症状と「共に生きていく」という自己受容のかたち - ぼくとわたしの摂食障害との付き合い方
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症状と「共に生きていく」という自己受容のかたち - ぼくとわたしの摂食障害との付き合い方

Suzuki

「痩せて可愛くありたい」「女性らしい体つきになりたくない」「アスリートとして理想的な身体が欲しい」「男たるもの身体への悩みなどは持ってはいけない」「親の食事に対する口出しが煩わしい」……

食事にまつわる十人十色な困りごとを紐解いたときに、その背後にある気持ちもきっと人それぞれです。

「こうあるべき」という規範の内面化、規範から逸脱する自分自身の身体をどうにかコントロールしようとする欲求。それらが行き過ぎると、ときに「摂食障害」と呼ばれる状態に至ることがあります。

体重が増えることへの恐怖から、厳しい食事制限をしてしまう。下剤を大量使用してしまう。もしくは食のコントロールができなくなった状態での食べ過ぎを頻繁にしてしまう。また、食べすぎた後に後悔し、自ら吐いてしまう。

その言葉からイメージされる「食べられない」状態だけでなく、「食べすぎ」や「食べ吐き」など、摂食障害の症状は多岐にわたっています。

一人ひとり異なる摂食障害の症状や背景要因をどのように理解し、本人や周囲の人たちはどうやって症状と付き合っていけばよいのでしょうか。

そんな問いから立ち上がったのが、トークイベント「ぼくとわたしの摂食障害との付き合い方 - 『食べる』苦しみはどこから生まれるのか」です。

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斉藤章佳さん(左)は、約20年にわたってソーシャルワーカーとして、摂食障害はもとよりアルコールや薬物、DVや児童虐待、性犯罪やクレプトマニアなど様々なアディクション(依存症)問題の当事者の方々の治療や支援に携わっておられます。専門家としての視点だけではなく、斉藤さんご自身もかつて摂食障害の経験があることから、当事者としての経験も交えてお話を伺います。

そして姫野桂さん(中央)は、ライターとして多くの媒体に執筆されている他、著者としては発達障害をテーマにした著書も3冊、出されています。そしてまた摂食障害の当事者であることも公表されています。

以下では、2020年6月5日にオンライン配信した対談イベントのレポートをお届けします。
(レポート記事ライター: アケミンさん)

アディクション(依存症)としての摂食障害

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斉藤章佳さん(以下、斉藤) わたしは、基本的にはアディクションの臨床に関わる援助者としての講演が多いのですが、今回は、実際に過去に摂食障害になったことのある元当事者としての「マイストーリー」も含めて、姫野さんと一緒に話をしていきたいと思います。

その前に摂食障害について基本的な知識をいくつかお伝えしたいと思います。摂食障害の問題はいろんな捉え方があるのですが、私自身としては、アディクション、つまり嗜癖(しへき)行動としての摂食障害という見方が非常にわかりやすいと考えています。嗜癖行動としての摂食障害、つまり食習慣への耽溺(たんでき)という捉え方をしています。

・依存症の三類型
斉藤 依存症は、大きく3つに分類されます。

ひとつは「物質依存」です。これは何らかの精神作用物質を習慣的に体内に取り入れることで生じる依存のことで、主に薬物やアルコール、処方薬やニコチン、カフェインなどに耽溺することです。

ふたつめは「行為・プロセス依存」。これはギャンブルやリストカットから抜毛癖(トリコチロマニア:髪の毛や眉毛を抜く行為)、さらに買い物やゲーム、万引きをやめられない窃盗症もこの行為依存にあたります。また痴漢や盗撮などの性的逸脱行動を繰り返す人も、このカテゴリーに当てはまります。

そして3つめは「関係依存」です。これは恋愛依存やセックス依存などの関係性にハマることや親と子の関係に依存すること。DVや児童虐待などの家庭内における暴力の問題も含んでいますね。

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※依存症の大分類 イベントスライドより抜粋 ©斉藤章佳

斉藤 ここに挙げた依存症の問題は代表的なものばかりですし、時代とともに淘汰されていったり新しい依存症がうまれてきたり……というようなイメージを持っていただければと思います。

今回のテーマである「摂食障害」は、専門家によっては「物質依存」のカテゴリーに当てはめる人もいるのですが、私は物質依存に加えて、「行為・プロセス依存」の要素も入っているように思います。

