読書感想文:天才たちの未来予測図②
引き続きの同じ本での感想
2.成田悠輔&斎藤幸平
自分に当てはめてみて、余暇の時間も、どうしても「仕事に繋がりそうだからこれやろう」という思考中心になりがち。
それ自体は私の方な凡人にが組織の中で生き残っていくためにはそれなり大事なのですが、もう少し上記のような童心をもとに、勉強することや時間を費やすことを決めてもいいのかなと思えました。
同時に、上記のような思考でも生きていくための収入(であろう)を得られているような氏はすごいと思いますし、これが誰にでも当てはまるというのは違うと思います。やっぱり「持てる者」の理屈だよね、と頭のどこかで冷ややかに見つめる視点は必要です(もちろん所与のモノだけですべて決まるわけではないけど、寄与度は大きいはず)。
上記とリンクするような形で印象に残ったのが次章の斎藤氏の言葉。
上記は今の世の中における「チャレンジできる人」の条件ですが、「持てる者」の定義を言い換えるとこんなかんじになるのかなと。
続けて
元メガベンチャーにいた経験からもこれは感覚的によくわかります。まさに「働きアリ」という感じでした。すべてはトップの意向のために。FFⅦの神羅カンパニーみたいな
もう一つ。「競争」に関する話として、どうしても競争が過熱化する(インターネットのおかげで他者の状況を迅速に、詳細に知ることができて、比較が容易にできてしまうというのが一番の要因だと思いますが)一方で、こういう「そもそも競争しなくていいんじゃない?」という考えが比較的目にするようになってきたかなと。
たぶん昔の人たちってそういう傾向も多分にあったと思うんです。日々の生活を生きていく人が多かっただろうし、他人のことを知らないで生きていくことができたから。せいぜいしっていても「向こう三軒両隣」の話。一度も話したこともない殿上人のような人なんて、知ることもなかった。
個人的には「歴史は繰り返す」の転換時期が今なのかなあとか考えてます。まあ、どうしても昔よりは他人を意識しやすい状況から抜け出すのはむつかしいでしょうが(意識的にネットから距離をおかない限り)
ただ、斎藤氏のいうような「1億総チャレンジ社会」みたいなものが本当にできたとして、その中で成田氏のいうような「何の意味もないことに精を出す」へのハードルが下がるのだとしたら、そんな世界はあこがれますね。正直自分の子供にもそういうゆるやかな世界で生きてほしいなあとか思います(現実は競争からは逃げれない局面が多々あると思いますが)
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