ミハルカ・テーゼの章(3)【掌編小説】
エリーネが体調を崩したと聞いて、北の森にあるロジウ様の別邸に見舞いに行くことにした。
別邸を囲う結界の入り口へは案内役の使い魔が馬車を誘導し、そこから先は使用人が案内してくれる。
「ミィハ……来てくれたの? 嬉しいわ!」
部屋では寝巻き姿のエリーネがベッドに横たわっていた。
これまで彼女との間にあった距離は、いつも彼女が詰めてきてくれたのだと知る。今日は一歩一歩、自分が近付いていく番だ。
「熱は下がったの? 何日も顔を見なかったから心配したわ」
彼女のことがあまりに気がかりで、様子を聞くために彼女の父である第一賢者様の研究室に行く用事を取り付けたことは誰にも秘密だ。
エリーネは額に手首を当てて大きく息を吸うと、微笑みながらゆっくりと吐き出した。
「まだ少し高いの。魔法の勉強で、ほんの少し夜更かしをしてしまって。知恵熱かしら?」
「そんなこと……」
そんなこと、あなたが体調を崩してまで頑張ることじゃないわ――などと言うのは、彼女という存在を否定することになってしまうのだろうか。
「ふふ……ミハルカったら、顔に書いてあるわ。私にはお勉強なんて無理だと思ってるんでしょう?」
「そうじゃないわ」
「心配してくれてるのよね。ありがとう……ミィハ」
この笑顔の前ではどんな言葉も無効だろう。青空の色を映したような彼女の瞳を見ていると、不意に異変に気が付いた。
「エリーネ、まつ毛に何かついて……」
軽く触れると、僅かに硬い感触があった。まつ毛の一部が白く結晶化している。
「魔力硬化症……お父様は一時的なものだろうと言っていたから、心配することはないわ」
毛先がキラキラと光って綺麗でしょう? エリーネはそう言ってぱたぱたと瞬きをしてみせる。私は微笑み返すしかなかった。
魔力硬化症は、体内に蓄積できる魔力の総量が多い者がまれに発症する病だ。魔力が何らかの不具合で体の外に出せなくなったとき、体の一部を硬化・変色させてしまうことがあるのだという。
「それよりミィハ、あなたの故郷の歌を聴かせて……あの子守唄がいいわ、私も覚えたいの」
突然の要望に私はうろたえた。以前古代語を解読したときに、先祖の故郷に伝わる歌のひとつが子守唄であることが判明して歌って聴かせたことがあったのだ。
そんな些細なことを覚えていてくれたなんて。
「いい子にして寝るから、お願い」
「……わかったわ」
その日の夕焼けは、とても暖かく穏やかなものだった。エリーネのまつ毛と美しい瞳がそれを反射して、彼女が眠るまで――いつまでもいつまでも、その色を眺めていた。
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