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誰かが何処かで想ってくれる事

先程、やっと7ページの課題を提出し、お勉強もひと段落。日常生活に関してはサクサクできる私も、勉強となると、若い頃に流行った「スチュワーデス物語」で言う「のろまな亀」。(亀梨君の亀だ❣️)とても時間がかかってしまいます。もう少し手際良くできないかと思う日々。だけど、そもそも、2500gで生まれた私は、産科の先生が母に「大器晩成型です。ゆっくり育ててください。」と言われて人物。妙に納得してます。

さて、今日はとても嬉しい事があったので、今夜の授業の予習前に、この感情をnoteに記録。

2年程前(?)、里帰り中に、中学バスケットボール部の集まりがあると言うことで、音信不通だった部員に連絡を取る為、Facebookから、その部員の連絡先を知っているかもしれない幼なじみと連絡とった事がありました。その時になんとなくできたSNS上での小学校の幼なじみグループ。

長い音信不通の時間が嘘だったような空間に投げ込まれる、幼なじみ現象。

わかってるよ、お前の事。」「あー、私、受け入れてもらってる。」

会ってない間、いろんな経験をして、昔のようなピュアな心をもった人間じゃないし、言いたくない過去沢山ある、そんな自分だけど、安心を感じる関係性。

私が日本に居たなら、再会してただろうけど、アメリカ在住、尚且つ、それぞれの生活があり、時差もあると言うことで、今それぞれが置かれた環境の中では、あまり連絡を取るとこともなく、時は過ぎてく。

そんな日常生活の中で、グループからの久々のメッセージは、小学校一年生以来の幼なじみの男の子から。中学校までは同じ学校へ通学。その子が引越してからは、専ら、年賀状の付き合いの中、成人してから2度ほど再会。小学校の頃は、お家に良く遊びに行ってました。本物のパチンコ台があったり、我が家にはないようなおもちゃが沢山あって、私にとってはワクワクランド。とても心の優しい男の子に、チャキチャキのお母さん。「みどりちゃん、これ食べる?これ好き?」と良く、お構いしてくれました。なんとなく気が合うから、男の子だったけど、遠足の時も一緒に過ごしたり、そう言えば、遊園地にも連れて行ってもらって、当時流行ってた明治製菓のちびまじろのおもちゃをもらったのを覚えてます。まだ、実家にあるかな?宝物のような思い出が沢山あるので、心の大切な所にいつでもいる幼なじみ。ふとした時に思い出します。

そんな、存在、いませんか?

その子は、文才があって、今回、ラジオに私との事を投稿したら、それが読まれたらしいのです。アメリカでは日本のラジオを聞くアプリが使用できないので、たまたま、アメリカ時間の朝=日本時間夜中に起きてたもう一人の幼なじみに連絡して聞いてみました。

お題が「幼なじみ」だったのか?自分には、小学校一年生の時に出会った幼ななじみがいて、45年以上、偶に連絡しあい、その人は今、アメリカに居ますが、大切に思う友人です。。。みたいな。

私の知らない彼の日常の中で、ふと私を想ってくれた事、とても嬉しく感じた日。

とっても、とっても。

この状況下、人寂しくなったり、疎外感を感じることもある中、たまたま、今回はこうやって、心の繋がりを感じれた事、幼なじみの心と行動に感謝でいっぱい。ついでに、もう一人の幼なじみと朝のコーヒーを飲みながらの会話のプレゼント付き。

今回は、幼なじみのふとした時の心を知るモーメントがあったけど、自分もそう。いつも会ってなくても、連絡してなくても、連絡しようがなくても、完全過去の人であっても、「どうしてるのかな?」「元気なのかな?」って思う事、あります。

目に見えない所に、愛が隠れてたり、体感してなくても、愛に包まれてたり。

ねっ。

あー、体の中から、パワーが湧いてきた。ありがとう。

Love,

Midori

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