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ほなら、もっと給与上げたらなあかんな

「ほなら、もっと給与上げたらなあかんな」

親父がそう言った時、僕はまだ親父は認知レベルが下がってて、状況をよく理解してないのかなと思った。

少し前に親父は骨折したり、コロナに罹ったりで入院生活を余儀なくされ、その間に一時的にかなり認知能力が低下した。無事退院し自宅に戻ってきてからは、みるみる回復してきてはいるのだけど、結婚記念日を忘れてたり、僕の誕生日を「昭和19年…」なんて言い出してり、そもそも年末年始に入院してたことを一つも覚えてなかったり、やや「おかしい」ところはある。

年末年始の入院入院から退院して元気になった親父。お袋に感謝の気持ちを伝えてるらしい。

親父から「今年はどうや。儲かってるのか?」と聞かれて、僕はこう答えた。
「今期はかなり厳しい。原料や資材の値上がりもあって原価はあがってるし、光熱費類もかなり上がってる。でも、OEMは商品値上げの影響もあって、かなり売上が落ち込んでる。今年は利益出すのが精一杯だ」

この回答に親父が冒頭のセリフを返したのだ。
「ほなら、もっと給与あげたらなあかんな」

何が「ほなら」だよ、僕は一瞬ムッとした。逆だよ逆。
固定費も原価も上がってて、利益出るか出ないかギリギリだと言ってるじゃないか。皆の給与上げたら余計に苦しくなるやん。

でも、ふと、そういえば木村石鹸に戻った頃にも、こんなやり取りがあったなと思いだした。

木村石鹸に戻ったのは約10年前。当時会社の状況は決して良いとは言えない状況だった。売上は伸びもせず落ちもせず、ある一定ラインをキープしていたのだけど、直近5年だと営業利益額、率はずっと右肩下がり。2013年に営業利益率はとうとう0%。つまり利益がない、という状態に陥った。

製造業での利益率0%は、在庫の計上やらであえて税金対策でやったりするケースもあるとは思うが、木村石鹸では「しっかり税金を納める」というポリシーを持っていて、少しでも利益を出して税金を納めないいけないと考えていた。そんな風に考えていたのに利益が出ない状況だったのだから、あんまり良い状況とは言えない。

一方で、決して平均給与が高いわけでもなかったが、社員の給与は毎年確実にアップしていた。驚いたのは業績に関係なく賞与(レギュラーの賞与。夏と冬の年2回)も上がっていたし、毎年4月には成果配分という名の賞与がずっと出続けていたことだ。これは「成果配分」という名の通り、儲かった分を還元しようということで、6月決算の前に毎年4月に出してたものだったもののようだが、もともとの意図は忘れさられ、ただ仕組みとしては残ってて、全然儲かってないのに普通に出すことが当たり前になっていた。

木村石鹸は今でこそ「自己申告型給与制度」というちょっと変わった自己申告の給与制度を取り入れてるが、当時はどこにでもあるような能力評価の評価システム&賃金システムが採用されていた。ただ、実際には全然うまく機能していなかったので、最初の数年は最終僕がすべての賃金、賞与の額を決める、というやり方を採っていた。

正直、各人の能力や貢献の詳細は分からないので、全体のバランスの中でどれぐらい額を上げるか下げるか、それだけを考えていた。もともとの報酬が低い人はなるべく昇給額を大きく、相対的に報酬が高い人の上がり幅を小さく、そんな調整をしながら、会社全体の粗利額や労働分配率を見つつ原資を想定して給与を決めていく。

当時は労働分配率がかなり高い状況で、それを設備や環境などに極力お金を掛けないことでカバーしていた。本来ならもっとあるべき減価償却費がない。つまり長期に渡って設備や環境面の投資が殆ど行われてきてなかったのだ。その分が人件費に回っているような構造だ。利益率が悪化しているのはデフレやらの影響もあったが、結局、製造や開発方面に投資が行われてこなかったので、競争力が低下していってた、ということでもあったわけだ。

工場の方への投資は積極的には行われてこなかった

これを解消していくには粗利額そのものを増やすか、粗利額の割合に応じた人件費比率(労働分配率)をコントロールしていくしかない。粗利を増やしていく施策は優先順位第一にせよ、人件費にも手を入れていこう。月額給与を減らすのは難しいので、まず賞与や成果配分から手をつけよう、そんな風に考えた。

