少なくとも

『短編小説』第2回 少なくとも俺はそのとき /全17回

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「ねえ、どうでもいいけどさ。佐伯さんって彼女とかいるの?」
車中の時間が俺は嫌いだった。どうでもいいんなら聞かなきゃいい、そう思いつつもそうは聞けない。女が主役の職場は、まず間違いなく女が権力を持っている。男社会とはよく言ったもんだ。大多数が男から成り立っているから成立しているだけで、形勢はこんなにも簡単に逆転する。きっと男という性はその昔、自分の場所が欲しかったに違いない。だからこそ家から出た社会という場に、女人禁制なる男社会を作ったのだろう。そう考えれば、その昔の男たちもよくやったものだ、と褒めてあげたくなる。
「いや~、特にいませんね~」
後部座席に座る女の子は、俺よりも随分歳下だろうが敬語を使って話していた。それが、女社会なるものの制約のような気がしていたからだ。
「へえ~、そうなんだ」
女はこれといった反応もせず、すぐにスマホに目を向けた。さっきも思ったが、どうでもいいなら聞かなければいい。切実にそう思う。ただ女はきっと、それがたとえどうでもいいことであっても、何かしら話したい生き物なのだろう。この職場で働き始めてそれを強く感じていた。皆が皆、俺にどうでもいいことを聞いてくる。それは別に相手から何かを引き出そうといった会話ではなく、ただ音を発して何かを発散するような独り言に近かった。その証拠に、俺は都度都度真面目に受け答えをしていたけど、その答えに対する反応が驚くくらいに薄い、もしくは、何もなかった。
「ねえ明日さ~、私何時だっけ?」
フロントミラーで後部座席に目を向けると、女はスマホから目を離さずにそう言っていた。車の中には俺と女しかいない。それが俺に向けられたことだとすぐに分かる。慌てて助手席に置いてあるシフト表をハンドルの上に置く。
「え~っと、……ミキちゃんは明日昼からですね」
「あ~昼からか、だり~な~」
とさしてだるそうでもなさそうに言う。やはり女は、ただ音を発することに意味があるのかもしれない、とまた思った。男とは逆だ。男はどちらかといえば、言うべきことを言わない生き物だ。こんな男と女がよくこれまで何年もの間うまくいっていたもんだ。そんなことを考えていると、頭の中に店の風景が浮かぶ。男たちは皆馬鹿みたいに女の体に纏わりつき、馬鹿みたいにいいなりになっていた。……頭を何度か横に振った。……あ~あ、職場を間違えたかもしれない、なんてぼんやりと考える。
「……どうしたの?」
フロントミラーにはこっちを向いている女がいた。俺のこんな姿に反応してどうする。これこそ意味のないことだっていうのに。
「いえ、別に。すみません」
俺はただそう言って、再びアクセルを踏み込んだ。女はすぐに自分のスマホに目を向け、それから彼女の家に着くまで一言も話さなかった。

※次回は金曜日

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