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結局はひとり 滝に打たれてみた話し : 独り言



6月22日

21日は夏至で22日はまだ夏至の余波が充分残っている。

そんな気がした。

そんな気がしたから、
夜の滝行をしたら何かが変わりそうで、
「参加します」とLINEしてしまった。

夜の滝行は、
一人ずつ滝壺に行き、
滝に打たれながら、
「えい、えい、えい…。」
と、十回言って戻ってくるというもの。

暗闇の滝壺に、
一人で行くのが怖い気がして、せめて二人ならいいのにと思ったけれど、
滝に打たれて、
一人だろうが二人だろうが関係ないと気付いた。

滝の下に入ると、
一瞬、
呼吸が出来なかった。
普段、呼吸に集中していないから。
呼吸に集中すると、
何のこともなく呼吸が出来た。
だけど、
「えい」
と言う声を大きく出した方がいいのか?
と、考えた途端、呼吸が出来なくなって、また呼吸に集中すると、呼吸する事ができた。

滝に打たれるのに、
そばに誰がいようと、
全く関係ない。
自分が呼吸に集中出来るかどうか…
それだけだった。

普段生きている中では、
殆どは雑念の中で生きているのがわかる。
何かに囚われ、
息さえまともにしていない。
色んなアイテムを揃えて、
自分を守るけど、
どんなアイテムも役に立たない。
全ては自分。

この世界は
本当は自分一人
…そんな感じがした。

しかも、
「えい」と、
十回唱えるのが精一杯で、
集中力が続かなかった。

終わった後、
もっと滝に打たれて痛かったと思ったけど、全く無理で、でも、こつを掴んだから、次はカタカムナを唱えたい。

水の形を考えた事があるだろうか?
滝から落ちる水は、
シャワーの強いバージョンと思っていたけれど、全く違った。
水の塊がぼたぼた落ちてくる
…そんなかんじだった。
水はやっぱり不思議で、
氷にならなくても塊になれたり、
蒸発すれば雲になれたり、
凍ればカチカチの氷になれたり。
多分、水が巨大な塊で落ちてきたらひとたまりもないだろう。


滝に打たれた後は
無事終わった安堵感で、
車に乗り合わせた方たちと、
二十数名全員が滝に打たれるのを待ちながらおしゃべりした。
みんな穏やかで、まるで以前からの知り合いの様だった。
おしゃべりしていると、
「ほたるだ。」
と言う声に上を見上げると、光るものが飛んでいた。
見ている間はほたるだと思っていたけれど、林の中に消えた後、
「あれ?ほたるって点滅しない?それにあんなに高く飛ぶっけ?」
と言うと、
「点滅する。それにこれくらい低く飛んでるよね。」
と、みんなで不思議がった。
それに、ほたるよりちょっと大きかった。
一体何だったのかは不明だけど、きれいだった。
それに、滝に行く車の中で、
「そこにほたるはいるかしら?」
と、たずねていて、
「いない。」
と言われ、
「ほたるがいたらいいなぁ。」
と、知り合いに話していたから、ほたるっぽいものが見れて嬉しかった。

夜の滝壺が怖かったと、
同じグループの人が言っていたけど、
すぐそこには20人ほどがいたから、
怖さはなかった。
「もし見えちゃったらどうするの?」
とも、
考えたんだけど、
別にどうもしない。
だって、払えるもの。
見えないフリをすればいいし。
もし、
暗闇の滝壺が怖いと思うのなら、
本当の怖い理由をちゃんと考えれば、
それ程、怖くは感じないものだ。
怖い気がする…を放置すると怖いままだ。
普段の生活だって、
そんなものかも知れない。


滝に打たれて2日経ち、
頭の思考が止まった訳じゃないけど、
不安な事が浮かんできても、
考えるのがとても面倒になっている。
面倒なので考えるのをやめちゃう。
はて?
それって、いい事なんだろうか?
どのみち、
考えても無駄な事だし。
滝に打たれて何かが変わったかと言うと、考えるのが面倒になった、それくらいだった。






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