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第11回 『ロビイングの政治社会学』はどう書いた?

原田:中根さんがおっしゃっていた民主主義の問題からレスポンスしたいと思います。

これは、NPO法を分析したあとで、ようやく重要性に気づいたところもあるんですが、たしかに最初に書こうと思った動機はこの点でした。とくに学生世代からすると、こういった社会運動、あるいは民主主義ってすごく遠いテーマで、一方でデモがあって、なんか学生たちからするとデモは怖いとかあまり効果がないんじゃないか、と。他方で、選挙には一応義務だから行くけれども、特にどこに投票するかあまり考えられていない。なかなか民主主義とか、自分たちで社会を変えるところには目が向きにくい。けれども、ロビイングを通して社会を変えていく取り組みというのは、じつはNPO法以外にも、自殺対策であったり、リサイクルの問題であったり、クラブのダンス規制の話だとか、いろいろな問題でこういった運動が起こっていたりするわけです。なので、運動をとおして社会を変えられることに気づくというのは、学生たちにもぜひそうあってほしいですね。中根さんのお話にあった、生徒会というのは、まさに草の根のロビイングの基礎だと思うんですよ。そういったところに民主主義の基礎があるというか、そういったことを通して社会を変えていくことができるというのは、学生たちにとっても、もっと身近に感じてもらえるといいな、と思っています。

次にアペンディクスの話です。そこに注目していただいて、私も頑張って記録を残しておいてよかったなと思います。実際には、あとから「日付、合っていたかな」と手帳を確認したりしながらまとめたんですけれども(笑)。参考にしたのは、中澤秀雄先生の『住民投票運動とローカルレジーム』だったんですね。学部時代に非常勤で教えていらして、私が影響を受けた方の一人なんですけど、中澤先生の本でもまさにアペンディクスというかたちで、どの日に誰と一緒に調査したというのを、すごくていねいに記されていました。自分も博士論文を書くときには真似したいな、と思っていたのを実現したんですね。もしかしたら、地域社会学者ならではというか、そういった部分を記録に残しているというのは、けっこう影響を受けた点なのかもしれません。

あと、運動の帰結として、ある意味で対象者には失礼かもしれないですが、運動のもたらした負の側面についても書いています。最初、私は「NPO法の制定・改正はなぜ成功したのか」という問いを立てていたんですね。最初に成元哲さんと一緒に書いた紀要論文がそういったタイトルで、はじめはとにかくNPO法の改正が目の前、国会の集会に行って改正されているのを見ながら、「なぜ改正されたのか」という問いを立てていたんですけれども、ある程度時間をおいてみると、本当に「成功」といっていいのか、と思うようになりました。というのも、シーズ以外の団体に話を聞くと、シーズには感謝しつつも、しかしながら本当に法制定・改正でよかったんだろうか、あるいはシーズに言われたとおりに自分たちも運動に参加してきたけれども、はたして地方のNPOにとって本当にこれはよかったのか、という話をいろいろな方々から伺うようになったんですね。もちろん、シーズのことはしっかり評価しつつ、でも負の側面についても書きたいと思っていたので、ここで運動にとっての帰結というかたちで、「寡頭制」という言葉は強かったかもしれないですけど、こういったことを書きました。これは当事者の方から見ると、失礼かなと思いつつ、研究者としてはその面も触れないといけないと思って書いたところです。

あとロビイングは静態的なものに見えて、じつは動態的なものだと言っていただけたのは、とても嬉しいですね。本を書いている途中で、大学院の後輩に読んでもらったら、「大河ドラマみたいですね」と言ってくれたのが、すごくうれしくて。私自身、法律という専門的な話を扱いつつ、どちらかというと本当に書きたかったのは「大河ドラマ」的な部分だったんですね。「あとがき」にも書いたんですけど、映画だと「七人の侍」が好きで、わりとそういうものを書きたかった。

ある種の人間のドラマとして「NPO法」を描きたかったんです。法律というものは、すごく堅苦しいもの、縁遠いもののように見えるかもしれないけど、実はそれをつくっていく営みは、人間のドラマ的な部分なんだよ、と思ったことがあります。「七人の侍」をご覧になった方にはラストシーンを想起してほしいんですが、まさに誰が勝ったのか、誰にとっての成功だったのかというような余韻も残すようなものを書きたいなと思って、帰結の章を書いた意図がありました。

青木さんからいただいた文書資料の分析として……というのも、本当にありがとうございます。インタビューだけではわからないこともあって、文書資料の分析がすごく役立ったんですけれども、そのときに、これは方法論的な話になるんですが、一つ手がかりになったのはシーズのニュースレターだったんですね。シーズにおられた松原さんという方は、ロビイストとしてのセンスだけでなく社会学的なセンスも持っている方で、ニュースレターには克明にこの日にこれがあった、というのを全部残してくれていたんですね。私にとってはそれが羅針盤のようになって、ダンボールいっぱいの資料を整理するときにも基本的にニュースレターに準拠しながら、ほかの資料を見つけることができたりして。運動のニュースレターはいろんな団体ごとに違うと思うんですけど、そこが一つの手がかりになって、資料の分析が可能になりました。これもまた松原さんのおかげだと思っています。

運動の因果関係のところですが、『社会運動の現在』に、もしコメントするとしたら何を言おうか考えていて、時間の都合で省略したんですけど、じつは言おうと思っていたのがまさに青木さんがおっしゃったところでした。つまり、長谷川先生が執筆者にオーダーされたことの一つは、社会運動がどのような政策的応答を引き出したのか、得られなかったのか、という部分だったという話ですが、これは調べるのがけっこう難しいんですよね。私も、そこですごく苦労しましたし。私自身、過去の社会運動研究に対する一種の違和感というのは、「政策提言したらOK。運動性というのは提言することだ」みたいな感じのことを、わりと長谷川先生も含めてよく書かれていたと思うんですけど、じゃあ提言して終わりなのか、というのが私にとって違和感で、提言したからその後どうなったのかというのは、今までの日本の社会運動研究ってあまり触れられてなかったような……もっとも、じつはアメリカの社会運動研究もそうだということをメイヤーが書いていますが。社会運動の研究のなかで提言して終わりではなく、その後どういうふうに政策的な応答を得られたのか、得られなかったのかにすごく関心があって、そこに力点を置くこともこの本を書くときの狙いにありました。もしかすると、そこが社会運動研究にとって足りなかったんじゃないかなという思いがありましたね。

アクターが新人類世代か、全共闘世代か、という話題は、たしかに小杉さんのご関心とも重なるかもしれませんね。じつはシーズのもともとのベースをつくったのが、情報公開運動の辻利夫さんと生活クラブの林和孝さんという方なんですけど、お二人ともまさに学生運動世代なんです。その方々が学生運動を経て、いろんな1980年代の市民活動に関わって、法制度をつくらなきゃと思っていて、そこに松原さんが後から合流して……と、その2つの世代が重なったところがシーズの「前史」としてすごくおもしろかったですね。「シーズ=松原さん」みたいなかたちで認知されているんですけど、じつはそのベースをつくったのはいわゆる全共闘世代。学生運動をバリバリやっていた方が、須田春海さんとかの事務所に集まって、みんながシーズのベースになるような話をしていった。それこそ1970年代、80年代の市民運動の土台の上に前身の団体ができて、それがだんだんシーズとして独立していって、NPO法のシンクタンクみたいになっていったという。そこにはいままでまったく研究では触れられることがなく、そこは書きたいと思って書いたところでした。

(以下、第12回へつづく)


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