最初の年の冬の賞与。一旦親父に確認する。
親父は昨年冬との比較を出させて、昨年下がってる人を見つけては「なんや、去年より下がってるやないか。あげたれよ」と指摘し、上がり幅が小さい人にも「なんや、こんなちょっとした上がってないんかい。もっと上げたれよ」と不満を漏らした。

僕は会社の状況や事情を説明した。今までのようなやり方をしてては、利益を出すのは難しい。予算や目標に合わせて人件費もきちんと計算して出さないと駄目だ。そんな主張をしたと思う。でも、親父はそんなのは知らん、よくわからん。でも賞与も給与も上がらんとかわいそうやないか、という感情面の話ばかり。なかなか折り合いがつかなかった。僕も会社に来たばかりで、いきなりドラスティックに手をつけるのはリスクが高い。最終的には親父の意見をかなり組み込んだ。結果、賞与原資を超える賞与支給額になった。

翌年4月の「成果配分」でも揉めた。
「今期は成果配分は出さないつもりなんや」
成果配分など出せる状況でもなかったし、成果配分出せなかったとしても、仮にきちんと利益がでれば夏、冬の賞与にその分を反映させればよいじゃないか。僕はそんな風に思っていたのだが、その時もやっぱり親父は、
「それでええんか? 皆、楽しみにしてるんちゃうか」と寂しそうな顔をした。結局、その年も成果配分は出すことにした。

そんなこんなが3年ぐらい続いた。粗利額から賞与原資を計算して、その範囲内に留める、みたいな目論見はうまくいかなかった。人件費は減らせず、むしろ増えた。ただ、流石に厳しい状況もあって、当時の部長陣(主にベテラン)だけは、昨対で大幅に賞与を下げてもらうということは二回ほどやった。

一方で、事業の建て直しで、売上も少し伸び、利益率は僅かに改善していった。全然利益のでない量販店向けの事業から撤退したり、20年以上値上げしてこなかった業務用分野の洗浄剤の一斉値上げをやったり、OEM先への提案量を増やしたり、商談の場に技術メンバーも同席する機会を増やしたり。売上も少し伸び、利益率も少し改善した。給与査定、賞与査定の度に、ほぼ毎度親父からは「もっと給与上げたれ」と言われ続けたが、本当の意味での「成果配分」も出せるようになったし、賞与も賞与原資内から出しても昨対を上回れるような状況に変わっていった。
(コロナ禍のタイミングで一度出せなかったことがある。そのことはこちらのnoteに書いた。)

親父はビジネスがどうこうとか、労働分配率が高すぎだとか、そんなことは関係なく、ただただ社員にもっと幸せになってもらいたい、もっと安心してもらいたい、と思っていた。

決して労働環境が良いとも言えないし、他と比べて給与が良いわけでもない会社だったが、そんな会社で働いてくれている社員には、なんとしても報いたいと思ってたようだ。もちろん給与だけが幸せに関係しているわけではないことは重々承知している。でも、それでも、やっぱり給与はかなり大きなファクターではある。会社が儲かるかどうかとは別で、社員の給与は増やしてやりたい、もっと賞与を上げたい。親父はずっとそう考えてきた。

僕なんかは、ビジネスあっての人、ビジネスの数値の枠内でしか人を捉えられてなかった。だから最初は親父が言うことが正気の沙汰とは思えなかったし、そんな感情的なところで進めてても、実際のビジネスは全然好転もしてないし、むしろ悪化してるじゃないか、と反発していた。
業績に関係なく給与も賞与も上がっていくなんて、そんな緩い環境が当たり前の状況では、社員が危機感を持たない。実際、僕から見て、木村石鹸の社員はえらくのんびりしてるように思えたし、危機感がないようにも見えた。

