見出し画像

信仰心と知性と謙虚

わたしは神社も寺にも行き、クリスマスも楽しむ典型的な日本人だ。家は曹洞宗のお墓と納骨堂の手入れをしているが、自身は単に慣例に従っているだけという立場。
そしておそらく今後も何かに入信する予定はない。

ただ、人間の「信仰心」には昔から非常に興味がある。
目に見えない存在に敬意を払い、音楽や念仏などを奏で、経典や口伝による教えを学び、生命の誕生や節目や死の折に儀式を行う。
大体どこの宗教もこれでざっくり説明できると思う。
世界中で多くの人々が、さまざまな宗教を信仰したり、信仰心を持って生きていることがとても面白いと思っている。
日本人は無宗教と言われるが、「世間体」が強いから成立しているというのもよく聞く話。これも一つの信仰。

今のところ、芸術や宗教は人類特有の営みとされている。(最新の研究だと、芸術は他の生物で確認されているらしい)。

ところで何かを信じることは、自分の弱さ・小ささを知ることでもある。偉大な存在を意識して生活すればする程、結果、謙虚にならざるを得ない。

知性もよく似ていると思う。
本物の研究者は学問の限界を知っている。「現時点でここまでは分かっているが、ここからはまだ不明」と言う。
断言や盲信はむしろ教養のなさを露呈する。

つまり何が言いたいのかと言うと、
傲慢や不遜は無知性のあらわれで、信仰心の欠如であり、
それは人類の持つ特性をまったく理解していない、ホモサピエンスとは言い難い生物だと言うことです。

急角度の悪口でした。
知性は磨き続けなければ鈍るし、信仰心も放っておけば腐る。反面教師が目につきすぎて疲れています。

ただ、謙虚でいたいと思いつつ、私も不遜な時があるのは鈍って腐ってるからだなあと反省する。

日々色々あるが、自分を嫌いになると大分メンタルが削られるので、知性と信仰心を大切に生きないといかん。
特に入信はしない。でも私は文学や音楽や芸術の力を信じている。そういう自分の軸を失わずにいれば謙虚でいられる気がする。


サポートいただけたら泣いて喜び、創作活動に活用します。