というのも、摂食障害には、過食症だけでなく、拒食症もありますが、食べ物を体に取り入れて排出するという一連のサイクルは、「行動プロセスへの耽溺」とも捉えられるからです。


・摂食障害とはなにか?
斉藤 では、摂食障害にはどういう種類があるのか。基本的にはアメリカ精神医学会が出している「DSM-5」という診断のガイドラインを参考に紹介します。

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※摂食障害の診断上の分類 イベントスライドより抜粋 ©斉藤章佳

斉藤 まず、摂食障害という上位概念があって、そこから拒食症・過食症とに分かれます。拒食症・過食症についてはこの病気について知らない人でもなんとなくイメージができると思います。拒食症は、食べることを拒否している状態です。つまり非常に痩せた状態。街中で異常に痩せている若い女性を見かけたことがあるかもしれません。まるで、ちびまる子ちゃんのような体型で、頭でっかちで体はガリガリ、太ももは通常の人の腕ぐらいの細さで簡単に折れそうな感じ、これがいわゆる拒食症の人の体型です。

過食症にはふたつのパターンあって、神経性過食症と過食性障害があります。基本的に摂食障害は「過食→拒食」もしくは「過食→嘔吐→拒食」のサイクルを繰り返すといわれていますが、パージングといって外に出す行為をしない人もいます。排出せずにひたすら食べ続けるという人もいるので細かくカテゴリーが分かれています。

少し専門的になりますが、過食は「ビンジ・イーティング」といわれ、外に排出する行為を「パージング」と呼んでいます。私の場合は胃の中に入れずに食べ物のエキスだけを胃に入れて脳が食べたことを錯覚した状態で吐き出す「チューイング」という行為をしていたんですが、これも外に排出するという意味では「パージング」のひとつと言われています。あとは最もポピュラーな「自己誘発性嘔吐」と呼ばれる、いわゆる口に指をつっこんで吐く行為があります。そしてこれを繰り返しているうちに前歯が指の関節部分に当たって吐きダコができます。また指を突っ込まずに吐けるという「人間ポンプ」というパージングの方法もあります。一気に過食して膨らんだお腹をグッと押して出すという行為です。

ほかに吐く音をなるべく知られたくないということでトイレットペーパーを口に当てて音を吸収させて吐く、トイレットペーパーの匂いを嗅げばすぐに吐けるという人もいます。あとは水を大量に飲んで吐く、医療用チューブを使用して吐くなどバラエティーに富んでいます。パージング自体には、ひとそれぞれ慣れ親しんだやり方があります。

・摂食障害の特徴
斉藤 次に摂食障害の特徴についてまとめます。

まずは拒食症から。これには3つの特徴があります。ひとつは「期待される体重の75%以下の痩せ」。ふたつめは「肥満することへの恐怖」。とにかく「太る」ということに対して恐怖心があるので食べることを拒否する状態になります。3つめは「連続3回以上の無月経」です。今はどうか知りませんが、かつて、マラソン女子選手は「生理が止まることが一流の選手」だと言われていた時代もあったようです。痩せることが、体重をしっかりとコントロールしていることがアスリートとして評価されるという側面もあって、このダブルバインドにハマって摂食障害に陥るケースが多いのかなと思っています。

次は過食症の特徴です。過食症の場合、過食ビンジを繰り返すことや、過食嘔吐、過剰な運動が挙げられます。これらは「体重の増加を防ぐための不適切な代償行為」です。私自身も経験があるんですけどチューイングして出したあとに非常に過酷なトレーニングを自分に強いるんです。大量の食べ物を胃に入れて吐くと、そのあとに運動をするとお腹、とくに横っ腹が非常に痛くなるんです。そこまで体を痛めつけても体重を減らしていく……ここまで過酷な代償行為をしている人もいます。

そしてこれは摂食障害の本質的な特徴なのですが、「体型や体重によって自己評価が変化する」ことです。「昨日よりも500グラム体重が減っていれば、今日の私は一日ハッピー」そう思ってしまうんですね。反対に少しでも体重が増えていれば一日を憂鬱な気分で過ごさないといけない。体重の増減がその日一日の気分を決めてしまうんです。

