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おもい。  ( 短編 : 5894文字 )



SNSの記事を読んでいたら、雲を消す方法が載っていた。「強く念じずに軽い感じで雲と一体化して消したい雲を消しゴムで消すイメージ消す」って、書いてあった。
雲を見ていたらそれを思い出して、消したい雲をジッと見て、
「青空が見たいからごめんね。消えてくれる?」
と、雲に言って、消えるイメージをした。
そしたら、アハ体験みたいに、ゆっくり静かに消えて、雲の切れ間から青空が覗いた。
「こんな簡単に出来るの?」そう思って、消した雲より厚くてちょっと大きい雲に、
「ちょっと実験させて。」
と言って、もう一度やってみた。
やっぱりアハ体験の様に、ゆっくり静かに消えて行った。
たまたま、風の流れで消えたんでしょ。雲は刻々と姿を変えるもの。

そして昨日。
空一面の雲に覆われた空。
どんより自分の気分の様で青空が見たいと思った。
だから、こんな大きな雲消えるわけない…と思いながら、雲に消えてと伝えると、この前は静かに消えて行った雲が、モゴモゴと何か不満を言っている様にゆっくり消えて行き、頭上には青空が見えた。
「嘘でしょ?」
人の意識は量子に作用する。人の念が量子の動きを変える…確かに、そう言っていたけど。
だったら…。
ずっと愛情を持って暮らせる人と繋げて見てよ…と、空に向かってに言うでもなく吐いた。明日、私の好きな珈琲屋さんに12時、黄色のブックカバーの文庫ぼっんを読んでいるから。


そう。
いま、珈琲屋さんで本を読んでいる。
12時を回ったけど、居るのは老夫婦二組と、カウンターに座った女性一人。
昼間、町を歩くと出会うのは殆ど老人だ。

こんな事実験する人間がこの世にいるなんて、誰も想像しないだろう。自分でも、凄くバカな事してると思う。
…誰も、来るわけがない。
頼んだエビとアボガドのホットサンドを食べ終えて、もう一度本を読もうとした時のこと。
カウンターの女性がクルッと振り向き、私のテーブルにやって来た。
「あなたよね?昨日、私のこと呼んだの。黄色のブックカバー、そうよね?私、旭川からハルバル来たの。あなたが先に気付いても良いんじゃない?」
と、静かな声で捲し立てた。
「え?」と、口に出しそうだったけど、頑張って飲み込むのがやっとだ。

だってこの状態、信じられる?
それにやって来るのは男性だろうと思っていた。
女性同士のルームシェアは長続きしない…が、学生時代の経験で私の定説になっていた。
それに、女性の服装。今時10センチある様なハイヒールに黒のロングスカート、緑のカットソー。私なんてパーカーでも十分なのに分厚いコートを椅子に掛けてある。まぁそれは旭川から来たから、向こうは寒かったんだろうけど…。
それに、なんか、年齢不詳だ。
そんな思考が一気に頭を駆け巡り、立っている女性を上目遣いで見るのがやっと。

「昨日、あたし、会議中だったの。急に現れて消えるからビックリしたんだから。」
「……。」
「でもね。…面白そうじゃない? だから来てみた。でも、あたしは気付いたのに、あなたは一人でただランチしてるみたいにしか見えない。」

どうも、はっきりモノを言う人の様だ。
多分、その女性は怒っている。
でもそれは当たり前で、こんな呼び出し方で、来たら知らんぷりされたら怒るし不安も混じるだろう。
でも、その話し方が、怒らせた私の感情をどうにかしなさいよ…って感じじゃなくて、「今、こんな感じなの」とあった出来事を話してるって感じなんだ。

「あ、ごめんなさい。どうぞかけて下さい。」

荷物を移動させ女性は席の向かいに座った。分からないけど何もピンと来ない。なんならなんで同席するのが不思議でしかない。顔を見ても服装を見ても、一体幾つなのかも分からない。

「私のこと、直ぐに分かりましたか?」
「分かったよ。だって、髪を結んでるけど、昨日のままの人だもの。それに、黄色いブックカバーの文庫本。」
「すみません。…私、あなたに何て言ったんですか?」

当たり前かもしれないが、女性は少しムッとした。

「ずっと愛情を持って暮らせる人だと思うから、ここの珈琲屋さんに来て。黄色いブックカバーの文庫本を持って待ってるからって、言ったけど。」
「あ、はい。その通りです。」
「来ちゃダメだったのかな〜?」
「とんでもないです。」



