油田

低きに流れる人間。 ふらりと上京し、ふらりとIT系に進んで、ふらりと辞める。

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低きに流れる人間。 ふらりと上京し、ふらりとIT系に進んで、ふらりと辞める。

最近の記事

烏の破片

トレンドに小僧寿しが乗っていて、なんだかとても懐かしい気分になった。 のぶ代ドラのあの時代、ドラえもん型のケースに入った寿司を私は食べていた。未就学時代の話だ。小僧が小僧寿しを笑顔で食べていたわけだ。 だが暫くして、大好きな小僧寿しが潰れた。その跡地にできたのは同じような寿司のデリバリーだった。味の違いがわかる位に舌が肥えている訳ではないから、ただ「ドラえもんのいない寿司屋」になったという印象しかなかった。 その寿司屋もすぐに潰れた。(と思う。正直記憶にない) その時分に出

    • 春風と共に去りぬ

      初夏だし駄菓子屋に入り浸ったりしたいと思いつつ、流れで今日も生きている。何もしていない。 梅雨のこの感じは、死んだ春の死臭を嗅がされているようで何だか陰鬱な気分になりがちだ。この気持ちは東京に出てからより強くなった。 土の香りも木々の濡れた香りも薄く、雨に薄められた排気ガスの気味悪い臭いと飲食店の脂ぎった匂いが混じり漂う。 自然な香りに関しては無臭の雨。 それは、より春の死を感じさせる。コンクリートの上を秩序だって流れる雨からは生の匂いも音もしない。 アームストロングと

      • 「まとめ」を読んで世を憂う

        百聞は一見にしかずとはよく言ったものだと思う。 だが今生きている我々は、一聞という単位にすら遠く至らない「まとめ」で世界を見ている。 コンテンツとして数秒で消費される3行ニュースやニュースに対しての発言等といった「まとめ」は喜怒哀楽を一瞬だけ与えて忘却される。そこには思考も画面の向こうにいる人間も介在しない。反射的に感情を抱き、その勢いのまま素っ頓狂なSNSのコメントをしたりする。 そうして膨大なコンテンツ群は脳裏に少しだけ痕跡を残して、うろ覚えの何かに変わる。 小さな痕跡

        • 斜陽世界の旅は終わらない

          ポストアポカリプス物とかディストピアとか好き。 もの寂しい雰囲気も大好き。 相反しがちなポストアポカリプス物とディストピアと、もの寂しさが同居したような世界を旅する物語をインセインというTRPGのシステムで、キャンペーンシナリオとして10ヶ月くらい続けている。 うちのキャンペーンの面子について少しだけ紹介したりしようと思い立ったので、パッションのままに書く。 タビソラの詳しい説明は本家を見たほうが早いし正確だ。 私はそこまで詳しくないので、誤解したままここに書き連ねるかもし

        烏の破片

          自分の事がよくわかる。

          祖父が死んだ。 享年86。ガリガリで「もう駄目だぁ」なんて20年くらいずっと言ってたから、ずっと平気だろうと思ってた。 死の数日前からは夜、死を怖がって祖母に泣きついていた。もしかしたら死神が見えていたのかもしれない。 生まれた時から爺だったのでずっと爺のまま生きていくんだと思ってたけど、爺のまま死んだ。 コロナの影響もあって帰ることもできなかった。 私に死んだ“父”の亡骸をスマートフォンで見せながら泣く母の声で私も少し泣いた。 出棺のときもそうやっていたので、カメラ越

          自分の事がよくわかる。