それまで体重をコントロールしようとしてきたのに、体重という「数字」に自分がコントロールされてしまう。最初は自分でコントロールしようと思っていたのに、知らない間にコントロールされている、という意味では、薬物やアルコールと通じる依存症の特徴なのだと思います。

ちなみに私自身もこの「体型や体重によって自己評価が変化する」ことには、いまだに囚われている部分があります。体型よりも体重ですね。だいたい3年に一回減量のサイクルにハマるんですが、朝体重を測って昨日より少しでも減ってるとヨシとなるんですが、増えていると「なにがダメだったんだろう……?」「あれだけちゃんと決められたルールでやってきたのになんで減ってないの?」と自己嫌悪のサイクルに陥ってしまうことがあります。今は、だいぶこの自己嫌悪とうまく付き合えるようになってきました。

一方で3番目の体型や体重によって自己評価が変化する「囚われからの解放」や「今の体型や体重でも大丈夫」「自分はこの体重で生きていくんだ」ということを自己受容できている状態が摂食障害からの回復の中では重要だと思っています。これはのちほど詳しくお話します。

斉藤さんと姫野さん、ふたりの当事者としての体験

――ここからは姫野さんと一緒に摂食障害の当事者としての体験をお話していただきます。まず姫野さんは、いつごろからどんな摂食障害の症状を患っているのでしょう?

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姫野桂さん(以下、姫野) 3~4年前ですね。お仕事で摂食障害の専門医を取材したときに、話を聞いているうちに、自分の症状に当てはまる内容が多く、「あれって摂食障害だったんだな」と気づきました。

最初に摂食障害に陥ったのは、就職活動の時期でした。私が就職活動を始めたのは、リーマンショック後に景気が悪くなったタイミングでした。なかなか内定をもらえず、苦戦しているうちに自然と食欲がなくなって、1か月間で10kgも体重が減ったことがありました。そしてその体重が落ちていく様子が、おもしろくなってしまったんです。またそれだけ痩せると、男性からの目線も変わっていったのも印象的でしたね。「可愛くなったね」と言われるようにもなりました。当時は「たべっ子どうぶつ」っていうクッキーを一日一箱だけ食べていました。取材した専門医からは、「『きっとそれは、これを食べたら太らない』って脳が学習してしまって、ずっと同じクッキーを食べ続けていたんですね」とも言われましたね。

その後、なんとか無事に内定をもらい就職してからは、しばらくは普通の食生活に戻りました。徐々に体重も増えたのですがあまり気にしていませんでした。しかしその後、10年ほど経ったときにオーバーワークと失恋のストレスで拒食が再発して、あっという間に7キロぐらい減りました。

そこからしばらく42kgをキープしていたのですが、昨今の新型コロナウイルス感染症での社会や生活への変化やストレスから、過食に走ってしまいました。過食して吐くこともあれば、吐かないこともあります。吐くときは指を突っ込んで吐いたり、人間ポンプで吐いたり……。ちょうど先日もカップ焼きそばを2つ過食して人間ポンプで半分ぐらい出しました。

そうしているうちに、1か月半であっという間に7kgも増えてしまって……。今もその体重を受け入れられないですし、毎朝、体重を測ってます。先ほど斉藤先生がおっしゃってたように、私も数100gの差でその日の気分が決まってしまうことがあります。

斉藤 体重の増減で自己評価が変動するんですね。

姫野 体重が41~42kgのときって、ちょっとハイになってるんですよ。もともと小柄なので洋服はSサイズでも大きいぐらいなんですけど、痩せるとブカブカになったり、キッズサイズが着られるのも嬉しい。たぶん周りから見たらおかしいんだろうなっていう病識もあります。今は7kg太ったとはいえ、BMI的には普通の体型です。

――自己評価が変わることで、仕事のパフォーマンスや人付き合い、外に出かけたいとか、日常生活への影響はありますか?

姫野 仕事への影響はあまりないのですが、人付き合い面ではありますね。みんなでゴハンを食べる際にも、私はほとんど料理に口をつけず、ずっとお酒を飲んでいます。同席している人からは「全然食べないね」って言われることもあります。もちろんみんなと話しているのは楽しいんですけど、一緒に料理を食べて楽むことはできていないですね。

――斉藤さんの場合、摂食障害になった「きっかけ」はあるのでしょうか?

