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【連載小説】優しい人々(11)

前話
あらすじ

印刷会社で働く須原浩樹すはらひろきは、パワハラが横行する職場で上司に盾突き、クビになった。守るべきものを探しに、辿り着いた場所は、北海道の山間の雑貨屋。そこで出逢った人々は、みんな心にわだかまりを抱えて生きていた。父親を嫌いだった雪さん、借金や彼女の死を背負いながら、明るく生きる、ひださん。自分を好きになれずに、20も上の男性と暮らしている麻衣。浩樹は彼らと話すことで癒やされ、彼らもまた浩樹の存在に癒やされていった。ひょんなことから、彼らと映画に出演する話が持ち上がり、物語はクライマックスへ。浩樹は、彼らは、それぞれに「守るべきもの」を見つけることができたのだろうか。

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https://note.com/yuhishort6/n/nc28fe446176c

第十一話(全13話)
笹本麻衣

助監督さんと、「すんち」と呼ばれていた彼と三人で桟橋への道を走った。桟橋までは、五分もかからない。ちょうど夕暮れがはじまったばかりだけれど、あと三十分もしないうちに陽は落ちると思う。湖を照らす夕焼けは確かに綺麗だけれど、今日が特別に綺麗なわけじゃないと、やっぱり思う。それでも少しドキドキしているのは、彼が私の手を、というか手首をとっているからなんだろうか。

「あの、今さらですけど」と私は彼に聞く。

「なんですか?」

「すんち、っていうのは本名じゃないですよね?」

「俺、麻衣さんと違って、キラキラネーム世代じゃないですから」

「キラキラネームってなんですか?」

「一二三と書いて「リズム」とか、今鹿と書いて「ナウシカ」とか、そういう名前の子どものこと」

「わたしもそんな変な名前の世代じゃないです」

初めて知った。世の中にはそんなおそろしい名前が存在してるんだ。わたしの感覚がおかしいのかもしれないけど、キラキラしているようにはどうも思えない。

「それで、本名は?」

「まあいいじゃないですか。すんちゃん、とかにしといてください」

隠す理由はないと思うけど、これ以上聞く理由もない。ただ「あの」とか「ねぇ」とか、そういうものよりはいいと思っただけで。だから、素直に「すんちゃん」と呼ぶことにした。

「じゃあ、 すんちゃんさんで」

「さん、付ける?」

「まだ、出会って一日も経っていませんし」

「そうでしたね」

そんなことを話している横で、助監督が会話に加わった。

「あの、僕、「渚」という名前でして」

えっと、つまり……

「片平渚?」

と、すんちゃんさんがボソッと言って、続ける。

「これから向かうところは、崖じゃないですよね?」

「崖じゃないですが、映画は二時間 らいです」

須原浩樹

助監督の片平渚が言うには、サスペンスでもない、ということだ。よかった、桟橋から突き落とされる、ということもないわけだ。桟橋までもう少し、自然と足取りも早くなる。ところで、今もまだ麻衣さんの手首を取ったままだけれど、いいのだろうか。離してほしい、という意思は感じられない。でも男女間の「合意」というのは契約書のことではない。もしも麻衣さんが「合意」していなかったら、俺は加害者となってしまう。なぜなら俺は男だからだ。そんなことを思うのは、この子のことが少し気になっているからだろうか。

そういえば前の会社のパートの伊藤さんは「君の人生が少し気になっている」と言っていた。前の旦那さんが俺と同じことをしたからだと。旦那さんとはどうして別れたのだろう。結婚というのは、難しいものなのだろうか。今の俺は誰かと結婚したいとは思わない。 思うほどの人はいない、というのが正解か。そもそも仕事がない今の状態の俺では、話にならないだろうが。

ひださんは店長のことが好きらしいけれど、前の彼女との話を聞いてしまって、きっと誰かを本当に愛することは怖いんじゃないかと思う。あの圧倒的な「陽」は、実は心の深くに傷ついたままでいる「陰」を取りださないための手段なんじゃないか。などと考えたけれど、案外あのまま根っからの「バカ」なのかなとも思い直した。この場合の「バカ」には愛がある。そう、これは「殺すぞ」ではない。人を傷つけるかもしれない言葉であっても、あのイカれた「愛」とは似ても似つかない。正直言うと、さっき来た台湾からのお客さんが俺とひださんを兄弟だと思ってくれたことがうれしかった。それは、ひださんがイケメンだから、それを似ていると言われたことがうれしいってことじゃなくて。

俺だってわかっている。彼女はたぶん、おれらの見た目を「似ている」と言ったんじゃない。何か似ているものが流れているのを感じたのだ。きっと。ほんの少しの時間しか過ごしていないけれど、ひださんの持っている「陽」はもうすでに俺の「陰」をすっぽりと覆っている。多田さんといて、少し沈んだ気持ちになってしまっていたのは、多田さんが俺の中の「陰」をそのまま発してしまっているように見えたからだ。

見え方は違うけれど、麻衣さんもまた「陰」に包まれている。けれど「やるしかない」と言ったときの彼女は、少し違った。それだけのことで俺は、彼女のことが「気になった」。 だから俺は彼女の手を引く。手首を、だけど。この夕陽が落ちないうちに。だって、まだ彼女は、この夕陽が二度とない夕陽だってことを知らない。俺はそのことをわかってほしいと思っている。なんでだろう。彼女にはわかってほしい。たった数時間前に出会ったばかりなのに、その想いで胸がいっぱいになる。これが恋かどうかは知らないけれど、愛なのかを聞かれたら、愛だと答える。愛じゃないと誰かが言ったら、じゃぁ、光だ、と答える。俺はいま、そういう気持ちになっている。そのことが、この手から彼女に伝わっているだろうか。

「もうすぐですね、ロケバスに衣装がありますので、着いたら着替えてもらいます」

桟橋が見えてきて、片平渚が言う。こんなセリフを言われる日が来ることを一週間前の俺は想像でき ただろうか。

「ほんとに出ちゃうんですね、私たち」

麻衣さんが、感慨深い表情をする。

「もしかしたら、全部夢だったりして」

それも悪くない、と俺は思ったけれど、それじゃあ、今日出会った人たちのことがなかったことになる。店長もひださんも麻衣さんも片平渚も。そんなこと、ないよね。誰に言っているのかわからないけれど、俺はそう心で唱えている。


つづく


第十二話


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