見出し画像

カエデの国の挑戦 第3回「多文化主義」

時あたかもイギリスでEU離脱論が強まり、アメリカでトランプ旋風が巻き起こっていた「ポスト・真実」の時代、若き指導者、ジャスティン・トルドー首相の下、リベラルな政治を志したカナダは世界の中で一際輝いていたことであろう。しかし一方で、カナダには国王を頂点とする「白人が中心の君主国」という封建的な顔があることも忘れてはならない。

封建制と多文化主義という対極の価値観が国家の土台に共存する世界に類を見ない「リベラリズムの君主国」カナダ。
その独自の紋章文化を全5回にわたって紹介していくシリーズ『カエデの国の挑戦
第3回目となる今日は、カナダを現代世界に決定づけた「多文化主義」の形成を見ていく。

ジャスティン・トルドー首相は首相就任直後のインタビューで「カナダは世界初のポスト・ナショナル国家である」と答えた。
カナダとは歴史や文化、言語や宗教といった民族的なつながりに基づく「国家」の枠組みを超越し、他者への思いやりや互いの違いを尊重することで形成される一つの「共同体」であり、そこに属するすべての人々が「カナダ人」なのだ。

その意味における「カナダ人」のシンボルがカエデである。それは紋章の世界にも及んでおり、カナダ紋章文化を最も象徴する図像(チャージ)となっている。もちろん、カナダ国章のようにカエデそれ自体をモチーフにすることも少なくないが、首相であることを示す十字架状に組み合わせた4つのカエデ、ヨーロッパでは百合によって装飾される二重枠(トレッシャー)がカナダではカエデによって装飾されるなど、カエデのモチーフの「応用」も多々見られるのだ。

しかし自国第一主義が渦巻く昨今のヨーロッパでは、カナダのこうしたポスト・ナショナルな取り組みの結実は「カナダ的例外」と冷ややかな声も聞こえる。それでは、なぜカナダ一人が成功を収めることができたのであろうか。カナダのポスト・ナショナルはどこから始まったのか。それについて見ていきたい。

カナダには白人コミュニティの中にも多様性があったが、それはあくまで「限定的な多様性」だったことは第1回で見た通りである。
それが有色人種にまで拡大したきっかけが、1967年の移民法改正によって導入されたポイント制である。これは出身国ではなく、個人の能力やカナダ社会への適応力を数値化し、その合計ポイントによって移民の可否を決めるというものだった。これによってアジア人やアフリカ人にも門戸が大きく開かれたのである。
さらに1971年には現ジャスティン・トルドー首相の父、当時のピエール・トルドー首相が「多文化主義はカナダの国是である」と宣言、1982年にはカナダ憲法に多文化主義を落とし込む「カナダ自由権利憲章」が、そして1988年には「カナダ多文化主義法」が制定された。いうまでもなく、ジャスティンのリベラル思想もまた父の影響大であろう。

はたしてカナダは「大英帝国の忠誠な長女」から「世界初のポスト・ナショナル国家」へと大きく方針を転換していった。

留意すべきは、ピエール・トルドーが唱えた「多文化主義」が厳密には「二言語・多文化主義」であったことである。二言語とは英語とフランス語のことである。
第1回で見たように、カナダにはケベック州を中心にフランス系が大きな存在感を示しており、繰り返しになるが、それは現在のカナダ国章にフランス王国のシンボルであるフルール・ド・リスが取り入れられていることにも表れている。

こうした背景のため、カナダにはもともと「二言語・二文化主義」という考えがあった。ピエール・トルドーはそれを発展させて「二言語・多文化主義」とし、それがやがて単に「多文化主義」と呼ばれるようになっていったのである。やはりカナダの源流は白人エスニシティの多様性にこそあったと言えよう。

とはいえ、カナダの多文化主義は1970〜80年代にかけて白人にこだわったものではなくなったのもまた事実である。そしてそれはカナダ多文化主義法が制定された1988年に設立されたカナダ紋章庁の下、もともとは白人の文化であった紋章にまで及んでいった。
その一例が1999年に制定されたヌナブト準州の紋章である。これはカナダ紋章庁だけでなく、イヌイットの人々と共同でデザインされ、イグルーやイヌクシュクといったイヌイットの人々のシンボルが取り入れられた。
また、ヘルメットを騎士のそれからインディオの飾りに変えた紋章もあれば、オンタリオ州議員を務めた日系人、デイヴィッド・ツボウチ氏に付与された紋章は家紋をイメージしたものである。

このようにカナダではカエデを活用するポスト・ナショナルの取り組みや先住民族や異なる文化圏の人々のアイデンティティを紋章に落とし込むリベラルな紋章制度が存在する。
紋章制度をこのように運用する事例はヨーロッパにはほとんどない。数少ない例外はマオリとの共存を選んだニュージーランド、白人支配体制が打ち破られた南アフリカに見られるが、いずれもヨーロッパ人が入植した非ヨーロッパ地域であることは見逃せない。
もう一つ忘れてはならないのは、カナダが男女平等にも積極的に取り組んでいることである。次回は、ヨーロッパとは一線を画すカナダ紋章文化のジェンダーについて見ていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?