斉藤 もともと私は小学生のときからずっとサッカーをやってきたんですね。中学生の頃には身体が大きかったので社会人チームに入れてもらって練習をしていました。高校時代にはフォワードからディフェンスに転向して才能が開花した感じです。県の優秀選手に選ばれたりもしましたね。

当時は、カズ(三浦知良)がブラジルから帰国した時期で、Jリーグブームも目前というタイミングでした。そこで私も「サッカーを本場で学びたい」と思い、親に頼み込んで、数ヶ月ブラジル留学をしたんです。

ブラジルの選手ってすごくハングリーなんですよ。みな、貧しい中でサッカーをやっていて、貧困から抜け出すためにサッカー選手になりたいと思っている人たちがほとんどです。まさに「生活の中にサッカーがあり、サッカーの中に生活がある」という感じで、サッカーが文化になっていました。かたや日本から来た私は、スパイクやボールを親に買ってもらうような恵まれた状況、とにかくみんな目がぎらついていてハングリーさが全然違いましたね。

さらに衝撃を受けたのは、体重と体脂肪の管理を徹底してやれと言われたことです。午前中の練習のあとに体重が多いと、午後の練習では体重を減らせと言われ、反対に体重が少ないともっと食べろと言われる。とにかく体重をコントロールすることが一流選手として大事だということを叩き込まれました。サッカーをやめた今でも身長183センチで78kgがベスト体重、というとらわれが私の中にあります。

その後、帰国してからケガをしてしまって、半年ほど放置してしまったら半月板がぐちゃぐちゃになってしまって、サッカーを続けられなくなってしまいました。それが大きな挫折でした。それまでサッカーが自分の自尊心を支えてくれていたものだったのですが、それがなくなったことで自分にはなんの取り柄もないと思ってしまったんです。まるで裸で道を歩いているような感覚でした。練習は必然的に筋トレが中心になる一方で、走れないので同じ量を食べるとどんどん太っていくんです。 

そのときに思いついたのが、「出せばいいんだ」ということでした。とにかくトイレで食べてそのまま出していました。みんなの前でも普通に食べるんですけど、そのあとは食欲を抑えきれずチューイングして出すということを繰り返していましたね。「食べたものを出したら太らない、なんでこんなシンプルなことに気づかなかったのか!」と、何かすごい発見をしたという感じでチューイングを繰り返していましたね。

その後、復帰したもののどうしても怪我をした方の膝をかばってプレーしていたら今度はもう片方の膝をケガしてしまい、この時は「終わったな」という感じでした。その後、手術したのですが、リハビリの際にもチューイングを続けていました。高校で最後の大会に出られたものの、全力でプレーはできず、悶々とした気持ちを抱えたまま大学受験。大学は、結局サッカーをしなかったんですが、未練があったので一応サッカーの強い大学を選びました。この頃も、サッカー時代と同じようにストレスが溜まるとチューイングしてましたね。

姫野 現在は、摂食障害の症状は収まっているんですか?

斉藤 今はもうずっとチューイングしてないんですけど、3年間ぐらいなにも考えずに生活していると自然と10kgぐらい太るんですよ。ヤバいなと思って体重計に乗ると90キロぐらいになるから、減量モードに入ります。今年も11月の健康診断に照準を合わせて3月ぐらいから減量を始めていて。すでに4kgほど減ったのですが、78キロを目指すまでが実は楽しいんですよね。減量がうまくいっているとほかの体の調子もよくなって出るので、すごいドーパミンが出るんです。

チューイングをする必要がなくなったのは、この仕事をしていたことが非常に大きいと思います。私の中で大きな体験だったのは自助グループでした。就職して1年目のときに、アルコール依存症の自助グループ「アルコホーリクス・アノニマス(AA)」にかなりの回数、足を運んでいたんです。

姫野 斉藤先生は、あくまで榎本クリニックのスタッフとしてAAに行っていた。

斉藤 そうです。その際に、あるAAメンバーの男性から「斉藤さん、正直な話できてないよね」って言われたんです。「すごく苦しそうな顔をして話してる。私はあなたの弱い話を聞きたいんだ」って言われたんです。そのときに頭を金槌で殴られたようなショックがあって。思い返せば、「俺はアル中じゃないんだ、自分はここにいる人たちとは違うんだ」という雰囲気が出てたんだと思います。自分だけが過去のサッカーの話をしたり、武勇伝みたいな話をしていたのが、苦しそうな顔に映ったんだろうと。体育会系の”気合と根性”の世界で生きてきたため、自分の弱い話が他の人たちのエンパワーメントになるっていう発想が全くなかったんですよね。