でも、親父はビジネスをそういう風に捉えてはいなかった。ほとんど「人」しか見てないし、信じてなかったのかもしれない。ビジネス状況が悪かろうが、とにかく働いてくれている人に少しでも喜んでもらう。少しでも給与を増やす、賞与を増やす。年収を上げる。それは経営者としての義務だろう、そんな感覚で捉えていたんじゃないかと思う。それと社内の緩さや、危機感のなさ、は全く別物として考えていたのかもしれない。聞いてないので分からないが、もしかしたら、そういう商売がうまくいかない問題は、自分(経営/会社)の問題として割り切っていたのかもしれない。

親父は、当時もビジネスのことにはほとんど口出しをしない。工場を歩いて回って、もったいないことしてたら「勿体ないやないか」とよく怒ってはいたが、ビジネスについて言うことは「ええ商品つくってや」ということぐらいだ。後は、何かあって判断や決断を求められる時、「わしは嘘は嫌いや。嘘はあかんで」。シンプルな判断基準だ。石鹸づくりには興味あったが、ビジネスのものにはあまり興味はなかったんだと思う。

入院中会えなかった愛犬の次郎。親父の回復には次郎の存在も大きい。

「ほなら、もっと給与上げたらなあかんな」
は、ビジネス状況が悪い、と言ってる僕に対してのある種の戒めだったのかもしれない。そういう状況や環境のせいにして人件費どうやって抑えようか考えてないか?と。実際、僕はそんなことを考えていた。人件費なんとかしたいなと思いがちな時にこそ、むしろ、減らすのではなく「もっと」増やす、ぐらいのつもりで臨まないと駄目だ。親父はそんなことを言いたかったのかもしれない。

この数年、自己申告型給与制度を導入してから、会社の業績はかなり良くなった。皆の給与もそれ以前に較べるとかなり伸びたとは思う。
今回、自己申告型給与制度に変えてから、初めて事業的に厳しい、昨対に較べて殆ど伸びないという状況に直面している。こういう状況の中で、社員から上がってくる提案や申告額にどう向き合うか。

自己申告型給与制度は、社員に一人一人に強烈な自律を促す。今期の状況が良くないのは、今期の貢献内容として社員が掲げた内容が、達成できなかったものが多かったということもある。そして、その提案に「投資」をした経営側の責任でもある。これを各人がどう受け止めて、どう次に活かすか。この制度は、それを会社やビジネスや仕組みではなく、各人に問う。

来期に向けて、各人からどんな提案が上がってくるのかは分からない。今期の状況や自身のパフォーマンスを考え、給与を据え置きしたりするスタッフも出てくるだろうとは思う。(現状でもそういうスタッフはかなりいる)
ただ、一方で今期が良くないからこそ、来期は立て直さないといけないし、いつまでも原料値上がりだ、消費マインドが落ち込んでるだと、外部環境のせいにしてても埒が明かない。自分たちでそれをなんとかしてないといけないし、そのためには今までと違うこと、今までと違うやりかたに挑戦していく必要がある。それはかなりの部分、社員の力、社員の意識に掛ってると思ってる。そんな時に僕が状況が良くないみたいな発言を繰り返してるのは、社員の未来志向やこの状況を切り開いていこうとうい意志を蔑ろにしてしまう行為なのかもしれない。親父の発言を聞いて、最初にイラっとしたのは、まさに僕が最初から、こいう状況で人件費は増やせない、という前提を持っちゃってたからなのかもしれない。

ただ、そもそも「給与を下げない」「賞与を下げない」という前提もおかしいとは思っている。賞与に関しては、自己申告型給与制度に変えてから、かなりシステマティックに算出できるロジックにして、それで計算している。儲かった時は増えるし、儲からなければ減る。もちろん下がり幅に関しては下限はあるのだけど、賞与に関してはある程度はメリハリはあるべきだと思ってる。実際、2021年はコロナ特需もあって賞与はかなり増えた。2022年はその反動もあったり、ビジネス的にも良くないので昨対では落ちる。これは仕方ないことだし、社員にも説明している。

ただし、経営者のマインドとしては人件費をどうやって削ろうか、どうやって抑えようか、というのは良くないのかもしれない。親父が言いたいのは、そういう経営者としての考え方や会社としての姿勢のことなのかもしれない。人件費を増やしてでも、それを上回る限界利益を生み出す、そっちに知恵を絞れ。そういうマインドを持ち続けないといけないのかな、と。いやぁ、かなりの胆力が求められるな…  

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