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何者でもない。創作を少し。mail:yuchimr ☆ i. softbank. jp(☆を@に)

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いつまでも未熟

いくら歳を重ねても理想の大人になれない。 人を尊重し、聡明で、穏やかで、朗らかな人物に。 実際は八方美人ですぐ凹む。だらしなくて人に迷惑ばかりかけている。 絶望しかない。 今は諸々勉強しながら、やりたい事の実現に向けて邁進中だ。 でもこんな自分じゃ誰にも応援されないだろう。夢を叶えられないかもしれない。 絶望。 それでもやりたい、やるしかない、残り少ない人生を楽しくするために。 私は狂っているのだろうか。 と言いつつ、薄々分かってる。負の連鎖の原因は。 私が私を尊重

    • どんな大人になりたいのか

      成熟とは何か、よく考える。 ミドルも後半、社会人人生の終わりも視野に入ってきているから。 わたしは故・小澤征爾さんのように、自分が磨いてきた力を後進へおしみなく伝えていく人でありたい。 一方で、力を振りかざして下を振り回し、継承を拒む人を身近で目にする。 理由を言わず「考えた末の結論だからついてこい」と言われても貢献意欲は湧かない。「良い仕事だから」と煽られても、コマのように使われると虚しくなる。 そういう人は、老年・若年を問わず一定層いる。 周囲を見ていると、内面って

      • 自分を大事にすることは人を大事にすること

        いつも「いまわたし元気?」「だいじょうぶ?」 と問い続けるのは案外勇気がいる。 自己犠牲って気持ちいいから。酔えるし。 でも、そうやって己を無碍に扱い続けると、結局周りを傷つけてしまう。これは経験上100%といっても過言ではない。 わたしは職場に過剰適応し過ぎて、自己犠牲を繰り返し、結果的に適応障害になった。そして傷つけてしまった人もいる。 全体的にばかみたいだ。 今も病気を抱えてながら働いているけど、同僚も経営陣も理解より先に文句を言ってくる。 二度と同じ過ちは繰り

        • 信仰心と知性と謙虚

          わたしは神社も寺にも行き、クリスマスも楽しむ典型的な日本人だ。家は曹洞宗のお墓と納骨堂の手入れをしているが、自身は単に慣例に従っているだけという立場。 そしておそらく今後も何かに入信する予定はない。 ただ、人間の「信仰心」には昔から非常に興味がある。 目に見えない存在に敬意を払い、音楽や念仏などを奏で、経典や口伝による教えを学び、生命の誕生や節目や死の折に儀式を行う。 大体どこの宗教もこれでざっくり説明できると思う。 世界中で多くの人々が、さまざまな宗教を信仰したり、信仰心

        いつまでも未熟

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        記事

          適応障害は理解されないのか

          思いやりって何だろう。 相手を慮り尊重し、背を押したり温めたりすることだと思う。 色々あり、今年に入って適応障害の診断を下された。まだ完治にはほど遠く、薬は手放せない。むしろ増薬してるくらい。 メンタルは元々弱めだけど逃げ足は早いので、これまで深刻な状況になることはなかった。まあ今の環境に向いてないんだろう。 えらいもんで休みの日は元気。今の職場には適応してないって事が自明。 生活もあるし仕方なく一生懸命働いてるけど、湿疹が出るとかみたいな症状があるわけでなく、職位の仮

          適応障害は理解されないのか

          コミュ障は治らない

          年齢や立場、経験によって、コミュニケーション能力の高い人と言われる機会が増えた。 正直、人が怖いからマメに話しかけたり、雰囲気をよくしようと明るく声がけしてるだけ。 相手に嫌な思いをさせたくないという考えがベースだ。 うちの上司連中に「人に興味がない」と公言している人たちがいる。理解できない。私は嫌われたくないし、愛情(怒りも)がエネルギーの源泉なので尚のこと。 ただ、八方美人がデフォルトの社会人をやっていると、疲れ果ててしまう。退社時には毎日泣きそうになる。 ノートと

          コミュ障は治らない

          信頼できる人

          毎日火サスばりに事件が起きていて、脳内で「また面白くなってきたぜ」と事あるごとに茶化している。 つまり心理的安全性の大変に低い日々。 自分を脅かすもの、それは対話のできない未成熟な人だ。 まめにコミュニケーションを取って落とし所を探る。 たったそれだけのことを怠るだけで、コミュニティは壊れはじめ、厄介事が起きる。 自分は出来るだけ人を大切にして、細やかにやりとりする事を心がけているけど、本来は人が怖いし苦手。1人が一番安全だ。 恐怖心打開のためには周りをよく見て、俯瞰で

          信頼できる人

          与えられなかったもの

          少し前に話題になった発言。 なかでも重みある発言を引用する。 欠落は人を苦しめる一方で人格形成の大きな軸・支えとなる。 正負の全てを受け入れて生きる創作者としてのあり方に心底胸打たれた。 自分もたくさん欠落がある。 どうしても欲しかったけど手に入れられなかったものについて考える。 子どもの時もっとこうだったら、今ももっとこうなら、と思うこともある。 基本的には心理的安全性や、愛情のすれ違いがあって、いろいろな苦労が生じた。今もそうだ。 プライドや妬みが邪魔したり、根

