【連載小説】優しい人々(12)
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第十二話(全13話)
●須原浩樹
「あれ? 出てないじゃん?」
ひださんが来ている。店番は? と聞こうと思ったら、それは店長が言った。
「日高さん、勝手に店閉めたでしょう?」
まったくしょうがないなぁ、という顔だ。
「ちゃんとカギ閉まってました?」
見当違いの返事をひださんがする。
「閉まってたけど、そうじゃなくて」
「よかったー。閉め忘れたかなぁとちょっと思ってたんすよね」
ひださんは心底安心した顔をしている。そうじゃなっいっしょ。と俺が思っていると、麻衣さんが口をはさむ。
「どうしようもないね、日高さんは。ね、雪さん」
店長は「まったく」と、ほっぺたを膨らませる。麻衣さんがそれに続いて、同じように「まったく」 とほっぺたを膨らませる。
「まったく」
なぜか、ひださんも同じようにしている。
「それで、映画出演の件はどうなったの?」
店長が麻衣さんに聞く。 麻衣さんは、落ち着いた様子で答える。
「頼まれて来たんですけど、ここにきたらもう撮影始まってて。わたしたち以外にも候補がいて、先に来た人たちを監督が気に入っちゃったみたいなんですよね。しかも子どもまでいて。片平渚さんによると、ラストのシーン、数年後ていう設定で、子どもも生まれてるってことに変更したらしいです」
「片平なぎさ来てるんすか! サスペンス?」
ひださんは興味津々の様子だ。
「片平なぎさだからって、サスペンスとは限らないでしょう」
と、少々見解違いのことを、店長は言っている。
「いや、片平なぎさって言ったら、サスペンスだし、崖じゃないですか。っていうか、あれ、片平なぎさ? 遠くてよくわからないなぁ、後ろ姿だし」
まったく人の話を聞かない人だ、と俺は思っている。
「だから二時間ドラマじゃないのよ、映画。 確かラブストーリー だったような。違ったっけ? 麻衣ちゃん」
「ラブストーリーです」
「園さんも俺とラブストーリー始めません?」
「バカじゃないの」
店長とひださんは、お似合いだなぁと俺は耳に入る会話を楽しんでいる。目の前は、鮮やかですべてを包み込むような夕焼け。桟橋では、夫婦と子どもが、ただただ湖を眺めている姿が見える。本当に遠く離れ場所から撮影しているから、演じるなんて必要ない。でも、あんなふうに自然に桟橋にいることは俺にはできなかったんじゃないかと思っている。だって、そこには本当の家族の姿があったからだ。
「麻衣さん、あの子、 マイちゃんていう名前なんだよ」
「え? 何? 知り合い?」と、ひださんが聞くる。
「あの男の人は「殺すぞ」って年中言われた人」
「あぁ、話してた人?」と店長。
「すげーいいところってここだったんだ」
俺はそう、言葉を漏らした。夕焼けの中にいる、多田さんと奥さん。子どもは多田さんが抱いている。俺は思わず涙をこぼす。守るべきものを守っている多田さんの姿が、今まで見たこともないほどに美しく見えてしまって。俺と麻衣さんが、かりそめの夫婦を演じたところで、その美しさを再現することはできなかっただろう。
「すんちゃんさん。 わたし、ここで夕焼けなんて当たり前みたいに見てきたから、明日も当たり前に同じような夕焼けがあると思ってました」
「うん」
俺は相槌を打つ。
「でも、違うんですね。今日の夕焼けは、今日だけの特別な夕焼けなんですね。そのことをずっと、わたしは知らなかったみたいです」
それからひとつ、鳥の鳴き声が挟まる。そのあと麻衣さんは、続けて言った。
「ありがとうございます」
「俺も」と、ひださんがなぜが続いた。
「俺もサンキュー」
「私も」店長も続く。
「私も、ありがとう」
俺は急に恥ずかしくなって、照れ隠しの言葉を探す。
「なんすか、これ。こういうのは、青春時代のやつじゃなかったっけ?」
「いいんだよ、大人が青春しても捕まらないし」ひださんが言うと、店長は返す。
「日高さんは捕まりそうなことしてるから、ほどほどにしたほうがいいと思うけど。ね、麻衣ちゃん」
店長はすぐ、麻衣さんに同意を求める。
「はい。日高さんは、ちょっとやりすぎですから」
「なんだとー! こう見えてもな、俺はちゃんと大人やってんだぞ!」
その発言自体に大人っぽさを全く感じないけれど、それは置いておこうと思う。
*
これが会社をクビになってからの、できごとの全部だ。明日からもここにいれば、こんな青春みたいなこそばゆい日々が待っているのかもしれない、と少し思う。けれど、俺が最初に探していたものは、もうわかった気がする。だからもう、ここにいなくていい。いなくても、だいじょうぶな俺になっていこうと、思う。「殺すぞ」と言われようが、絶対に殺されたくない、守るべきもの。それはもう、きちんと心の中に持っていられる。
「琥珀で打ち上げってどうすか?」
なんの打ち上げかは今となってはわからないが、明日の朝には、ここを出ようと思う。だから、それまではもう少し余韻を楽しんでいたい。
「すんちのおごり?」
「須原くんの歓迎会なんだから、おごりなわけないでしょ、日高さん。ね、麻衣ちゃん」
「はい。日高さんって、ほんとにカッコ悪いです」
「だって金ないんだもーん、可愛いそうな俺」
もう少しだけ、この瞬間をと祈らずにいられない。けれどエンディングは近づいている。
カット!
それは夕暮れの終わりを告げる、声だった。
つづく
最終話(エピローグ)へ
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