姫野 なるほど…。周囲の人に弱さを見せたり、いざとなったとき頼ったりすることができないと、物質や食べるという行為への依存に走ってしまいやすいのかもしれませんね。

摂食障害の背景にある、「男らしさ/女らしさ」の呪縛

――摂食障害になりやすい人の特徴や、摂食障害に至るまでの典型的なパターンというのはあるのでしょうか?

斉藤 まず、摂食障害に至る人は、圧倒的に女性が多いですね。たとえば思春期の段階に第二次性徴期で自身の体が丸みを帯びてきているのに、テレビを見ると出ている人は細い人ばかりで「痩せたいなぁ」とか「かわいい服が着たい」と気軽な気持ちで始めたダイエットに過剰適応していくパターンが典型例でしょうね。

姫野 女性の場合「痩せているべき」というルッキズムがベースにあるものも大きいですね。、特に若い時期は「痩せている子のほうが可愛い」「偉い」みたいな価値観がありますよね。

斉藤 また交際している人や友だちから体型を指摘されて、無理なダイエットをはじめて拒食に陥ってしまうこともありますね。そして途中から拒食から過食になって、今度はパージング(出す)するようになる……。たぶんこのあたりがオーソドックスなパターンだと思います。

摂食障害をはじめとするアディクションには、「男らしさ/女らしさの過剰適応」という側面があると私は理解しています。私の場合だと、体育会系の世界では男らしさの過剰適応をしたほうが生きやすかったんですよね。その方が、先輩からも慕われやすいし後輩からは憧れの存在になれる。

姫野 男らしさの呪縛、呪いにかかっていたほうがラクな世界だ、と。

斉藤 そうですね。また摂食障害に至る女性の中には、高い割合で性虐待を受けている人がいるという研究もあります。そうなってくると、その後の人生の中で「好き」と「嫌い」の感情が極端にスプリット(分かれて)してしまい、最初は依存的だったのが急に攻撃的に変わってしまったり、過剰な見捨てられ不安や、そこからくる対人操作欲求など、不安定な対人関係様式を持ちやすくなります。他人の評価を気にしすぎるあまり、自分が一体何を望んでいるのかがわからなくなり、自暴自棄から不特定多数の人との性関係を自傷行為的にもってしまうこともあります。このようなパーソナリティの特性を暴力のトラウマ体験から持ちやすくなってしまうケースをたくさん診てきています。

姫野 性被害で思い出したのは、私が4~5歳ぐらいまで通っていた小児科でおじいちゃん先生にくすぐられたんですよ。たぶん喜ばせようとしてだと思うんですけど、パンツの中までくすぐってきて初めて「嫌」という感情が芽生えたんです。それって今思うと性虐待だったんじゃないかなと思って……。必ずしもこの体験と今の摂食障害が影響しているかはわかりませんが、お話を聞いていて過去の体験を思い出しました。


「治したいけど治したくない」摂食障害と回復をめぐるアンビバレンス

――ここまで、依存症としての性格を持つ摂食障害という病気の特徴や、そこに至る背景要因を話してきました。ここからは、摂食障害からの回復、リカバリーの道筋について考えていければと思います。

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斉藤 摂食障害に限らず依存症からの回復は、往々にして「自己肯定感の低さ」が注目されがちですが、私は別に自己肯定感を無理に上げる必要はないと思っています。それよりも実際に回復していった人たちに共通するのは、「自己受容」なんですよね。

姫野 自己肯定感と自己受容…違いを教えていただけますか。

斉藤 育ったところがたとえどんなに過酷な環境であっても、いい大学を出てなくても、いい会社に入っていなくても、どんなにひどいアルコール依存症や薬物依存を体験していても、「今の自分でOK」と仲間との分かち合いを通して時間をかけて思えるようになるプロセス、それが「自己受容」です。

この体とこの体型で生きていくんだ、と自らを優しく受け入れられるようになってくるんですよね。それは必ずしも、「自己肯定感」という言葉と共に語られる、明るく前向きなものではなくても良いと思います。もちろん人に迷惑をかけたり、犯罪に及ぶ依存症は問題ですが、少なくととも「その症状とともに生きてきていく」「病とともに生きていく」というイメージを持てるようになることが大切です。

