あくまでもヘッダー

『短編小説』第1回 あくまでも自然の成り行きで、そんな夢を見ている、春の日と日常。 /全4回


 僕は今、三枝千奈美という女と対峙している訳なのだ。

 元々は彼女が俺に声を掛けてきたのであって、俺が誘った訳ではない。だから俺は心の中で無意識に〝受身〟という態勢を取っているのだけど、彼女は随分と積極的で、俺はそれに抗おうとしている。
 それなのに彼女は俺にとってあまりにも積極的でいて、強く自己を表現した。
 もちろん、俺には彼女がどういった思惑を持って声を掛けてきたのか分からなかったし、今何を考えているのかだって分からないままだった。だけどそれは、ほとほと俺自身が分からないようにしているだけのようにも思えてならない。
「楽しいことがしたい」
彼女は俺にそう告げてから、ただ一度、少し寂しげな顔を見せた。何を求めてる?そう問いかけるのが野暮だと思えた俺は、その言葉を呑み込んだ。それから彼女と俺がどういった関係だったのかを、もう一度見直してみようかと思って頭の中に辛うじて残った記憶を辿ろうとした。
 しかしそれは、……いや、俺自身は忘れっぽい人間ではないのだ。ただそこには思い出と言える代物など何一つなかったのだ。わざわざ思い返してまでも何もないというのだから、それは間違いないのかと思う。そう思えば、その思い返した時間を勿体ないと思い、俺はなんだか彼女に対して、ほとんど一方的に、そして身勝手に、怒りを感じたりもした。
 三枝千奈美が言ったのは、ただその言葉だけだ。ただその言葉と、その意味を感じられない表情と、無慈悲な空気そのものだけだった。どうでもいい、とさえ思えたけれど、今自分がいるこの時間を無駄などとは俺は思いたくない。だからその〝思い返す行為〟をもう一度だけ試してみようかと思った。それに一片の意味もなかったとしても、それを肯定するために。

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