見出し画像

『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』刊行記念トークイベントより②

「栞」という比喩

清水 私が考え続けているのは「栞」のところですね。

ハン 「(PCについてもっと)議論しよう」って、そのオチはどうなんだ、と。

清水 それで本当にいいのかって、議論しましたよね。

――ある時点までの編集方針では、「PCについての議論をもっと続けていこう」という、ある意味で素朴な落着点を作ろうとしていました。けれども、それでいいのか、と。あらためて鼎談を収録したとき、PCは本でいう「栞」のような(1度挟んで本を閉じたり、ふたたび開いて読み始められるような)ものではないか、と話が出ました。

清水 私は、けっこう長いこと、やっぱり議論は開いておかざるをえない、という立場でした。基本的に、私がずっとやってきたクィアスタディーズ自体、そういう方向性を持っているんですよね。けれども同時に、それがたとえば20世紀の話とはちょっと違うかたちで出てきているのを、特に2010年代になってから感じることが多くなった。議論を続けようって言うことが、本当に正しいのか、とりあえず「栞」を挟むというのがやっぱり大事なのか。自分でも結論が出ていないというか、悩ましいなと思うところはあるんですよ。私が書いた章は、議論を続けるしかないですよね、ってまとめちゃったんですけど。でもあれを出した後で、やっぱりどうだったのかなっていうのはずっと考えているところです。
 実際問題としては、議論をしないっていうのはそもそも不可能です。議論を止めるというのは、たとえ独裁国家でも普通はできないことなので、実際には議論を完全に止めるというオプションはないんです。けれども、ただなんというか方向性として、いま出すべきメッセージは何なんだろうというか。つまり、議論を続けよう、というときの議論というのがどんなものなのか、私たちはある程度前提として共有されていると思って語ってきた部分がある。でも、議論を続けるというのが何を意味するのかについての了解とか確認が、いちいち必要な時代になってきているのかもしれない、そんな感じもあって、そこはすごく悩ましいんですよね。
 これに関しては、出版が終わって、飯野さんとハンさんとそれぞれどういう感じでいらっしゃるかなというのは、私、伺ってみたかったところではあるんですけど。私自身は、うーんって、まだ思っている、どっちかなって。

ハン 難しい問題って、基本的に議論をするしかないよねってオチになりがちじゃないですか。私もコミュニケーションが重要だと書いているし、、私はPCを「社会的な望ましさ」と言い換えて、「望ましさ」は上から降ってくるものとか法律とかではないからこそ、社会的コンセンサスをめぐる、ある種の調整が必要で、表現の話で言うなら固定観念に乗っかって表現物ってできていくから、結局そこに対する批評とか批判を受け入れていかないといけない、と。表現は、アップデートしていくべきものであって。そのためには批評とか批判に対して耳を傾けなくてはいけないだろうし、そこで議論が必要だと、書いています。
 でも、いまの清水さんの話もすごくわかる。そんな話を3人でしていますよね。鼎談で「栞」の話をしたときだけじゃなくて、帯について議論したときにも。この帯の文句も、話し合って変えましたよね。

清水 変えました。

ハン 完成版では「どうやって話す? それともいまはやめておく?」になっていますけど、「もっと話そう」的な原案が編集部から出てきたので、それは私たちが議論してきたことと違うよね、と。それで、こう変えたんですよね。だからやっぱりこの5年間やってくるなかで、なんとなく3人の落としどころじゃないけど、一番変わったところはもしかしたらここなのかもしれない。それは客観的な状況としてはもしかしたらいいことではないかもしれないんだけど、話すのがすごく難しくなっていたり。でもそこで、そういうなかであえて議論をするほうがいいとなったとき、ここでずっと言い続けている構造の問題で、議論のなかにもやっぱり構造の差異があるときに、また議論したところで結局どうなんだみたいな話をたぶん延々としているというか、私自身もそこはすごく迷うところではあります。

排除/攻撃と時代性

飯野 私たちがこの話をしているときに思い描いているいくつかの出来事やこの5年間の変化の中の一つにトランス排除、トランスジェンダーへの攻撃の問題があります。まさにこの問題をめぐって、「議論を続けていこう」というとき、結局それを続けてられるのは誰なのかっていうことを、まざまざと非常に残酷なかたちで見せつけられたというか、直面させられました。企画当初にはそこまで、たぶん清水さんも私も想定していなくて、本を作る作業が進んでいくなかで、そうした思いを強くしていった。議論を続けていくという、一見正しそうに見える言明に対する躊躇とか、「ちょっと待てよ」という逡巡がどんどん強くなっていったし、どの方向にどういったかたちで議論を進めていくのかすごく慎重にならなきゃいけない、考えなきゃいけない問題がたくさんあるんだっていうことに気づかされていきました。