おそらく私がチューイングをしていた時期に周りから「やめなよ、異常だよ」って言われたところで「そんなこと自分が一番よくわかってるし!」と思い、余計に恥ずかしくて殻に閉じこもってしまう。だからそれを無理に止めようとせず、逆にやりたいだけとことんやってみて、そこで必要だったら続ければいいと思うんです。

一人ひとり、自己受容や回復に至る道筋やタイミングは異なります。リストカットにしても摂食障害にしても、本人が人生の過程の中でそれを必要としていれば、頭ごなしに否定するべきではない。極端な話、後期高齢者になっても手首切ってたら逆にカッコいい生き様だなって私は思いますね(笑)。

姫野 私の中では、「摂食障害を治したいけど治したくない」という気持ちもあります。もしこれが治ると標準体重になってしまう。そうじゃなくて痩せていて理想の41~42kgの自分でいたい。一般的に望ましいと言われている標準体重になるともはや自分じゃない、みたいな。でも理想の体型は、すごく苦しい努力をして、たまに吐きながらでもしないと持続できない……と。

斉藤 食べ吐きは、やっているときは当然、苦しいですけど、客観的に見ると、それも自分の「人生の消費」の仕方ですよね。僕の場合もいまだに3~4年サイクルで減量モードを繰り返すわけですが、それがいざなくなることを想像すると、あまりにも人生に刺激がなくなって面白くないようにも感じるんです。このような短期目標があることで自分の人生は非常にあわただしくてにぎやかで、いわば刺激というか、ドーパミンというか、報酬系を定期的に刺激する要素があることが幸せなんです。

姫野 そういう意味での「生き様」なんですね。その症状とともに生きてきていく。

斉藤 ある薬物依存症の当事者の話です。その人は様々な医療機関を渡り歩いたし、依存症の専門医や有名な精神科医にも診てもらったけど、覚醒剤もヘロインもやめられなくて最後、榎本クリニックにやってきたんです。私も実は長く担当しているんですが、今は人生ではじめて2年間ぐらいクスリを止められてるんだそうです。確かに使っていない。彼に聞いたら「飽きたんです」と言うんですよね。「もうとことんクスリをやってきて飽きました」って。それを聞いたときに「『飽きる』というやめ方があるんだ……!」と衝撃を受けました。それを聞いて私も、今は減量を3~4年サイクルでやっているけど、飽きたらやめるときが来るかもしれないなと思いました。

――「ときが来る」ということかもしれませんね。

斉藤 時間とともに飽きるっていうのもひとつの自己受容の形態かなと思って。

姫野 その「飽きがくる」を変にコントロールしようとしたり、早めようとするとたぶんうまくいかないんでしょうね。「いろいろ渡り歩いて、もう飽きた」っていうのはひとつの境地ですよね。

(対談ここまで)


過食や拒食など、その特徴的な行動から、「個人の病気」としてイメージされがちな摂食障害ですが、今回の対談で語られたように、病に至る背景には、「男らしさ/女らしさ」といった社会規範と食や体型の結びつきがあり、「社会の病気」としての側面が大きいことがわかってきています。

回復の過程では、そうした規範の中で苦しんできた本人の「自己受容」がキーとなりますが、自己受容に至る道もさまざまです。また、摂食障害をはじめとする依存症においては、物質や行動への依存は、苦しみながらも本人が生きるために「必要」としている理由や背景があり、そこに目を向けずに無理矢理に止めさせようとすることの問題も指摘されました。

姫野さんが「治したいけど治したくない」と語られたように、一人ひとりが自分の「症状とともに生きていく」なかで、どのように折り合いをつけていき、自分なりの「自己受容」や「生き様」を見つけていくかが、摂食障害をはじめとする依存症からの回復において、とても大切なことのように感じます。

ご自身や身近な人が摂食障害に悩まれている方にとって、この対談レポートが少しでも参考になれば幸いです。

※以下では、イベント配信当日の質疑応答(匿名)の内容も一部ご紹介します。
Q.1 セルフモニタリングについて
Q.2 摂食障害とクレプトマニア
Q.3 自己受容のかたち

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