          与えられなかったもの

          人は裏切る

          今週木曜に、社内のとある人から、自分が信じていた人が完全なる敵で、大きな裏切りに遭っていたことを教えてもらった。 教えてくれた方は、諦念で会社勤めを続けているタイプで、愚痴がてらつい口が滑ったようだ。 自分がそんなに有能でない自覚があるので、基本的に仕事には真面目に取り組んでいる。 裏切り者は、部下や同僚を守るために動いていた私のやり方が、自身の方針や子飼いの部下に楯突いてると思ったようだ。 私自身のことを言えば、過重労働から1月に適応障害を発症。3月に休職したがその間

          人は裏切る

          生きることと死ぬこと

          先日、半分寝ながら整体を受けていた時、何となく死について考えていた。 子どもの時は、自分が忽然と消えても世界は淡々と回っていく事実が受け入れがたく、「そんなのやだ、死にたくない」と怯えていた。 今でもたまにそのモードになる時はある。でも当たり前だが歳を重ね、昔よりは死を身近に感じる。おめでたい場に呼ばれるよりお葬式の方が増えてきたし、病院に行く回数も増えたし。 どうせ死ぬなら好きなこと時間を増やさなきゃと思う。楽しい思い出を胸にこの世を去りたい。 まあ、今は格好つけていっ

          生きることと死ぬこと

          かおる香り

          令和ロマン・くるまくんがYouTube「What’s in my bag」企画で、香水を披露。 つける理由に「自分からいい匂いがしないとむかついてしまうから」と言っててはっとした。 確かに自分からいい匂いがするとご機嫌になるし、そうでないとむかつく。 そういう訳で、最近匂い物に触手が伸びている。 基本的に昔からローズ系が好き。華やかな気持ちになるから。先日、ずっと憧れていたブランド香水を買ったのだが、もちろんローズ系にした。 いいやつだからか、かなり香りがつよく、かすか

          かおる香り

          日々あれこれ

          ニュースにびっくりした。 勤務外の時間だろうに(ウィーンのオペラは開始時間が遅い)、波紋を呼ぶのが謎。いや、謎ではないけど気の毒。 税金関係で生きる人たちに機会があればなんでも噛み付くスタイルって、きっと古代からなんだろうなあ。 あと、音楽が無駄なもの、贅沢品って思う人の多さにも心が痛んだ。ウィーンという特殊性をかんがみても。人はパンのみにて生きるにあらずだよ。本当に辛い時、音楽ってすごく支えになるものだから。 お腹の足しにならないものばっかり集めて幸せを感じるタイプの

          日々あれこれ

          悲しみの果て

          締め切り前に絶賛サボり中。 現在適応障害の診断を受けている。原因は業務過多な職場。完全なる上司ガチャの失敗。 1ヶ月の休職ののち復帰したが、会社は何も約束を守らなかった。 疾患を抱えた自分に鬼のような業務を振ってくるし、体制見直しも人員確保もしない。休日出勤も全然ある。ブラックもブラック、漆黒です。 別部署の人間が気楽そうに働いているのを見てると力が抜ける。 今の責任を果たしたら、然るべき専門家に相談しよと思う。 お金が欲しいわけでなく、公的な記録を残したいという気持ち。

          悲しみの果て

          本格的な

          病みに突入している。 今は前年比でスペックが100分の1くらい。 理由は簡単。激務でこわれた。 昨年9月からは休みもろくに取れなくなった。 もっと言えば4月からか。 10月に入った契約社員は、平気で締め切りを破り未提出でもケロッとしている。こっちが聞いて初めて「出来てません」と返答する。穴埋めとフォローに追われ、さらに休みが削られた。 進捗報告もなく勝手な動きも多い。注意しても謝らない、プライドの高いアラ還だ。 自分には御し切れないため上に報告し、人事を委ねている。

          本格的な

          令和ロマンと2050

          今年のM-1、令和ロマンの優勝は変革期の幕開けになる予感がした。 客席の見極め方、MCや審査員とのそつのないコミュニケーション。 優勝決定後も涙一つ流さず、でも場を冷やず盛り上げる姿は出来るビジネスマンのようだった。 無骨で不器用なおじさん芸人の涙に慣れていた自分には、センセーショナルな光景だった。 これまで芸人とは生き様と思っていた。 芸には、彼らの人生における勝ち様や負け様すべてが反映される。身を削り痛みに耐えながら腕を磨きのしあがる。そういうものだと思っていた。

          令和ロマンと2050

          わたしはわたしに期待している

          幸福は絶望の上に成り立つと言われる。 期待や希望と現実がかけ離れたとき、 不幸を感じるから。 無であれば苦悩は起こらない。 端的にいうと「足るを知る」ことが幸福への近道だ。 でも私はまだわたしに期待している。 いびつな期待がある。 とことん極めたいところと、 どうでもいいところがあり、 それはそのまま 社会的長所と弱点になっている。 穏やかさに憧れながら、本質的に求めていなかった。 幸せより理想を求めていると気がついた。 それは生き様の問題だ。無意識に選んでいた。 どち

          わたしはわたしに期待している