特別支援の授業中、涙そうそう
今年は53歳にして、パートタイムで学生に戻りました。働きながらだったので、1クラスだけだったけど、前々から子供の発達にとても興味があり、2020年、やっと重い腰をあげ、カレッジで授業を受ける事にしました。
このクラスでは、アメリカでの特別支援の歴史や制度、身体的、知能的な部分で助けを要する病気のこと、病名が付かずとも、チャレンジングな子供、グレーゾーンにいる子供、貧困、DV、心の病気など、いろいろな問題をかかえた子供、つまりSpecial Need(特別支援)= 特別/エクストラな助けが必要な子供達に、どのような環境やカリキュラムで教育すべきか学びました。
単に幼稚園の先生として知識を得るために勉強するだけでなく、「地球人」として自分がどうあるべきか、どうしたいか、どこを直していくべきか、考えさせられるクラスで、授業中に何度か言葉がつまりました。
授業で見たこのショートフィルムは「涙そうそう」。10分弱で涙腺も心も洗浄。
脳性麻痺の車椅子に乗った男の子の話で、優しい音楽の中、言葉はないんです。目で語ります。その男の子の目の奥にある心に、私の心がタッピングすると、自然とこみ上げてくる感情。大人みたいに長く生きてない分、良し悪しがわからないがうえの、一見、ネガティブに見える子供の行動、「一体なんなんだろう?」と思う好奇心、心で「あっ!」と直感、感じたら、もう出てる行動、小さい体での一生懸命がんばる姿、「いっしょ(同じ)だね」ってお友達と感じた合った時の喜び。
「あっちもこっちもないんだよ。みんな、いっしょだよ。」って言われてる私。
最後の子供達の笑顔が「これが本当に私の願う世界」と教えてくれる。私も昔は子供だったのに、どの角を曲がってから、大人になっちゃったんだろう?体ばっかり大きくなって、偉そうな事ばかり言っちゃって。
金網でわけちゃダメだね。だって、あっちもこっちもないんだよね。ありがとう。
Love,
Midori
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