名字ってそんなに大事?~名前を変えたかったあの日~(後編)
前編を書いてから、自分の周りにも名前が変わることに抵抗感を抱いている人が多い事実を知った。それはほとんどがが女性。
そして、名前を自分が変えてもいいと思っていた男性。
おもしろいことにじゃんけんで名字を決めた人もいた。
いろんなエピソードがあっておもしろかった。
前編を見てない人がいたら、ぜひ前編もご覧ください。
男性側の名前を名乗る普通の背景
当たり前のようにある、結婚したら男性側の名前に変更しなければならないという風潮。その風潮の起源"家父長制"にある。
その背景は、武士などの慣習から来ている。
長男が家の財産を継ぐという戦国時代のものが、そのまま明治時代に制度として採用され、長男へ財産を相続するという流れが行われるようになった。
その後は憲法改正に伴い、戸籍制度も見直されることになり、制度上は男女のどちらが姓を変えてもよくなった。
この背景から感じとれるように、なんとなくそのまま習慣的に残っているだけで、男性側の名前を名乗ることに法律上などの強制力もなにもない。
しかし、なぜ強制力もない"家父長制"の風習が残ってしまっているのか。
それは、明治〜高度成長期に「男性が働き、女性が家庭を守る」という構図ができてしまい、結婚に伴う性別的な役割が強固なものになってしまった影響が大きいと考える。
正直どっちでもよくないか?
前編でも言ったように、自分自身は夫婦別姓などのトピックに対して深く関心がない。
価値観はそれぞれ違えど、結婚は”個人の幸福”のためと思っているため、したい人達がすればいい。ただ、他人同士が一緒になる以上、同姓・別姓を選べたほうがいいよねという感じにすぎない。
これは憶測であり、偏見かもしれないが、テレビやニュースなどでよく見る、「国民の7割が夫婦別姓を容認している」という事象。
自分みたいな人間もいることを考えると、回答者の中にもこの問題に関心がなく、「選べてもいいんじゃないの?」というノリで回答してる人もいる。
その結果の7割とも自分は考えている。
対して別姓を認めない側を見てみよう。
「夫婦別姓を認めてしまうと家族の概念が崩壊する」
「親と子で名前が違うと混乱してしまう」
などと言った意見がある。
現状、先進国の中で夫婦別姓を認めていないのは”日本のみ”
認めない側の意見を見ると家族についてやその絆について主張しているように感じるが、同姓だから日本の家族の絆が他国に比べてすごく強いかと言われると家族の絆が強いとは感じない。
戸籍管理は、同姓のほうが圧倒的に管理はしやすいよなとは思う…
夫婦別姓の人が立ちはだかる壁
夫婦別姓を選択する人は、現在の日本で生きていく上で、立ちはだかる壁がいくつか存在する。
その例として、婚姻による優遇措置が受けられないこと。
別姓であると「事実婚」という扱いになり、配偶者控除や医療費控除の夫婦合算などが認められないことや子どもが生まれたときに父親の認知手続きが必要となったり、パートナーが亡くなったときに財産相続がスムーズにできなかったりという問題点が生じることもある。
もちろん、デメリットだけではない。
具体的なことは、変更手続きが不要になることに限るかもしれないが、心身的なメリットはすごく大きい。
キャリアも今の名前のまま、進めることができるし、結婚したしてないの事実が急に知れ渡ることがないため、プライバシーの保護にもなる。
そしてなにより、自分の名前に愛着や誇りを持っている人からしたら、変更されないことが個人の尊重にも繋がるだろう。
結局思うことは、「名字ってそんなに大事か?」
これまで、双方の意見を見たり、それぞれに対して思うことを綴ってきた。
しかし、双方の意見を見ても、自分の意見は何も変わらなかった。
理解できる点は、双方ともにある。けど、変わらないんだ。
名字を同じにすると対等な関係じゃ無くなる訳でもないし、
女性側の名前を名乗ったり別姓にしたとしても家族は家族。
変えたい人は変える・変えたくない人は変えない。
どっちかに寄せなきゃいけないというのがそもそも間違っている気がしてる。ただの水かけ論でしかない。
別姓を主張する人を”過激なフェミニスト”のように扱ったり、反対の人を"保守派"のように扱うのも、見ていてどうでもいいとしか感じられない。
どうでもいいと思うからこそ、選べる社会になれたらいいんじゃないの?
男性側の名前を名乗ることが普通という風潮や考えをなくしたほうがいいんじゃないの?と思うばかりだ。
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