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art thinking #1

ビジネスだろうと学問だろうと人生だろうと、「自分の物の見方」を持てる人こそが、結果を出したり、幸せを手に入れたりしているのではないでしょうか?じっと動かない1枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」を作れない人が、激動する複雑な現代世界の中で、果たして何かを生み出したり出来るでしょうか 本書プロローグから引用

現代は科学であふれ、便利な世の中にある。その中で人々は自分の当たり前を勝手に作り上げたり、偏った価値観が生まれる。僕自身ヨガ哲学や、東洋の思想や医学の考えがとても好き、それは現代の「当たり前」を覆してくれ、新しい学びがあり、自分をもう一度客観的に分析できるから。そんな感覚が「アート志向」からも貰えた。

一つの作品に色んな見え方があり、それはまるで人生のように感じる。「アート思考」を説明する中で、6つのチャプターから順々に説明しているので僕自身、NOTEを通して振り返る。


■素晴らしい作品とは

「素晴らしい作品」とは「綺麗」「再現性が高いもの」「独自性がある」「色や筆の使い方の繊細さ」などと漠然に思っていた。反対に汚い作品は素晴らしいとは思えない。

その固定概念があるため、僕は絵を上手く、綺麗に書けない=良い作品ではないと考えていたため絵が苦手、楽しいものとは思えなかった。

でもマティスの妻の自画像の作品によりこの考えが変わった。この作品は緑色を多く使ったり左右対称で絵のタッチが違うなど、決して再現性が高い作品とは言えないように思う、つまり僕の今までの固定概念から言えば、綺麗な作品とは言えない。この当時も「素晴らしい絵」とは「目に映る通り描かれた絵」であり、それがアートの正解だと考えられていた。

この当時ころに「カメラ」ができ、再現性ということではカメラに勝てなくなった。そのことにより「本来のアートの姿」を探求が始まった。この探求し、自分なりに表現することこそアートの本質にあると感じる。

どんなことも「正しいことが正解」ではない。そもそもその正しさとは、その人の固定概念に過ぎない。色んな考えがあり、その探求を怠ってはならない。

■「リアルさ」とは

「目に見える世界の嘘」がそこら中にある。ワークでは、「サイコロを書く」ことをした。ほとんどの人が、立体的なサイコロを書くと思う。そんな絵が僕自身綺麗に見えるし「サイコロらしい」と思った、つまり「リアル」に見えたからだ。

ただそれも僕個人が思うサイコロ、もっというと僕一人が見たサイコロのイメージにか過ぎない。例えば、サイコロの1の目を描いたとする。その横の目や裏の目が1以外の数字、また2から6までの数字のどれかと考える。それは僕が「サイコロ」を知っているからだ。

サイコロを知らない人にサイコロを書かせたら、もしかしたら「6より大きな数字」「全て1の目」「カラフル」「そもそも四角ではない」など思い思いのサイコロを書くと思う。上記でも話したが再現性が高い=綺麗な作品は固定概念であり、アート思考ではないよう感じる。


ピカソが1970年にアビニュンの娘たちという作品を書いた。この作品はどの娘も目や鼻、口などすべてのパーツの描き方が違う。色の使い方、質感もそうだ。一見これは「再現性が低い作品」に思うがこれは、色んな角度から娘を書いている。

「目は正面から」「花は横から」「耳は斜めから」といったように一人の娘の部分のパーツごとに視点が違く描かれていたのだ。自分という目のフィルターのみを通して作品を見てしまうと、作品は現実から離れてしまう。「目に映るもの」が「リアル」ではなく、自分以外の色んな視点を持つことや五感を使って作品を見たりすることも大切。

■アートの「見方」とは

見る人の「作品のやりとり」が作者とともにアート作品を作り出している。勿論、作者は色んな思いがあり、伝えたいメッセージを作品に込めると思うが、その意図が分からない場合もある。

先日、友達の子供がクレヨンでぐちゃぐちゃに何かを書いたことがあった。その時僕は「これは〇〇かな?」と聞いたことがあった。答えは返ってこなかったから、何かを描いたわけではなかったかもと今思えている。僕は固定概念で「何か物を描いている」と考えてしまった。もしかしたら、今の気分で塗りつぶしたり、ペンの使い方を変えたり、色を使ったりして、何かを表現しようとしていたのかも。作者(友達の子供)と僕の間でアートの探求が生まれた瞬間だった。

この作品にもストーリーがあったかもしれないし、それはその子供の生活環境や、幼稚園での出来事など。色んな要素を想像したりすることもアート思考では大切だと感じている、探求にもいろんな視点を持つこと。

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次回に続く

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【川畑悠吾】
1994年生まれ(26歳)/東京都出身/海外プロサッカー選手/メンタルアドバイザー資格保持/全米ヨガアライアンス(RYT200)保持/サッカーをメンタルやヨガ哲学から考える『哲学とサッカー』無料マガジン公開中

【Notoを書く理由】
僕自身が学んだ事や経験をより自分のものにするためのツールとしてnoteを使って発信。僕を含めたすべての人が元気になったり、幸せになれば嬉しいです。

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