清水 不幸なことではありますけどね。

ハン でもだからこそ、本にすることの価値もおそらくあって。その、本として届けることの。読んだ方のSNSとかでの感想を見ていますけど、本って別に議論しなくても届くというか、一人で、家で読めるものでもあるから。あと、いろんな人がいるのが当たり前の世の中で、いろんな人とここにともにいて、でもやっぱりその難しさみたいのがけっこう際立っているという今日この頃で。でも、いろんな人とここでともに生きていかなきゃいけないときに、何が必要か。それが、一人で家で本を読むことでもあるというか。本のなかでも知識を身につけることが大事だ、みたいなことはけっこう言っているんですけど。

――本とその中の知識が、人の味方になってくれたら、すごく嬉しいですね。

ハン だからここで言っているPCも、むしろ議論を止めるためにあってもよいのだっていう、その「栞」みたいなものとして。だから、みんなが読んだりして、話せる共通の土台を作るためにはやっぱり本ってすごく必要で、あんまりこういう本がなかったので、そこはすごく良かったなと思っているところではありますね。というか、読んでいる方にとってそういうものになっていればいいなと思っています。

清水 しっかり置いて話せる土台を作る、作り直すというのが重要になってきたのは、いま飯野さんがおっしゃったように、日本ではたとえばトランス差別の話があって、少なくともネット上ではすごくわかりやすいかたちで出てきたと思うんです。もう一つは、時代的に、最初に四竈さんがおっしゃったような、トランプの当選以降の、ある意味でまさに、ファクトがなくなっていく時代、ミスインフォメーションの時代になっていくわけですよね。オルタナティブ・ファクトの時代というか。だからその土台が本当にわからなくなっていって、崩れていくことによって、いままでだったら共有できていたはずの出発点がもう完全になくなってしまうとか、それと違う出発点をつくるところから議論を毎回毎回始めなくちゃいけないという状況になってきたのが、たぶん2010年代後半からだというふうに思うんです。そういう意味では、日本語圏で現在進行するトランス排除と、最初のもうちょっと世界的に見たあの頃の話とが、たぶん同じ流れのなかにあると思うんですね。
 ミスインフォメーションというのがどこで一番出やすかったかというのは、もちろん書籍でも新聞でもあるんですが、圧倒的に集中して出てきたのはSNSだったわけです。SNSがそういう媒体だったことを思うと――私はずっとSNSをやっていて、自分がいろんなことを書いたり発言したりするのも、他に場所がないのでSNSで発言してきたし、30代の頃からやってきたし、SNSとかネットとかに愛着はあるんですけど――それとは違うメディアとしての本だったり、雑誌とか、出版物の意義みたいなものもあらためて出てきているのかなと思うんですよね。もちろん重要性は以前からあるんだけど、以前とは違う意味合いというか。たとえば二〇〇〇年代だったら、ネットにあげておいて、みんなにアクセスできるのがいいみたいな感覚だったのが、でもやっぱり書籍で残しておこう、と。その意義があらためて感じられている。そういう時代性というのもあるかなと、ハンさんの話を聞いて、ちょっとそんな気がしています。

――そうですね。企画意図として私もそこを意識していました。有斐閣は六法全書を出しているような、ものすごく保守的な出版社で、社会の「ルール」にすごく近しいところで商売をしている会社です。私自身も基本的には社会学の教科書や研究書、大学生が読むものを作っていますから、そういう会社が、ポリティカル・コレクトネスについて、何を考えるべきなのかとか、どういう議論ができるのかみたいなことを伝えられたら……、そんな意図をもって企画をしました。もちろん、進めていくなかで「議論をしない」という方向も考えつつ、ということにはなったんですけども。こうした議論の襞のような部分についても、うまく伝えることができればと、そういう願いを込めて企画をしたわけです。

ハン 通ってよかったですね。今さらですけど。

――いやー、本当に。編集部の検討会議では2回リジェクトされて、3回目でようやく通りましたからね。

ハン 通らなかったって話は、今回のイベントの打ち合わせで初めて聞いたような気がします。私たちは企画が通ってから話を聞いたわけで、その前に何回通らなかったっていうのは、聞いてなかった気がして、そんなに大変だったんだと思って。

――ありがとうございます。もう何年も前ですけど(笑)

ハン 私の友人がゼミで読んでくれているらしいですよ。

――本当ですか。救われるような気持ちになりますね。

(③に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?