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#12 あさひまち物語のこれまでとこれから ー地域を元気にする仮説ー

2021.12.15

こんにちは!ささです。今回は活動を始めたきっかけ、1年半以上前から考えてきたあさひまち物語の活動の根幹となる仮説と想い、実際に活動をしてみて感じたこと、そして今後の展望をまとめてみました。地域と文化に眠る可能性や、私がどんなことを想いながら活動をしているのか、少しでも伝わると嬉しいです。

活動を始めたきっかけ

大学3年の時、大学の友人達と自分の地元について紹介し合ったことがきっかけとなりました。自然の豊かさとともに、名前を知っている特産品や芸能について紹介したところ、「素敵なものがたくさんあって、羨ましい」と言われました。町の外からの視点は新鮮であり、思ってもみなかった反応をもらえて嬉しかったです。というのも、高校生までの間であまり町に対していい印象を持っておらず、ずっと同じ場所に住み続けているからこそ良さが見えにくかったため「町には何もない」と思っていたからです。詳しく調べてみたところ地元の特産品や芸能には深い歴史があったり、さまざまな紆余曲折を経て現在に至っていることを知りました。その際、長い年月をかけて受け継がれてきた特産品や芸能をたくさん持つ地元が誇らしく思え、独自性に溢れて、さまざまな想いが込められたものが現存する地元への印象が大きく良い方向に変わりました。そこで私は地域の特産品や芸能に注目するようになりました。


文化の存在意義と現状

様々な独自の背景やストーリーを持っているという意味で、ここからは特産品や芸能などを含む文化を、「人の想いが込められた全てのもの」と定義します。別の記事でも少し触れましたが、文化の存在は、それが伝わる地域住民にとって、自分はこの地域に属しているというアイデンティティ(所属意識)を形成し、人々が同じ地域の住民としてつながりを持つために必要不可欠です。なぜなら文化は、その土地や人々によって代々受け継がれてきた、その地域の独自性を表すものの一つであって、住民にとっては共通の遺産だからです。人々が自身の地元を見つめるとき、他の地域と比較して見出された特徴が存在することで、自地域の独自性を実感し愛着を抱きやすいです。しかし近年、文化に対する接点の少なさや後継者不足から、地元やその文化への愛着が希薄になってきていると感じています。これまでの生活で地元に伝わっている文化について耳にしたことはあるけれど、実際に関わり学ぶ機会が少ないため、それらが自分たちの文化であると強く自覚している人が少なくなってきています。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

内閣府が令和2年に実施した「文化に関する世論調査」(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/pdf/93040901_01.pdf, 最終閲覧日:2021年12月13日. ※ここでは一般的用法の「文化」)によると、「伝統的な祭りや歴史的建造物などの存在が、その地域の人々にとって地域への愛着や誇りとなる」という考えに賛同する人は、全体の79.3%もいました。しかし自分が住んでいる地域の文化的環境(鑑賞や習い事の機会、文化財・伝統的なまちなみの保存・整備)に満足していると回答した人は、たった36.5%でした。さらにこの環境を充実させるために必要なこととして、「子どもが文化芸術に親しむ機会の充実」(25.5%)が一番に挙げられた。この調査から見ても、文化は地域への愛着にとって必要だと考える人が多いのに対し、現状として文化に親しむ機会が少ないと感じる人が多いことがわかります。文化の名前は知っているが中身は知らず触れる機会もない上、少子高齢化や過疎化によって文化そのものが失われつつある現状から、「自分たちの地元には何もない」と感じる人たちが増えてきたのです。


文化の可能性と地域を元気にする仮説

このような状況でも、文化の存在が人々をうまく繋げている例があります。私の地元である町の中でも小さな地区単位で見ると、私が属する地区には獅子舞を踊る芸能が昔から受け継がれています。そのお祭りが行われる時には、性別や年代関係なく地区の人々が相互に交流し人とのつながりを強めています。このお祭りがあるからこそ、普段のコミュニケーションが円滑に行われ、好きなお祭りがある自分たちの地区に愛着を持つこともできます。さらに、若者の転出が多い私たちの町であっても、この地区に住み続けたいと考える若者もいます。ここから私は町全体に視野を広げ、文化には自分たちの所属意識を形成させ、地域に愛着を持たせる潜在的可能性があると考えました。

