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#258 行きすぎた効率化は人生を灰色にする。ミヒャエル・エンデ「モモ」

もっと効率の良い方法はないかな…?
面倒だからコンビニでさっさとご飯は済まそう。

効率を求めるのはものすごく良いことだ。それによって時間を作れて、自分の本当にやりたいことに使えるから。
浮いた時間で家族と過ごしたり、週末に旅行に出かけられるかもしれない。

でも行きすぎて、効率化ばかりを求めると日常の無駄を毛嫌いし「楽しむ」余裕がなくなってしまう。

そんなことに、ミヒャエルエンデの「モモ」を読んで思った。

子供より大人が読む児童文学

ミヒャエル・エンデの「モモ」は、ドイツで1973年に出版されて以来世界各国で人気を博している児童文学だ。
児童文学とはいっても、子供よりも大人に読まれてるらしい。

それは「モモ」は近代社会が直面した、「効率化」についての疑問をストレートに投げかけているからだ。

効率化は人間を幸せにするはずなのに、逆に追い求めれば求めるほど人間らしい生活からは遠く離れていってしまう。

数分の遅延で怒声を発する都市部の風景はそれを象徴するだろう。

人々が時間を意識するあまり、不幸になっていく様を描いている。

時間を意識しすぎると不幸になる

「モモ」には悪役として、人を急かして追い立てる時間泥棒というキャラクターが出てくる。彼らは人から情熱や思いやりを奪い、ただひたすらに時間を節約することを勧めてくる。

床屋のフーバーというキャラクターがいる。彼はお客さんの髪をカットする以外に、仕事中におしゃべりをすることが好きだった。
かれは時間泥棒にこんな風に提案される。

一人のお客に半時間もかけないで、15分でできます。無駄なおしゃべりはやめる。年寄りのお母さんと過ごす時間は半分にする。いちばんいいのは、安くていい養老院に入れてしまうことですな。そうすれば1日にまる1時間も節約できる。それに、役立たずのセキセイインコを飼うのなんか、おやめなさい!ダリア嬢の訪問は、どうしてもというのなら、せめて2週間に1度にすれば良い。寝る前に15分もその日のことを考えるのをやめた方が良いでしょう。

 「モモ」 p98

時間を意識するようになった床屋のフーバーは、時間泥棒の言う通りに無駄を省き始める。

おしゃべりもやめたから、カットは15分で終わるようになった。好きだったダリア嬢への手紙は要点だけをまとめて月に1回だけにして、セキセイインコも売り飛ばした。

無駄を省いた結果、フーバーの日常から楽しさは消えたけど、効率化をやめることはできない。

顔から精気がなくなっても、さらなる節約を行なってしまう。

タイパやコスパだけでは幸せにはなれない

自分の身に置き換えても、効率化ばかり求めている時には幸せというより焦りや不安を覚えることの方が多い。

無駄を嫌うから正解ばかりを求めてしまう。手っ取り早い方法ばかりをさがして、うまくいかなければ次を探す。自分自身の創意工夫なんて一つもない。ただ求めるのは目先の成果だけ。

成果が出ないとイライラして、不満ばかり溜まっていく。自分が効率化ばかりを追い求めてじっくりと取り組めなくなっているからだが、もはやそれすら気づけない。

大量にあるYoutubeを倍速で見たって本当はちっとも面白くないし疲れるだけなのに、やめられない。

無目的な効率化は、人生を狭めていく。

効率化からちょっと離れてみる。

大事なことは、効率から少し離れてみることだ。

効率化、時間の節約はそれが全てが悪ではない。当たり前だけどどう考えても無駄なことは省くべきだし、改善は必要だ。
毎日うんざりするような単純作業は、機械に任せた方が良い。

だけどそれが行きすぎて、家族と話す時間すらも惜しいと思ったり、散歩に出かけることすらも無駄と思ってしまってないだろうか。

本来は自分の人生を生きるために効率化を進めたはずなのに、自分の家族との時間すらも効率化してしまうようになる。

そうなっていくと、人生は灰色に染まっていく。

効率化よりもずっと無駄は大事だし、大切な人との関わり以上に幸福を感じれることはない。

時間に追われてしまうという方はぜひ一度、「モモ」を読んでほしい。

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