見出し画像

カエデの国の挑戦 第5回「リベラリズムの君主国」

時あたかもイギリスでEU離脱論が強まり、アメリカでトランプ旋風が巻き起こっていた「ポスト・真実」の時代、若き指導者、ジャスティン・トルドー首相の下、リベラルな政治を志したカナダは世界の中で一際輝いていたことであろう。しかし一方で、カナダには国王を頂点とする「白人が中心の君主国」という封建的な顔があることも忘れてはならない。

封建制と多文化主義という対極の価値観が国家の土台に共存する世界に類を見ない「リベラリズムの君主国」カナダ。
その独自の紋章文化を全5回にわたって紹介していくシリーズ『カエデの国の挑戦
最終回となる第5回目の今日は、21世紀現在におけるカナダ紋章文化の位相を探る。

ここまで見てきた通り、1970〜80年代から多文化主義を展開してきたカナダはその取り組みの中で紋章の白人的・男尊女卑的な性格を取り除くことに成功したといってよい。

しかし結局のところ、カナダが国王および国王の代理人たる総督を頂点とするピラミッド型の階級社会に基づいた君主国であることに変わりはない。そしてヨーロッパの多くの君主国と同様、カナダでも紋章は上流階級しか持つことができないものであることは忘れてはならない。
しかも階級によって冠やヘルメットの形状が変わってくる。言い換えれば、紋章とは出自のステータスを可視化する装置に他ならないのだ。

こうした前提に基づいて運用される紋章制度は、いかにカナダ紋章庁が先住民族や他文化圏の人々のエスニシティを尊重したり、女性にも盾型の紋章を付与したからといって、はたして本当にリベラルなるものと言えるのだろうか?

女性に盾型の紋章を付与したり、先住民族や他文化圏の人々のエスニシティを尊重するにしたって、彼らが紋章を持つことができる階級にまで上り詰めれるかどうかは別問題である
そもそも紋章という様式自体、ヨーロッパ人が持ち込んだ「外来のシンボル」であり、非ヨーロッパ人の土着・固有のシンボルがその型の中に収められていることに変わりない。黄色や浅褐色の肌をした人々は、はたして本当にその「白い型」の中に落とし込まれることを望んでいるのだろうか?

カナダの紋章文化は、たしかに「白人の世紀」だった20世紀には多文化主義に基づくものであり、リベラルな取り組みとして画期的だったであろう。そうしたカエデの国の挑戦は、筆者も一人の西洋紋章学研究家として高く評価しているし、カナダ紋章庁やトルドー親子をはじめその実現に取り組んだ人々を心から称えたい。
しかし「多様性の世紀」である21世紀を迎えた今日、カナダの紋章文化に深く内包されていたジレンマが顕在化しつつあるのもまた事実である。カナダでは独立直後のアジアやアフリカの旧植民地ほどではないにせよ、一部では紋章からロゴマークやエンブレムへの置き換えが進んでいる現状もあるという。

そのさなかの2022年9月8日、大西洋の向こう側から半世紀以上にわたってカナダの多文化主義を支えてきた一人の女性がこの世を去った。エリザベス2世、崩御

一つの時代に幕が下ろされ、世界中が深い悲しみに包まれた。もちろんそれはカナダも例外ではない。しかし昨今の新型コロナウイルスの世界的流行やウクライナ戦争といった情勢から社会の不安感が高まっているこの時代、偉大な女王の崩御はカナダ社会にすこぶっていたとある感情のトリガーともなってしまった。

この国にイギリス人の王はいらない。

かつて「大英帝国の忠誠な長女」と謳われたカナダでさえ、一部では共和制への移行が唱えられ始めているのだ。他方、親英派のイギリス系議員を中心に唱えられているのが「CANZUK」である。これはカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスで国家連合を形成する壮大な構想であり、イギリス王冠の下にある白人4ヶ国の比類なき紐帯を物語っている。
「リベラリズムの君主国」カナダはいま、ともにこの国の土台をなしながらも、その性格は対極に位置する2つの価値観のはざまで揺れている。

時は遡ってイギリスのEU離脱が示された2016年、カナダにはウィリアム王子・キャサリン妃夫妻の姿があった。「未来の王妃」たるキャサリン妃の胸にはカエデのブローチが輝いていた。エリザベス女王が母・エリザベス皇太后から譲り受けたブローチである。
王室の女性たちの中で、クイーン・オブ・カナダの「おんな紋」かのように受け継がれているこのブローチが輝かせるカエデは、ポスト・ナショナル国家としてのカナダを象徴するシンボルである。君主制の在り方をめぐって大きく揺れるカナダ社会ではあるが、他ならぬ王室自身が誰よりもカナダの多文化主義の真髄を理解しているのかもしれない。

日本でも多文化共生が唱えられて久しく、昨今では「G7広島サミット開催までにLGBT理解増進法の制定を」という話まである。
たしかに、その点において日本はカナダどころか欧米諸国に大きく遅れをとっている。日本が本当に多文化主義を目指すならば、同じ君主国であり、かつ「多文化主義の優等生」であるカナダの事例を(共通点も相違点も)しっかりと研究しなければいけないだろう。だが、そのカナダですら多文化主義のジレンマに陥っているのだから、十分な議論や研究の反映がなされていない現状のままに日本が彼らを「猿真似」したところで、すぐに失敗する気がしてならない。

それに、カナダの例に倣うとしても、彼らがケベックとの二言語・二文化主義から始めたように、日本国内に内包されている沖縄=琉球のエスニシティを十分に尊重できているのかどうかをまず先に自問すべきではなかろうか。

もちろん、多文化主義そのものは決して否定しない。むしろ個人的には賛成である。しかしながら拙速で見境いのない、皮相的な、鉤括弧付きの「多文化主義」を展開すれば、それこそ広島でカナダに失笑されること間違いなしだろう。
今から100年以上前の明治時代、日本は身をもってそんな経験をしているではないか。当時の日本人を描いた有名な風刺画が思い起こされる。

世界が「多様性の世紀」を迎えた今日、カナダから学ぶべきことは多い。それは19世紀後半におけるプロイセンに匹敵すると言っても過言ではないだろう。だからこそ、多文化主義の崇高な政治理念が「令和の鹿鳴館外交」にならないことを祈るばかりである。

シリーズ『カエデの国の挑戦』 完

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?