聖女ミェゼの章(3)【掌編小説】
その日はいつも通り聖女様のお部屋の前で見張り番をしていた。
聖女様はこのところ体調が思わしくなく、前ほど頻繁にはお話されなくなっていた。
「今日は少し冷え込みますね。聖女様も温かくなさってお過ごしください」
返事はなくとも、こうして毎日声をかけるのが日課となっていた。それが僕がここにいる意味だと思っていたから。
そして――。
『ナスカ――逃げて』
「え……?」
突然の声に振り返ると、そこには変わらず巨大な金の扉が立ち塞がっていた。
「聖女様……?」
その背後から――地鳴り。
長く暗い廊下の先に、鈍く光る鎧をまとった兵士たちの姿が見える。雄叫びと共に押し寄せるその数は、優に百を超えているように思えた。
「聖女ミェゼは魔王の手に堕ちた! 今こそ聖剣の導きにより、その穢れなき魂を救済する!」
そう叫んだ男の白銀の鎧には、聖騎士のみが身につけることを許された白く大きな鳥の紋章が輝いている。
僕は混乱していた。王国兵がどうしてこんな所に。聖女様が魔王の手に? そんなはずは――。
「ミェゼ様!!」
気付けば扉に向かって体当たりをしていた。あまりにあっけなく開いた扉にバランスを崩し、鎧の重さに足を取られて地べたに這いつくばる。
顔を上げると、翡翠の色をした虚ろな瞳の少女と目が合った。そして僕の視線はそのまま、彼女の下半身へと移動する。
柔らかな髪を結い上げ、揺り椅子に腰掛けるその少女には――脚がなかったのだ。
「――くっ!」
考えるより先に体が動いていた。非力な自分のどこにそんな力が眠っていたのかわからないが、目の前の少女――聖女ミェゼの身体はあまりにも簡単に持ち上がった。
しかし――。
「うぐッ……!」
その瞬間、今まで受けたことのない痛みが衝撃と共に左胸を突き抜ける。それ以上の言葉は、何も出なかった。
「悪く思うな。全ては白きルフの名のもとに――」
視界が白く染まっていく。
なぜだかその時の僕には、聖女ミェゼの微笑む姿が見えていた。そんなものは今まで一度だって見たことがなかったのに。
歌を歌い、分厚い魔導書で顔を隠し、こちらに優しく手を差し伸べてくるミェゼ。彼女の姿はおそらく、この世で最期のときを迎えるすべての魂が等しく見る幻なのだろう。
それをこの目で見られたことに、僕はこの上ない幸せを感じていた。
ミェゼ――君のいる世界に。
これからもどうか――ルフの加護があらんことを。
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