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カエデの国の挑戦 第4回「問われるジェンダー」

「首相、なぜそのようなことを?」
「なぜかって? もう2015年だからさ!」

2015年、エリザベス2世から組閣の大命を降下されたカナダの若き指導者、ジャスティン・トルドー首相は全30人の閣僚を男性15人女性15人にして世界を驚かせた。
時あたかもイギリスでEU離脱論が強まり、アメリカではトランプ旋風が巻き起こっていた「ポスト・真実」の時代である。同じアングロサクソン国家でありながら、リベラルな政治を志向したカナダは世界の中で一際輝いていたであろう。そのハイライトの一つがこの男女同数という内閣人事だった。

カナダの独自の紋章文化を全5回にわたって紹介するシリーズ『カエデの国の挑戦
第4回目となる今日は、カナダの紋章におけるジェンダーフリーの取り組みを扱っていきたい。

もともと紋章という存在は、中世ヨーロッパの戦場の中で産声を上げた。頭からつま先まで全身を甲冑に包む騎士である。外見だけでは誰が誰だか判別がつかない。そこで騎士たちは自分がどこの何者なのかを示すシンボルを盾に描き、武功をあげるとそれを高々と掲げた。はたして盾はシンボルとなり、そのシンボルは家門の誉れとして爵位や封土とも結びついて「紋章」となっていた。
1000年以上前のこの紋章の起源は、現代の価値観とは相入れない、しかし現代においても紋章制度の根底に流れるとある制約をもたらした。

女性は紋章を使うことができない。

このようなものである。それは中世の戦場は男性の世界であり、女性は戦場に行かなかったことに由来する。逆に言えば、戦闘に従事した女性には紋章が認められた。
その代表的な人物がジャンヌ・ダルクである。彼女はシャルル7世を救出した功績からフランス王の紋章であるフルール・ド・リスを加えた下図の紋章を許されたと言われている。
楠木正成が後醍醐天皇から菊水紋を下賜された話とよく似ている。こうした紋章は加増紋(オーグメンテイション)と呼ばれる。

しかしこれは極めて例外的な話である。ヨーロッパでは女性は父または夫の紋章を使うのが通例であり、未婚女子の場合は父親の紋章を盾の代わりに「ロズンジ」と呼ばれる菱形や星形に描いたものを使ったり既婚女子の場合は夫の紋章と父の紋章を組み合わせる「マーシャリング」を行う必要があった。離婚後はもちろん、未婚女子の状態に戻る。
その事例を2021年に映画『スペンサー』として公開され、日本でも人気・知名度の高いダイアナ元妃の紋章の変遷に拾ってみよう。

名門スペンサー家に生まれたダイアナは同家の貝殻の紋章をロズンジに描いて使用していたが、当時のチャールズ皇太子との結婚に伴い紋章を改定。しかし離婚後には冠やグリフォンなどの装飾は残してはいるものの、盾自体は再びロズンジに戻っている。
紋章が白人的・封建的な存在であることは第1回で紹介したが、このように盾型の紋章は男性か「夫に属する妻」しか使えず、紋章という文化は極めて男尊女卑的なものでもあること。それは名門の出の元皇太子妃とて、こうした制約の中にあったこと一つとっても垣間見えるだろう。

さて、話をカナダに戻そう。

カナダでは第一次世界大戦後、多くのヨーロッパ諸国と同様に女性参政権が実現し、ピエール・トルドー首相が多文化主義を国是と宣言した1971年には「女性の地位担当大臣」が創設された。男女平等は君主制、多文化主義とともにカナダ政治の3本柱の一つとなっているだ。そのため、カナダ紋章庁はイギリスの紋章院やほとんどのヨーロッパ諸国と違い、女性にも男性と同じように盾型の紋章を付与するようにしている。
その一例がカナダ初(なお、現在のところ唯一でもある)の女性首相であるキム・キャンベル女史に付与された紋章である。女性だから女性マークというのはいささか安直な気もしないではないが、ヨーロッパの事例を考えれば、文民の女性であるキム氏に盾型の紋章が付与されたことの意味は極めて大きい。

さらにカナダのジェンダーフリーの試みは男女という生物的な性別をも超越していった。2005年、カナダでは同性婚が認められた。オランダ、ベルギー、スペインに次いで世界で4番目に同性婚が認められた国ではあるが、先例となる3カ国には紋章を統括する機関を有する国はない。
言い換えれば、カナダは紋章統括機関を有する国としては世界で初めて同性婚を認めたのである。それは、同性婚カップルの紋章をどうマーシャリングするのかという、オランダやスペインでは個人的に行われていたようなものを、世界で初めて公的に制度化する必要性に迫られたことを意味していた。

カナダの答えはこうだった。「男女のカップルと変わりなし。ただし(男女であれば向かって左が夫、向かって右が妻となる)配置については当事者2人で決めるように」。

近年、日本でもたびたび話題になるLGBT問題であるが、当事者の中には「特別な配慮などいらない。異性婚カップルと同じようにして欲しいだけ」という声も少なくない。カナダが同性婚カップルの紋章のマーシャリングに、男女の夫婦と同じ形式を採用したことは、さすが「多文化主義の優等生」というほかない。
こうした抜群のセンスは2014年、イギリスの紋章院にも導入された。もともとカナダ紋章庁がイギリスの紋章院から分岐した機関であることを踏まえれば、まさに「逆輸入」であった。

このように近年では、カナダの取り組みは旧宗主国イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国が大きく注目しているところとなっているのだ。
21世紀は「多様性の世紀」と呼ばれる。最終回となる次回は、一人カナダのみならず世界全体が多様性の時代を迎えた21世紀現在、ここまで見てきたカナダの紋章文化の位相がどう変化してきているのかを見ていきたい。

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