こうした考えから、後継者がいなくなり文化自体を継承できなくなると、地域の人々は自分自身を定義付ける根拠を失い、人とのつながりも無くして集団がバラバラになってしまうのではないかという危機感を私は持っています。町の人々が心の拠り所をなくし、町自体が人との繋がりも持てない環境になると、町としての機能を失うだけでなく、現状「何もない」と感じている町に対する希望が完全に途絶え、より人々の精神的幸福度が下がってしまいます。人々の生活習慣に結びついていた文化を保護していくことは、私たちの先祖が過ごしてきた過去とのつながりを現在の私たちが持ち、地域の人々が連帯を保ちつつ、幸福な生活を送るために重要なのです。

加えて、地域に愛着を持つ人が増えれば、町の課題や将来に対して主体的に関わろうとする人が増えるのではないかとも考えています。現状は、人口減少や学校の統廃合、お店の移転/閉店など衰退していく町の様子をみて、町の明るい将来を思い描くことができずにいる人が多いのではないかと感じています。「衰退していく一方だから仕方ないよね」と、将来に期待できず半ば諦めている自分もいました。文化に愛着を持ち、町に対してより良い印象を持つことができれば、この先の明るい未来を想像しやすくなります。自分たちはこんな良い文化を持っていることが誇らしいし、まだまだ可能性があるこの町をより良くしていきたいと思えるのです。そうすることで、町の人々のこうあってほしい、こうしていきたいという希望が溢れる町を作れるのではないかと考えています。町の人たちの活気に満ちた元気な町を作りたいのです。

似たような主張として近年、「civic pride」という考えが広まってきています。これは住民が自分の住む地域に対して、愛着を持つだけでなく、抱える課題に対して義務感や責任感を持って主体的に関わろうと考える自負心のことです。この考えに乗っ取っても、地域に愛着を持っているからこそ、積極的に関わっていくことができるのです。したがって私の仮説としては、地域に伝わる文化に対して愛着を持つことが、地域そのものへの愛着や誇りにつながり、その感情を持つ人たちが増えることで、自地域の課題や将来に対して主体的に関わろうとする動きが大きくなり、町自体が自分たちの力で活気に溢れる場所となる、と考えています。


具体的な方法

まずは今現存している文化を保存するために、取材を通して文章や写真、動画で記録をすることにしました。データで残すことによって、半永久的に情報を記録しておくことができますし、情報を統合することでいつでも誰でもどこからでも文化について知ることができます。もし後継者がいなくなったとしても、データがあることで再現可能性を高めることもできます。

さらに現状、文化に関して町で行われていることは、対外的なPRとビジネス的なアプローチがメインでした。町の人々に対して情報を発信しているような動きは見られませんでした。ビジネスの知識がなく行政的立場でもない大学生としてできることは、文化を取材をしてこの情報を発信していくことだと考えました。特に普段の生活では見えにくいが、人々が知りたいと思っている文化の中身の部分を伝えたいのです。歴史や特徴だけでなく、関わっている人の想い全てを合わせて、物語、ストーリーとして描き出します。これによって、今まで町の文化について触れたり学んだりする機会が少なかった人たちに文化の詳細を届けることができます。中身の部分であるストーリや想いに触れることで、より文化の独自性やオリジナリティを感じることができ、文化に愛着や誇りを抱き、親しみを持ちやすくもなります。


実際の活動と感じたこと

実際に、これまで3つの文化を取材し記事を公開しました。一つ目は「灰付けわかめ」。明治時代から受け継げれてきた、冷蔵庫なしでわかめを保存するための方法です。5月中旬にたった二週間の漁期しかない中で、わかめの収穫と灰付け、天日干し作業を行います。ビジネスマンが増えてきて、天候に左右される作業に関わることが難しく、文化の担い手の確保に難航しています。漁業という観点で見ると朝日町では海産物が獲れますが、黒部や魚津で販売されることが多く、町内の人たちに届きにくい状況です。地元の産業を継続させるためにも、地産地消を心がけてほしいとの想いを共有いただきました。

