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見上げてごらん夜の星を。 その一

ヘッダーの写真は「十六夜」(いざよい)。
10月2日の20時半過ぎに撮影した月です。

月は地球の衛星なので「星」としています。

窓から身を乗り出したのでブレた。

「十六夜」とは陰暦8月16日の夜の月。
満月の翌晩は月の出がやや遅れ、月がためらっていると見立てたもの。

松尾芭蕉は「十六夜の月」の句をいくつも詠んでいます。

やすやすと でていきさよふ 月の雲
十六夜も また更科の 郡(こおり)かな
十六夜は わずかに闇の はじめかな

江戸時代の俳人・松尾芭蕉

森川許六作「奥の細道行脚之図」
芭蕉(左)と曾良

松尾芭蕉は、伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)出身。元禄文化期(江戸時代前期)に活躍した俳人です。
弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』が特に有名。

年末を近江(滋賀県)・義仲寺の無名庵で過ごしたことがあります。風邪と持病の痔に悩まされながらも、京都や膳所にも出かけ俳諧を詠む席に出たと記録が残っています。好きなことなら無理してでも行くという気概はいつの世も変わらないようです。

40代以降、静養などでしばしば滞在した大津で89の句を詠んでいます 。大津を気に入っていたことがわかりますね。見上げた月はどのように映ったでしょう。

病の床に伏し、元禄7年10月12日(1694年11月28日)にこの世を去ります。13日、遺骸は陸路で義仲寺に運ばれ、翌日には遺言に従い木曾義仲の墓の隣に葬られました。焼香に駆けつけた門人は80名、300余名が会葬に来たといいます。

満月寺浮御堂

写真はグーグルマップより。
近江八景「堅田の落雁」(かたたのらくがん)で名高い満月寺浮御堂(海門山満月寺)。創建時代は995~999年。臨済宗大徳寺派に属する。
平安時代中期に天台宗の僧・恵心僧郡源信(えしんそうずげんしん、恵心僧都は尊称)が、琵琶湖の湖上安全と衆生済度のため湖中に仏閣を建立したとされています。(参考:大津市HP)

衆生済度(しゅじょうさいど):仏教用語。仏道によって、生きているものすべてを迷いの中から救済し、悟りを得させること。「衆生」は生きとし生けるもの。人間を含むすべての生きもの。「済度」は迷う衆生を悟りの境地に導くこと。

元禄4年(1961年)8月16日、当時大津膳所の義仲寺(ぎちゅうじ)境内に無名庵(むみょうあん)という庵を建てて住んでいた松尾芭蕉。十五夜には門人たちが集まり、遅くまで句を詠んだり、酒を飲んだりして大いに盛り上がりました。
翌晩は十六夜、月を賞すべく数名の門人と舟で堅田に赴き、堅田の門人・竹内茂兵衛成秀(たけうちもへいなりひで)の家で俳句の宴を催しました。前夜にもまして盛況だったこの夜、句を詠む様を「堅田十六夜の弁」として記し、成秀に贈っています。

お堂の山門そばに句碑があります。

鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂 (松尾芭蕉)

比良三上 雪さしわたせ 鷺の橋 (松尾芭蕉)

湖も この辺にして 鳥渡る (高浜虚子)

病雁も 残らで春の 渚かな (高桑蘭更)

五月雨の雨だればかり浮御堂 (阿波野青畝)

どれだけ月を愛でていたのか伝わってきますね。

満月寺というだけあって、琵琶湖を臨むお寺と月を撮影できます。

満月寺浮御堂
〒520-0242 滋賀県大津市本堅田1丁目16-18

開館時間:8:00~17:00
定休日:
観覧料:大人300円/小学生100円/団体(30名以上)280円
駐車場:あり

<アクセス>
京都駅よりJR湖西線で20分「堅田」駅下車。駅から江若バス堅田町内循環線で10分「堅田出町」下車、徒歩5分。

堅田十六夜の弁 芭蕉句碑

浮御堂から歩いてすぐの十六夜公園。その中に「堅田十六夜の弁 芭蕉句碑」があります。公園の名は「十六夜」の日に芭蕉がここでお月見をしたことに由来。元禄4年(1691)8月16日、堅田の門人・竹内茂兵衛成秀の家で俳句の宴を催したと書かれてます。

