだろうか。

行動による結果を導くのではなく、行動していなくても結果に結びついていく仕組み作り、これこそが本当の意味での「あるべき形」であって、特に福祉・支援構造では必要ではないだろうか。

多様性が広がる中で、一律の制度を適用するには限界が来ている。
今後さらにメタバース、いわゆる仮想空間内での活動が増えたとした場合はさらにそれぞれの制度や法規が必要となり、複雑な状況になることは必然。
日本は重い腰を上げ、一律という呪縛から解き放たれる時だと感じる。

税金に関しても、課税方法と手段を細分化し、個人(法人)ごとに適応が違うシステムが必要で、使用する場合も明確な基準のもとに適正に使用されるべきである。
法人税は事業内容と将来における重要性を加味した税率、消費税では生活必需品と贅沢品の段階的基準適応、所得税はその時代や状況に応じた設定によって消費を潤滑に保てる設定、簡単ではないが、細かい基準を一度決めてしまえば応用はいつでも可能であるのが想定できる。

今までは「紙」を利用してきたが、今ではデータを管理できる。
国のビックデータと個人のスマホアプリ、本気でやれば国や個人、各事業施設も基準の確認や実施状況をリアルタイムで行える時代になっている。

国として制定してくことは重要だが動きは鈍い。
国民が動くにもその規模や定まった方向性が必要。
決して簡単なことではないが、これからの時代は個人が考え行動することに対して、国が柔軟に答えられる環境を生み出していくことが重要であり必要。
そのためにも
資本主義は個人主義。
みんなの意見を統一見解として扱う。
全員平等であることが格差をなくす。
といった、ある意味古い考えを壊し、あらゆる方向から考え、あらゆる方向から解決するという、マルチサスティナブルプロセス(造語)が必要ではないだろうか。

必要な人に届く、それぞれの人に合った内容、常に持続的に存在する、そんな支援活動を知らないうちに誰もが行っている社会、そんな理想を持つことは不自然なのだろうか。

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