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朝ドラ「虎に翼」の弁護士考察・最終週(尊属殺違憲判決、法とは何か)

ついにフィナーレを迎えた「虎に翼」。尊属殺違憲判決をはじめ、最終週も目が離せませんでした。


尊属殺違憲判決

よねさんが最高裁弁論で「畜生道」と表現していた事件。実際の事件は、どのようなものだったのでしょうか。

どのような事案だったのか?

ドラマで紹介されていた事案は、おおむね実際の事件に沿ったものでした。

被告人となった女性は、14歳の頃から実父に性交渉を強制されるようになり、5人の子どもを出産しました。29歳になって、職場の同僚と恋仲になり、実父に結婚を打ち明けたところ、それ以後、実父から外出を阻止され、脅迫、夜に眠らせないなどの虐待を受けるようになりました。その後、泥酔した実父から口汚く罵られたことから、実父を絞殺するに至りました。実母をはじめ、親類からの助けはなく、まさに孤立状態にありました。

およそ現実のこととは思えない境遇であり、よねさんが最高裁の法廷で「畜生道」と言い放ったことも、無理からぬことです。

何が憲法違反とされた?

最高裁判決は、いわゆる親殺し(尊属殺人)を通常の殺人よりも重く処罰すること自体は、憲法に違反しないと判断しています。

そのうえで、尊属殺人について、死刑・無期懲役のいずれかしか適用できず、通常の殺人よりも著しく刑罰が重いことが、憲法14条(法の下の平等)に違反すると判断されています。

このように、尊属殺人罪の存在自体は合憲としたうえで、その刑罰の重さに着目して違憲と判断したことは、当時の最高裁の判断としては画期的なものでした。

尊属殺人罪は新憲法ができた後もなぜ廃止されなかった?

尊属殺人罪については、新憲法の施行後、国会において議論がされています。その際、当時の法務大臣は、「わが国における尊属尊重、敬愛の国民感情というものを認めまして、いわゆる尊属一般を重んずるという意味で、尊属に対する傷害の罪を重く罰するということにいたしているのでありまして、これは理由あることと存じます」と答弁し、廃止の必要性がないことを強調しています。

新憲法施行後も、「親殺しは重く処罰することが国民感情に合う」という考えが根強く、長年にわたって尊属殺人罪は存置されました。

尊属殺人罪の問題

尊属殺人罪の問題は、その量刑(法定刑)の重さにありました。尊属殺人罪は、死刑・無期懲役のいずれかしか適用できず、情状酌量などを理由に減刑しても、執行猶予判決をすることができませんでした。

この事件がまさにそうであるように、どれほど被害者に問題があっても、執行猶予判決ができないことが、問題視されていました。

この最高裁判決をきっかけに、尊属殺人罪は廃止されることになりました。

星調査官と桂場長官とのバトル

星調査官と桂場長官との熱いバトルは、星調査官の鼻血と失神で幕を閉じましたが、実際にそのようなバトルはあったのでしょうか。

その真相は分かりませんが、1つの手がかりとして、桂場長官のモデルとなった石田和外長官が、この頃に、尊属殺の合憲性に対する考えを改めている事実があります。

石田和外長官は、昭和39年と昭和42年の最高裁判決では、尊属殺に対して合憲判断をしています。この点は、調査官の解説(最高裁判所判例解説)でも触れられており、もしかすると、調査官と石田長官の間で、何らかのバトルがあったのかもしれません。

桂場長官が「時期尚早」と星調査官の意見を一蹴したエピソードも、このような経緯を参考にしているのではないか?と想像すると、ドラマの面白さを一層感じられます。

法とは何か?

最終週で、法を「船」に例えた寅子。社会の激流の中で人の尊厳や権利を守る役目を果たすが、使い方を間違うと沈んでしまう。よりよいものにするために、常に改造や修繕を続けていかなければならない。

若かりし寅子は、法を「泉」に例えていました。当時の寅子は、法の理念を不変的なものとしてとらえ、「人の力を借りずに自然に出来上がっていくもの」と理解していたのだと思います。

それが、長年にわたって司法に携わる中で、法に対する理解を改めて、最終的に「船」という答えを導きだしたのです。

ところで、寅子がこの答えにたどり着いた最大のきっかけは、何だったのでしょうか。それは、新潟地裁三条支部に赴任した頃の経験ではないかと感じます。

三条支部時代は、星航一との関係が深まった時期でもあり、涼子さんのお店「ライトハウス」(=灯台)と出会った時期でもありました。「星」「航」「灯台」のいずれも、「航行」をイメージする言葉です。このことから、三条支部時代に出会った様々なエピソードが、寅子の考えを大きく変えていったのではないかと思うのです。

1つは、地域に流れる独特の空気です。すべてがなれ合いで進んでいく法廷、法律の力を上回る「慣習」「地域慣行」の存在、そのすべてが、寅子にとって衝撃であったと想像されます。このような世界を見て、法を「人の力を借りずに自然に出来上がっていくもの」と捉えていたことに、疑問を覚えるようになったのではないかと思いました。

そしてもう1つは、美佐江との出会いです。法の存在に対して疑問を覚える美佐江。それに対して何も答えることができなかった寅子。このような経験も、法に対する意識を改めるきっかけになったのではないかと感じました。

その後、東京の地で様々な事件と向き合い、少年法改正問題や尊属殺事件とのかかわりを通じて、この答えを導いたのだと思います。

「改造や修繕を続けていかなければならない」という言葉には、法律に携わるすべての人に対する強いメッセージを感じました。

よねと寅子

よねが最高裁の法廷で述べた「はて」。かつては「相いれない存在」であった寅子とよねが、意気投合した瞬間でした。

寅子が述べた、「法は、改造や修繕を続けなければならない『船』である」という考え。そして、よねが法廷で述べた、尊属殺人を「人類普遍の原理」と捉えることへの疑念。

生き様も、価値観も全く異なる寅子とよねが、長い年月を経て、共通の考えに行きついた瞬間でした。

最終話を迎えて

三淵嘉子さんは、昭和59年、69歳で逝去します。最終話で、その後のエピソードが描かれていました。

三淵嘉子さんが亡くなった翌年、日本は女性差別撤廃条約に批准し、雇用機会均等法の整備、そして、男女共同参画社会基本法の制定へとつながっていきます。

最終話を通じて、寅子がドラマ全体を通して投げかけた課題が、今なお現代社会に息づいていることを、切に感じました。

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