望月の残興なほやまず、二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。その日、申の時ばかりに、何某茂兵衛成秀といふ人の家のうしろに至る。 「酔翁・狂客、月に浮れて来たれり」と、舟中より声々に呼ばふ。あるじ思ひかけず、驚き喜びて、簾をまき塵をはらふ。「園中に芋あり、大角豆(ささげ)あり。 鯉・鮒の切り目たださぬこそいと興なけれ」と、岸上に櫂をならべ筵をのべて宴を催す。月は待つほどもなくさし出で、湖上はなやかに照らす。 かねて聞く、仲秋の望の日、月浮御堂にさし向ふを鏡山といふとかや。今宵しも、なほそのあたり遠からじと、かの堂上の欄干によつて、三上・水茎の岡、南北に別れ、その間にして峰ひきはへ、小山いただきを交ゆ。 とかく言ふほどに、月三竿にして黒雲のうちに隠る。いづれか鏡山といふことをわかず。あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」と、客をもてなす心いと切なり。 やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。かの「かたぶく月の惜しきのみかは」と、京極黄門の嘆息のことばをとり、十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも、この堂に遊びてこそ。「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」と言へば、あるじまた言ふ、「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川に至らんとす。

春にはしだれ桜。遊覧船なども撮影できます。

堅田十六夜の弁 芭蕉句碑
〒520-0242 滋賀県大津市本堅田1丁目18-18

<アクセス>
京都駅よりJR湖西線で20分「堅田」駅下車、駅から江若バス堅田町内循環線で10分「堅田出町」下車、徒歩5分。

近江八景

約500年前の室町時代、中国湖南省にある洞庭湖の八景にちなんで、関白近衛政家が選んだと伝えられています。浮世絵師の安藤広重の風景画により広く知られるようになりました。(滋賀県庁HPより)

・比良の暮雪(ひらのぼせつ)
・堅田の落雁(かたたのらくがん)
・唐崎の夜雨(からさきのやう)
・三井の晩鐘(みいのばんしょう)
・粟津の晴嵐(あわづのせいらん)
・矢橋の帰帆(やばせのきはん)
・瀬田の夕照(せたのせきしょう)
・石山の秋月(いしやまのしゅうげつ)

近江八景の地名を全て含んだ狂歌として、江戸後期の文人・大田南畝が詠んだと伝わる以下の狂歌が知られています。

乗せたから さきはあわずか たゝの駕籠 ひら石山や はせらしてみゐ

のせた(瀬田)から さき(唐崎)はあわず(粟津:あはづ)か たた(堅田)のかご ひら(比良)いしやま(石山)や はせ(矢橋)らしてみゐ(三井)

この歌は、大田南畝が京へ上ろうと瀬田の唐橋に来た時、「近江八景の題目8つの全てを31文字の歌の中に入れて詠んだら駕籠代をただにしてやる」と駕籠屋に問われ、歌ってみせたものとされています。この逸話は講談によって広まり、落語『近江八景』の枕となる小噺の中でも紹介されます。

紀行文「おくのほそ道」の作成のため、敦賀に立ち寄った松尾芭蕉。その際に詠んだ句『国々の 八景更に 気比の月』の「国々の八景」は、「近江百景」とされています。福井県敦賀市の気比神宮の境内には、この句を含む『月清し 遊行のもてる 砂の上』『ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月』『月いつく 鐘は沈る 海の底』『名月や 北国日 和定なき』の五句が刻まれた「芭蕉翁月五句」の句碑があります。

大津観光デジタルブック

大津市HPに観光デジタルブックが掲載されていました。目的別のコースも案内されています。

絵画や詩歌から訪ねる旅もいいですね。

以上、十六夜月から松尾芭蕉の俳句と大津市観光案内でした。

201008 YUHUA O.

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