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どうして食べちゃいけないの? : 独り言



女の子が
「アイス食べる!!」
と、一つ目のアイスを食べ終わった途端言いました。

「一個食べたから、終わり。」
と、静かに返しましたが、

「イヤ。もう一個食べる。」
と、譲りません。

「一個食べたら終わりだよ。」
と、また繰り返しました。

「もう一個食べたい。」

「明日の分、なくなっちゃうよ。」

「明日はいらない。今食べたいの。」


女の子はこんな風に
「イヤ!」
を繰り返すと、自分の意見が通っていて、いつも箱のアイスを空にしていました。


それを聞きつけたお母さんが、

「一個食べたんだから、終わり!!」
と、声を荒げました。

その声に合わせて女の子も
「イヤ‼︎
 もう一個食べたいの!!」
と、大声を出し始め、仕舞いには大声で泣き出しました。

小さな綱引きから、大きな綱引きになり、大人の力に敵わなかった女の子は、綱引きから、別の力技の大声で泣く手に出たのです。

私を見ていたお母さんは言います。
「叱り方が分からない。」
と。
それに頷くだけで返事はしませんが、叱る必要ってあるんですかね?…と、心の中で思います。

だって、
『どうしてアイスをもう一個食べてはいけないんでしょう?』
お腹を壊すから?
太るから?
明日の分がなくなるから?
そんなのどれも理由にはなりません。
『食べてはいけない』
と、決めているのは大人の勝手な理由です。
それなのに、最もらしい理由を付けて叱る必要なんてないし、大声を出したり、叩いたりなんてもってのほか。

やっては行けないと思う事を「やっては行けない」と伝えているだけです。
伝えるのに、大声を出したり、叩いたりする必要はないですもんね。

しかも、「やっては行けないこと」とは、私の勝手な価値基準でしかありません。

「○○だから、やっちゃダメ。」
と、最もらしい理由を説明しますが、
よーくその言葉の意味を考えると、
大概は大人の都合です。
子供はそれを無意識に感じているから、
「○○だから…。」
と、始まった途端、
「あー、説教。」
または、
「また否定。」
と、大河のような距離を作ります。
それよりは、
「やっちゃダメ。」
と、率直に伝えた方が分かりやすい。
そこで
「どうして?」
と言われたら説明すればいいし、その説明も、確実なものなどないのだから叱るスタンスになる必要あるのかなぁ?と、思います。
説明ではなく、どうしてやっちゃいけないんだろうね?と、一緒に考えてもいいように思います。大人も気付かなかった、新たな視線や解決策が見えてくるかもしれません。

大人でも、上司に
「○○だから、この仕事は絶対成功させなければならない。」
なんて、自分は正しい事を言っているかのように押し付けられると、ロジック破綻してるよ…なんて、どんよりしてしまう事、ある気がします。
ロジックを破綻させながら、この世界は進んでいくのだから、自分の正しさを押し付けられるのは子供でもイヤですよね。(エントロピー増大だ)

子供は、大人と小さな綱引きをしながら成長していきます。
それは楽しい綱引きだったり、譲り合えない綱引きだったりするでしょう。
綱の引き具合は、それぞれの人によっても、その日によっても違うし、バランスがとても難しい。
ただ、ちゃんと綱は離さないよ…と、伝わっていれば、多少のことは何とかなる気がしています。綱引きをしながら信じ合えるを確認してもいるのでしょう。


…とか言って、大人は大きな人間で、子供は小さな人間で、そんなに大差はないのかもしれませんが。
私は女の子の親ではありません。
女の子にとったら、通り過ぎただけ。
それでも、一兆個の細胞のどこかに、微かな記憶として残るのでしょう。





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