小学生の時の記憶が蘇って来た。

あれは優ちゃんと一方的な喧嘩をした時だった。一方的って言うのは私は何も言えなかったからだ。
でも、夜になり、寝てるのか起きてるのか分からないくらいの時、別に悪気はなかったことや、たまたまそうなってしまった事を伝えたかったのを考えていたら、私は急に優ちゃんの部屋にいた。優ちゃんの部屋の匂いと暖かさ。そして優ちゃんに考えていた事を伝えていた。伝え終わると、また自分の部屋だった。
きっと夢だろう、そう思っていたのに、次の日学校で優ちゃんに
「昨日、私の部屋に来たでしょう。急に来たからビックリしたんだから。別に悪気がないのなんて知ってるし、でも、悪気がないから良いわけじゃないよね? 大体ミロクちゃんて何考えてるのか分からない。みんなが再テストになった算数で一人だけ100点取ったかと思うと、一人だけ10点で再テストになったり、誰もジャズダンスなんかできないよって言ってるのに、一人でジャズダンス踊って、みんなが踊り出したら興味ない感じになったり。それに曜ちゃんのあれ、絶対嫌がらせなのにミロクちゃん面白そうに「良いよ」とか言ったり。」
優ちゃんが、私になんか怒ってるのは分かる。でも、何に怒ってるのか結局わからない。
一体どうしたら良いのか考え出すと頭の中に霧が立ち込めてしまう…そう言葉にして分かるのは大人になったからだ。
優ちゃんの言ってることもパーツの寄せ集めだし…。
当時はそれさえも分からなかった。
私は自分の感情と言うものが分からなかった。
だから、優ちゃんに、意識を飛ばして会いに行ったのに、結局そんな事を言われて、今だったら悲しいって分かるから、きっと泣いてしまうけど、その時は泣くこともできなかった。
もう一つ大人になって分かるのは、優ちゃんは私を理解したかったんだと思う…。
返事をしない私に優ちゃんが、
「突然夜に来ないで、その場でちゃんと言ってね。」
と言ったんだ。


それが、一番初めに意識を飛ばしたと自覚した出来事だ。

それからは、起きてるか寝てるかの中間の時は気をつけて、余り何かに執着しない様にしていたが時々やってしまっていた。

最後に意識を飛ばしてしまったのは、元夫に散々殴られた夜だった。
次の日、朝食を食べながら、
「夜中、俺の部屋に入った?」
と、対面キッチンにいる私に顔を見ずに夫が聞いて来た。もうずっと寝室は別でシーツの交換以外は行ったことがない。
「入ってない。」
と、返事などしたくなかったが返事をした。
「寝てる俺を誰かがずっと見てたんだ。…誰か分からないけど、気配がお前に似てた。」
…きっと、私だろうな。でも、夫には言わなかった。
もう、あんな嫌な感覚は二度とごめんだ。

でも、昨日は、ちゃんと起きていた。
それでも、こうしてこの場所に居るのは、何か、真綿と真綿がコツンと小さくぶつかって繋がった感覚があったからかもしれない。


あ、っと、意識を戻すと、その女性は珈琲を飲んでいた。

「ここの珈琲美味しいですよね?」

なんとなく取り繕う様に言った。

「美味しい。あなたは、美味しい物好きなの?」
「多分。常に美味しいもの食べたりはしてませんけど…。
 あの〜。お名前、伺っても良いですか?私、ハツネミロクって言います。」
「ハツネミミロク? あ、あたしは板緑桃子。いたろくって、木の板に緑って書くの。桃の花の桃子。」
「あの初音ミクは、初めての音だけど、私は初めての根っこです。音は同じですけどね。」
「ふ〜ん。なんて呼べば良い?」
「ミロクで良いです。桃子さんで良いですかね?」
「じゃあ、そうしましょう。」

そうしましょうって、私の方が年上の気がする。服装は若者っぽくないけど…、そんな気がするんだけど…。桃ちゃんって感じじゃないし、「さん」だな。

「今日来るの、躊躇しませんでしたか? それに、愛情を持ってずっと一緒に暮らせる…ですよ。」
「躊躇ね〜。う〜ん。普通するよね。あなたはどうして私を選んだの?」
「…すみません。選んだのは私と言って良いか分からないんです。」
「はぁ〜!どう言うこと?分からない人のところに来れるわけ?」
「行っちゃったみたいです。そもそも、桃子さんを知る術がありません。」
「ハハハ。そうだよねぇ。共通点ゼロだもの。」
「でも、SNSで繋がる様なものだと思いませんか?電波会社の電波とは違う電波で繋がっただけだと思うんです。ただ、私から桃子さんは見えませんでしたけど。」
「あたしは、ミロクが目の前で喋ってたよ。会議中なのに。だから、ここに入って来た時この人だって分かったもの。
 ミロクは、スマホとかいらないね。自分専用回線のフリーwifi持って、フリーで繋がれるんだもんね。」
「そう言うの、気持ち悪くないですか?」
「気持ち悪かったら来ないし、言ったじゃん。面白そうって。あと、あたしが幻見たわけじゃないって確かめたかったのもある。」
「もし、私が現れなかったら?」
「ずっと旭川から出てなかったから観光かな。ここから電車に乗ると、隠れ家的な温泉あるよね?現れなくても、来たからには楽しまないと。あ、あと、幻を見てしまったか〜って、自覚する。」

二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
桃子さんは、嘘がない感じがした。…自分に正直?そんな感じだろうか。
その素直な感じが私を安心させる。
なんて言うのかな?
基点があって、揺れるんだけど、基点にスムーズに戻っていく。

