忘れられない先生は、誰ですか?
ずっと学校に対して一歩引いていた自分にとって、恩師というか少なからず影響を受けた先生は、ちょっと普通ではない先生でした。でも、それぞれ全くタイプの違うこの5人は今でも会いたいと思いますし、実はずっと探していたりします。なので、もしこの投稿を見つけたら、どなたかその先生について教えてくださいね。
ちあき先生
実は一番人生が変わったのはこの方のおかげかも。高校時代の体育の先生。体育が大の苦手で、それ以上に苦手なのが体育の先生でした。高校時代まで体を動かすことはほとんどなく、小学校時代などは授業をサボるほど。
その日は紗懸垂のテストでした。完全に運動不足の私はなんと記録、5回。最低も最低です。
そんな時、ちあき先生が言ったのは「そんなんじゃ、子どもも産めないよ」それがベストの声かけだったかどうかはさておき、なぜか一念発起した私はその日から毎日地味なトレーニングを続けました。迎えた翌年の記録は軽く50回を超え、さらに何回でもできるほど。
彼女は、参加したくない時もじっくり話を聞いてくれたり、運動が苦手でもがんばっていることを認めてくれた人。評定が5段階の4ついたのも初めてでした。
ちあき先生、ありがとう。大学では体育会に入って頑張り通せました。自分ができるようになると信じられるようになりました。
高校2、3年担任の小西先生
当時は実はあまり好きではありませんでした。ちょっと生徒にいじりとも取れることを言ってみたり。。。でも、学校不信だったわたしがなんとなくクラスに溶け込めてやっていけたのはきっと担任の先生の力もあったと思います。今は校長をされているようです。もう最終年くらいかな。久しぶりにお会いしたい。
尊敬するようになったのは同僚として働くようになってからでした。常に手元にはジーニアスの辞書。気になることがあると教頭のデスクで調べておられました。授業がなくても、いつも勉強熱心で、仕事熱心な方でした。
川端淳司先生
ここからお二人はトフルゼミナールの先生です。留学向けの予備校ですが、実は留学する前後に通っていたのです。川端先生は著名な方で、びっくりするほどたくさん本も出されています。
説明が的確で、それまで文法はサッパリだった私も川端先生の説明はいつもよく分かりました。今まで習った日本人の英語の先生としては不動のNo.1です。まだ教鞭を取られているのならぜひ会ってお礼が言いたい人です。トフルで612というスコアが取れたのは川端先生のおかげ!
マイケル・モッファ先生
同じくトフルゼミナールの先生。確かアラビア系カナダ人のムキムキマッチョだった彼は47歳にして毎日腹筋や腕立て伏せを200回はするという強者でした。実は当時とても仲良くしていただいて、16歳の私の親友とも言える存在でした。
英語のネイティブスピーカーでしたが哲学を学んでいて、普通に日本語の難しい哲学書も読む彼は教養が深く、今でも尊敬しています。英語を教えるときには数値をよく使っていて、この表現なら何割の人がこう使っていて...という感じ。これほど英語の授業が面白かったのは初めてでした。
この方は完全に音信不通になってしまいました。なんとか見つけ出したいと思って、SNSなどで探してみましたがダメでした。。。ありがとうマイケルモッファ。
アイオワでお世話になった美術の先生
高校1年で最初の高校を退め、トフルゼミナールに3ヶ月通ってから短期留学したのはアイオワ州バレー高校。普通の公立高校でしたが、どの授業もすごーく面白かった。美術の授業では、例えばキュービズムを学んだらアウトプットは何を使ってもいいというやり方。オキーフやピカソ・ブラック、カンディンスキーなど様々な作風を学び、主に好きだったパステルでアウトプットしました。その過程で深く作風について思いを巡らせたのが楽しかった。
相変わらずちょっとアウトキャストな私に対して、美術の先生はいつも全肯定してくれました。お名前を忘れてしまったのが残念です。ここで少しでも自分のことが好きになれたからこそ、転学した近畿大学附属高校では大きく変わることができました。ありがとう!
さいごに
でも、自分にとって一番影響を与えたのは両親です。クレイジーな研究者の父親。30代から語学学習を始め、インドネシア語やドイツ語まで話せるようになった母親。英語と日本語の本はカセット伝票でいくら持ち帰っても良かったし、常に実験道具や物づくりの道具が転がっている環境は最高でした。とても感謝しています!
みなさんににとって、思い出に残る先生は誰ですか?
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