二つ目は「泊鉈」。いつ頃生まれたかはわからないが、一時は朝日町で何件も製作している鍛冶屋があったほど町を支える大事な産業でした。薪用の木材を伐採するのに最適な鉈で、町内だけでなく全国に愛用者が現れる程人気がありました。現在は製作者がたった一人で継承しており、その方は現在90歳。後継者を取らないと決めており、いずれ泊鉈の作り手はいなくなります。昔のように鍛冶屋の需要がなく、鉈の作り方を継承しても、今の時代では生計を立てられないと考えたからです。生業としての鍛冶屋の仕事の大変さが伺えました。

三つ目は、「バタバタ茶」。室町時代から、蛭谷地区で飲む習慣がありました。日本には四つしかない後発酵茶の一つで、特徴的な茶筅で泡立てて飲みます。特産品であるが、地元で茶葉から作られることがなかったため、町おこしのために製造を始めました。蛭谷地区ではお茶会が頻繁に行われ、住民たちのコミュニケーション、情報交換の場となっています。コロナの影響で、お茶会を行えない時期を経験したため、お茶を通しての人の繋がりがより重要だと認識する機会となりました。


実際に取材をして感じたことは、二つあります。一つ目は、文化は想像していたよりも歴史が深く、人の温かい想いが込められて、朝日町らしさに溢れていたことです。明治時代や室町時代から伝わる文化で、途絶えずに現代に受け継がれていることにまず驚きました。いろいろな経緯がありながらも、今でも継承しようと努力されている様子に感動しました。朝日町の土地柄や生業に深く根付いた文化が多く、他の地域とは違う独自性が強く感じられました。二つ目は、文化が今どういう状態であるのか、リアルな現状を知ってもらうことが大切だと感じたことです。残すべきか、そうでないか。考え方は色々あると知りました。今後どうあるべきなのかを考えるための材料として、今どんな状況にあるか知ってもらう必要があります。朝日町の文化として受け継がれてきたものだからこそ、関わる人たちだけでなく多くの町の人々にも、文化がこれからどうあってほしいかを考えてほしいです


今後の展望

これまでの活動を経て改めて思うことは、文化を保存して発信することで文化の中身を町の人に届けることができて良かったことです。「町にはこんなものがあるんだね」、「名前は知ってたけど実際はこんな風に作られているんだね」、「詳しく知れて良かった」との声をもらい、自分が想像していたように文化を伝えることができました。ただ読者は、自身が運営するInstagramとFacebook経由で記事を知ってもらった人がほとんどであったため、これからはもっと幅広い町民に記事の内容を届けたいです。

また、文化のリアルな状態を知ることで、自分たちの町に伝わる文化と、今後どうか関わって、これからどうあってほしいかを考えるきっかけを作ることができるとわかりました。ひいては、自分たちの町としてどういう未来を描いていきたいか、考え行動するきっかけにしてほしいです。最終的には、町民みんなが主体的に明るい町の未来を描けるような、精神的幸福度が高い状態を作りたいです。

今後の具体的な行動としては、休学期間が終わっても活動を続けていきます。その中でもこの半年ではできなかった、文化を実際体験したり、学べる場所/環境を作りたいと思っています。自分が取材を通して気づきを得た場面を、他の町の方々にも疑似体験してもらいたいからです。情報の発信だけでは届けられなかったリアルな「体験」を提供することで、より愛着を持ちやすい環境を作れると思っています。

さらに、日本中には同じように少子高齢化/後継者問題に晒されている、独自性あふれる文化や地域が多くあると思います。実際朝日町と同じように、消滅可能性都市に指定されたのは全国1741の自治体のうち、2014年時点で896と全体の半数を超えています。私の文化を取材/発信する活動を土台とする動きが日本全国に広まることで、地域の文化とアイデンティティを守っていきたいのです。休学期間を通して、この活動は他に地域でも再現/応用可能であると確信しているからこそ、同じような活動をしている方々や、この考えに賛同してくださる方々とコラボして力を合わせ、日本のあらゆる地域をより元気にし、活気あふれる日本を作っていきます


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!少しでも私がこの活動に込めてきた想いが伝わっていると嬉しいです。朝日町の方も、その他の地域の方も、この想いに共感してくださった方がいましたら、ぜひ一緒に日本中の地域を元気にしていきましょう!!!

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InstagramやYoutubeでも取材内容を発信しているので、ぜひそちらもチェックしてしてください〜!


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