【私小説風】だいじょうぶ米俵
毎日毎日、バレないように息子は大きくなっている。本当に少しずつ、少しずつ。
彼にはダウン症があるがゆえ、一般的な成長よりも緩やかだ。三歳が近づいているが、まだ歩かないし、意味のある発語も少ない。それでも、昨日まで着ていた服が着られなくなっていたりする。
「この服、もう着れないね」
ぼくの言葉に妻は頷きながら、少し懐かしそうな想いを吐露する。
「そうだね。この服、手術したときに着たね」
一歳になる前の記憶が巻き戻る。
手術を受けたのは5ヶ月のころ。産まれてから、ミルクの飲みが良くないとか、首が坐るのが遅いとか、そういうことがあったけれど、彼が何らかの障害を抱えているとはまったく気づかずにいた。初めての子どもだったからかもしれないが、赤ちゃんとはそういうものだと夫婦揃って考えていたからだ。
何ヶ月かの診断のときに、「わずかですが、心雑音が聞こえます。念の為、大きな病院で見てもらいましょう」と言われ、行った病院でこう告げられた。
「心臓に穴が空いてます」
妻は即座にこう、質問した。
「それって、アメリカとか行くやつですか?」
声を震わせながら、妻は必死に自分を保とうとしていた。医師は平静を保ったまま答える。
「いいえ、そういうものじゃないです。手術で治るものですし、自然閉鎖する場合もあります」
その言葉に安堵したが、妻はおろおろとして落ち着かない様子。診察室を出て、妻は「だいじょうぶだよね?」と確認するようにぼくに言った。ぼくに言っているというより、神様に「だいじょうぶ」と聞いているように思える。
「だいじょうぶ」
ぼくはなんとか、そう口にした。ミルクの飲みが悪いのも、心臓が苦しいからなのだとわかると、ぼくの心臓も苦しくなった。どうにか手術をしなくて済むように、息子の胸に手を当て、自然閉鎖をふたりで祈る。来る日も、来る日も。
けれど。
穴が大きいので、自然閉鎖する可能性は低いと何度か通院して医師に告げられた。もう手術するしかないとぼくらは意を決した。
「だいじょうぶだよね?」
と妻が泣く。
「だいじょうぶ」
とぼくは答える。
「こんなちいさな体で」
「ちょっと大きめの服を着せない?」
「どうして?」
「おおきくなれるように、おまじない」
そう言って、大きめの服を着せた息子が、手術室へと入っていく。メロンといちごとスイカと、どの匂いの麻酔がいいかと聞かれる。メロンかなと妻と顔を合わせた。
その日のことは、今もまだ鮮明だ。
「捨てる? この服。それとも、誰かにあげようか?」
大きくなった息子の服をどうするか、妻に聞く。
「ううん、捨てないし、あげない」
妻は、ミシンを押し入れから出した。手にした服をハサミで切り、布を縫い合わせて、小さな穴に綿を詰め入れた。米俵のようなそれに、刺繍を施した文字と描いた絵を、ぼくは見る。
だいじょうぶ。
息子はメロンが描かれた小さな米俵を、大事そうに手にして、満面の笑みを浮かべている。
(了)
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