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自分のなまえ

昨日、無事ひとつ歳を重ね、新しい歳を迎えました。
そして昨日、人生初おみくじで「凶」を引きました。笑いました。

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今が「苦しくない普通の時」と言われるより「一番苦しい時」と言われる方がよっぽど救われるんだなと思いました…

ところで、誕生ってことなので今日は「名前」ってことで考えてることを書いてみました。それは自分の生き方と重なるのだなと思っています。

生い立ちの記

小学生の時「生い立ちの記」という自分の出生を書いて提出する地獄のような授業があって
しかも私の通っていた小学校の教科書には載っていないにもかかわらず、有名な授業だったとかミーハー心か何かで宿題に出たのです。
私の生まれは祖父、母の父の死とほぼ同時で、それは生死セットで語られることが多い。それを小学生が受け止められるかっていうとそうでもない。
誰もが全部幸福な瞬間だけで生まれてきたっていう思い込みを押し付けるアホな授業だったなぁと今でも思います。

名前の由来も同様で、あなたの名前はあなたの両親が一生懸命考えて意味のあるものなのだよっていうのも、思い込みでしかない。
私はだから子供の時、そういう思い込みを押しつけられた結果
生い立ちも幸せな瞬間ではなく、名前も両親が考えたものではないと知った時にも「生まれてこなければ良かった子供」と言われているように思ったのでした。

自分の名前の解釈

私の名前は、父方の祖父母がその氏神様に祈祷を捧げ、そこから賜った名前「たかこ、れいこ、ゆき」の中から選ばれたものです。
母が「○子」の名前に対して(自分がそうだから特に)忌避感があったらしく「消去法」で「ゆき」になったという由来。

漢字は画数を調べて付けたらしいですが。
本名は「由起」といいます。

「名は体を表す」ともいい「名前はその人に足りないものを付けている」とも言われます。
「名は体を表す」と言われた時には「自由に起きる」と書きますと言い
「名前は足りないもの」と言われた時には「起きる理由」と書きますと言います。
どっちにしても「たくさん寝る」わけです。

自分でクリエーターになる時にひらがなに変えたのは、漢字がカクカクしすぎて硬い感覚であまり居心地が悪いのとめっちゃくちゃ間違えられるからです。
小さい頃の診察券とか正しい漢字で書かれたものが一枚もないくらい。
最近は患者取り違え防止とかDQNネームが流行ったおかげ?で病院で間違えられることはなくなりましたが。

ひらがなの「ゆき」として

生い立ちも名前の由来もなんかぱっとしないなーと思っていたし
漢字のカクカク具合も居心地悪いし、ただただ間違えられるし
でも自分の「ゆき」という名前の響きは好きです。

小さい頃から「雪」とのダブルミーニングを感じていたし
その「雪」の色や儚さ、美しさに憧れを持っていました。
10年に一度降るかな?レベルで雪が降らない地域にいたので、憧れは強かったです。
冬生まれっぽい名前でもあって、そういう意味でも「雪」の意味を持った名前としては好きなんです。
自分の名前の奥にあの白い輝きがずっとあるなんてすごい素敵じゃないですか。

だからクリエーターとして活動する時に、名前そのものをひらがなにするということにしました。

漢字の「由起」で認識され呼ばれるより、「ゆき」として知られ世の中に広まっていきたいと思っています。
プライベートのアカウントでも必ず「ゆき」が付いているのはそういう思いもあるのです。

名前を呼ばれる大事さ

小学校の時、イジメの延長で太っていることを揶揄した言葉からあだ名が定着しました。
幼稚園から高校まで一貫校だったので、約10年近くをそのイジメ名で呼ばれ続けたのです。
それだけ長く広く使われると呼んでる友達の多くは由来など知らない人がほとんどだったと思います。
それでも自分の名前が存在しない間柄ってどういう気持ちかわかるでしょうか。

だから自分が「どういう名前で呼ばれるか/呼ばれたいか」というのをものすごい気にしながら生きているように思います。
当然相手のことも「どう呼ぶか」考えて思いや立場などを込めて呼び名を決めている感覚があります。

だからこそ、今、私は「由起」じゃなくて「ゆき」でいたいんだろうなと思っています。
ごくプライベートな自分よりも、クリエーターのひとりとして多くの人に知られる「ゆき」という名前の人でありたい。
1年前くらいからそういう思いがより強くなりました。

たくさんの仕事をしてたくさんの笑顔を生んで、楽しい「ゆき」の一年に。

今歳も「ゆき」の世界を世の中に広めていける歳にします。

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バースデーケーキがわりのホットケーキ。めちゃうまでした。

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