「普段は何してるの?」

と、桃子さんが聞いて来た。

「え?桃子さんは?」
「あたしは、海鮮物を扱う会社で働いてる。中卸だね。最近、漁獲量が減ってるんだよね。需要は高い。…ミロクは?」
「私は…、会社辞めて、散歩が日課です。」
「良いね〜。自分を取り戻す時間は必要だよ。」

そう言われてホッとした。その言葉に嘘はない様に思う。



2ヶ月前まで薬剤師ではないが、薬局で働いていた。薬を調合したり、届け先に薬を運んだり、入荷や在庫の確認をしたりする仕事だった。神経は使うけど、慣れればそれなりだ。
ただ、どうしても馴染めない人がいた。

その人は、自称子育てマイスターで、
「親に愛情を注がれなかった子はダメなのよ。愛情を注がれないと知能も高くならないから仕事もできないし、情緒不安定になるの。母乳で育たなかった子は、親から免疫を貰ってないから体も弱いし…。」
と、私の出す何かを読み取って、触れられたくない部分を触れてくる気がしていた。
気がしていたと言うのは、私がそう取っていただけかもしれない…ってこと。

私はPMS(月経前症候群)と月経困難症があり、月の半分は腹痛と頭痛、貧血の様な症状が続いて、酷い時は起き上がるのも辛かった。
生理休暇もあったのだが、自称子育てマイスターが、
「愛情を注がれなかった子はダメね〜。私なんか生理痛になったことなんかないわよ。」
と、言い始める。
そう言われても、起き上がれない時は休むしかなかった。

「私はね、子供達にちゃんと愛情を注いだから、二人とも東大に入ったのよ。先月なんか、お兄ちゃんに言われて株を買って300万儲かったの。」
お金儲けが目的の子育ては愛情って言うんだろうか?
愛情を注いだ証明は子供が東大に入ることなのか?
私ならそんな愛情いらないけど。
そう思っても、PMSが始まると、子育てマイスターの言葉は私を思いっきり突き刺した。
「私は既に社会不適合者なのか?」
そんな思いが頭の中にこびり着く。

結婚はしたけれど、子供が出来るのが怖かった。
「あの母親の様になったら…。私はあの人の娘だからきっとあの人と同じ様になってしまう。」
それに加え、夫は母と同じだった。殴り方、放つ言葉。
「あんたを殴ったから手が痛いじゃない。あんたが悪いからだよ。」
「お前を殴ったから俺の手が見ろ、こんなに赤くなった。あ〜痛ぇ。」
母から離れても、形を変えた同じ人間がまた傍にいる。
だから、そんな夫の子供が出来ることも恐怖でしかなかった。
「子供なんかいらない」
それなのに生理は遅れることもなく、きちんとやって来るのだ。
生理の度に何かに呪われている気さえした。
遅れたら遅れたで恐怖は増すのだけれど…。

本当は、子育てマイスターが悪いわけじゃない…。
それによって引き出される記憶が、私を蝕んで自分を自分で否定し続ける。

そして離婚し、仕事は続けていたが結局は辞めてしまった。

でも、後悔はしていない。
私は決めたんだ。
呪縛から抜け出すって。



会ったばかりなのに、桃子さんに話してしまった。
今まで、誰にも話す事など出来なかったのに。
桃子さんはじっと話しを聞いていた。話しが終わったのを察すると、

「それさ〜、月経困難症は治るんじゃない?」
「治る? たくさん病院に通っても治らなかったんですよ。」
「治るよ。子宮は元気なんだよ。だからきちんと生理は来る。ただ、安心できない環境で母になるのが怖かっただけでしょ。閉経するまで後20年くらいある。ずっとそうやって過ごす気?
 …もう辞めなよ。」

頭の中で「うん。やめる。」と、言葉が ポン と浮かんでくる。


「大変だったね。」とか「辛かったでしょ?」とか…。
どこか他人事に慰められたら、私の頭の中は「私は大変だったの?」「私は辛かったの?」とクエスチョンマークでいっぱいになってしまう。
たいへんだった? たいへんだった? たいへんだった? たいへんだった?…
つらかった? つらかった? つらかった? つらかった? つらかった?…
私は私の中にその言葉を探し、それに当てはまる感情がどこにもなくてグルグルその感情を探してしまう。
「じゃあ、大変でも、辛くもなかったの?」
そう自問するけれど、言葉も感情も何も浮かび上がらなくなってしまう。

「うん。やめる。」
そう言葉が浮かぶと、私の中の永久凍土が溶け出した様に、今まで見た事もない大粒の涙が溢れ出した。
お店のライトが大粒の涙に当たるとキラキラして綺麗だ。
瞬きすると、まつ毛が涙を弾いて、小さくなった涙のかけらたちがキラキラ飛んでいった。
綺麗すぎて、自分が泣いているって事を忘れてしまう。

桃子さんが言う。
「あのさ〜。
 鼻水出てるよ。」

私は、クシャクシャの顔で笑うしかなかった。

桃子さんはかなり古そうな、折り目が破れたティッシュを差し出して、
「ごめん。これしかない。」
と笑った。

安心出来るって、すごいな…。



                     おしまい。

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